ホワイト・クロウ 伝説のダンサーのレビュー・感想・評価
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国家によって個人の自由は束縛されるべきではない
ロシアが生んだ天才バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが映画にフィーチャーされたのは、1971年の映画「バレンチノ」以来かもしれない。あの時、鬼才ケン・ラッセルはハリウッド黄金期のレジェンド、ルドルフ・バレンチノ役に同名のヌレエフを起用して、賛否はあったものの、映画が夢を紡いだ時代の雰囲気を画面に蘇らせた。特に、ヌレエフ扮するバレンチノが同時代のアイコン、ニジンスキーにタンゴを伝授する場面は、異様に艶めかしかったものだ。監督のレイフ・ファインズが今作で描くのは、そのヌレエフがいかに祖国ソ連に束縛され、自由な表現、自由な場所を夢見て足掻いていたかだ。そんな天才の内面にどこまで切り込めたのかは疑問だが、映画のクライマックスで展開する亡命に至る経緯のスリルとサスペンスは、過去のいかなる作品をも凌駕する緊迫感に満ちている。すぐ目の前にある自由をつかみ取れそうで取れない、ギリギリの駆け引きは、とりあえず自由な空間で生きる保障を約束された観る側の恵まされた状況を改めて考えさせられる。天才であろうがなかろうが、国家によって個人の自由は束縛されるべきではない。単純にそんなメッセージが胸に突き刺さる実録ドラマである。
母よ、故郷よ
キーロフ・バレエ団の一員としてパリを訪れるバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフをオレグ・イヴェンコが演じる。
映し出される不安げであどけない幼少期の映像、厳寒の地で質素に暮らす彼らの姿が切ない。
緊迫した空港での亡命シーンがリアルに迫る。
ーウファの農家の子
ーシベリア鉄道
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕)
シベリア鉄道
実在の亡命ダンサー、ルドルフ・ヌレエフの半生を描いた作品。彼が誕生した1938年と名門キーロフ・バレエ団に入団した1955年、初のパリ公演となった1961年の三つの時代を交互に描かれていた。
バレエについては全く知識がないため、ルディの芸術への憧れとさらなる高みを目指す姿勢に驚かされる一方、パリの夜を遊び歩いた自由奔放さに団体行動ができない身勝手さや傲慢さの印象で、友達になりたくない!と感じてしまいました。天才という人はどこか違う。列車の中で生まれたという特異性もあるけど、ソ連という枠の中でだけの活躍するだけじゃ惜しい存在だと思った。ホワイトクロウというタイトル通り、団体行動ができない異端児。バレエにしてもソロの演技が目立っていた。
自分を理解してくれる教師(ファインズ)の奥さんとも肉体関係を持ったとか、フランス女性クララとも仲良くなるが、そうした恋愛の結末がさっぱりわからないところが残念でした。それはクララの記者会見にも象徴されるように、「彼とは恋人ではない。どうなるかもわからない。彼はそういう人なのよ」と、恋愛や人間関係においても自由人だったのだろう。それがオペラ座で伝説ダンサーになったのだから世の中わからないものだ。
亡命ってそんなに簡単なものなの?という、終盤のスリリングな展開。思わず息をのんでしまいました。最後のテロップには死について簡単に書いてありましたが、AIDSで亡くなったとか詳細に書いても良かったんじゃないのかな?
美しい。そして素敵✨
美しい✨
景色
音楽
建物
絵画
ステンドグラス
ヨーロッパに行きたい。
フランスの警察がカッコ良過ぎ💕
『 45分間 1人で考えなさい』
『あれはフランス行きのドア
こっちは飛行機(ソビエト)へ』
『君が決めるんだ』
45分で遠くへ逃げて~!!!
最初あまり感情移入できなかったが、いつの間にか前のめり気味で観てた(*^^*)
そして実話と知らず鑑賞したので
より一層感動した✨
ありがとう、自由😃
監督のレイフ・ファインズってハ、ハリーポッターに出てたじゃないですか~💦💦💦
す、すごい。
技術を研磨してストーリーを語れ!
ストーリーは
1938年3月17日、ヌレエフ一家が、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の列車の中で,ルドルフは生まれる。タタール人の父親は軍人で、ムスリムだった。ルドルフには上に3人の姉がいた。5歳の時に、母親がもらい受けた1枚のチケットで、家族はバレエを見に初めて劇場に行く。ルドルフは劇場の豪華なシャンデリアや、踊り子たちが照明に照らされて拍手を浴びる様子を見て、バレエを自分の一生の仕事にしたいと思う。そこで戦争中の貧困と食糧難もあって、幼いルドルフは地方の全寮制のダンス学校に入れられる。戦争が終わり、ルドルフが17歳になって、1955年やっと彼はレニングラード(セントぺテルスブルグ)のマリンスキーバレエ学校に入学を許される。そこでアレクサンドル プーシキンに実力を認められる。
ヌレエフはバレエ団のなかで人一番熱心に練習をする団員だったが、性格的に協調性に欠け、自己主張が強いために、いつも孤独だった。また裕福な子女が多いバレエ団のなかで、貧しいタタール人出身だったヌレエフは、ムスリムのタタール人を揶揄するホワイトクロウをいうレッテルを貼られていた。それは事実上にのけ者にされていたルドルフのあだ名でもあった。しかし彼の実力を誰も否定できなくなり、やがてプリンシパルとしてバレエ団の中心的存在になっていく。
彼はバレエ団の海外巡業でパリを訪れ、フランス文化大臣の息子の婚約者クララと親しくなって、彼女とキャバレーやバーに行き夜遊びをする。KGBはそういったフランス文化を資本主義の退廃した姿と捕えていたから、ヌレエフの監視を強化した。そしてこの海外遠征が彼にとって最後の旅になるだろうと、警告する。
パリ公演を終えて、バレエ団がパリからロンドンに移動しようとする空港で、ヌレエフはKGBに、他の団員達と別れてヌレエフだけ帰国して、モスクワ公演に合流するように命令される。KGBに取り囲まれ自由を奪われたヌレエフは、助けを求めて叫ぶ。見送りに来ていたパリバレエの団員は、急きょクララに助けを求める。亡命希望者は、自分から亡命をする国の担当官に亡命したい旨を伝えなければそれを認められない。クララは、パリ空港警察を、ヌレエフの後ろに立たせ、別れの言葉をヌレエフに言う許可をKGBからとって、ヌレエフに空港警察官に亡命する意思を伝えるようにささやく。クララの言葉に従い、ヌレエフはKGBと空港警察との激しいやり取りの末、保護されてフランスに亡命する。1961年、ヌレエフが23歳の時の事だった。
というお話。
この映画の話題性のひとつは、監督がシェイクスピア劇場出身の英国が誇る名優、レイ ファインズが監督したということだ。英国映画にも拘らず、舞台がセントぺテロスブルグとパリなので、ロシア語とフランス語で物語が進行して、それに英語字幕がつく。
ヌレエフは実際、英語を独学していて、米ソ冷戦時に珍しく英語が話せるロシア人だったそうだ。映画の中でも役者はロシア語なまりの英語を話す。米ソが一触触発で核戦争が始まるような危険な世界情勢のなかで、ヌレエフが英語を話せたことは奇跡のようだが、それが亡命するうえでものすごく役に立ったのだ。
それと、この映画が評判になったのは、何といってもルドルフ ヌレエフという世界一名高いバレエダンサーの波乱の半生を描いた作品だということだろう。ヌレエフは日本にも公演に来たし、彼のダイナミックで現代的なバレエは、いまも沢山映像になって残っていて、没後26年経っても人気が衰えることがない。
レイフ ファインズは1993年に刊行されたヌレエフの評伝を読んで、20年もの間ずっと映画にしたいと考えていたという。ヌレエフ役のダンサーを、9か月間探して、ロシアでオーデイションを繰り返してヌレエフの体つきも踊り方も似ているバレエダンサーを見つけた。
ヌレエフ自身は、短気で自己主張が強く、周りの人を平気で傷つけ、自分が思い通りのダンスが踊れるようになるまで妥協のない、極度の頑固者だった。地方巡業を断ったり、自分の実力を認めない教師に怒りをぶつけたり、高級レストランでウェイターが自分を百姓の息子だと馬鹿にしていると怒り出したり、わかままいっぱいだ。それでもダンサーとして最高のところまで行き着きたいと一心に願っている混じりけのない純粋さが、胸を打つ。
映画の中でヌレエフがひとり美術館で絵画や彫刻を食い入るように真剣に見つめるシーンがいくつか出てくる。初めて訪れたパリで、ひとりルーブルに入りテオドール ジェリコの「メデユース号の筏」を凝視する。フランスフリゲート艦メデユース号が座礁して乗組員149人のうち、わずか15人が、救命ボートの中で殺人やカニバリズムをして生き残った。男達の生と死、期待と絶望、そのすさまじさをヌレエフは見ていたのだろうか。
またセントペテルスブルグのエルミタージュ美術館で、レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見つめる。父親の大きな手に抱きしめられる子供の安堵、それはヌレエフの子供時代に決して得られないものだった。
ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしい跳躍を見せてくれる。バレエ学校の練習風景が沢山出てくるのが嬉しい。男の美しい足が床を蹴る。床をなぞるように、流れるように円を描きながら跳躍する。力強いジャンプから着地するときの激しい音。
おまけに「ダンサー、セルゲイボルーニン世界一優雅な野獣」のセルゲイ ボルーニンがマリンスキーバレエ団のヌレエフのルームメイトとして出演していて、練習風景の中でこれまた素晴らしいジャンプを見せてくれる。英国紙ガーデアンの映画評では、オレグ イヴェンコよりも,端役のセルゲイ ボルーニンがずっとチャーミングでセクシーで素敵だ、と書いてあった。でも映画ではそんなことはなく、オレグ イヴエンコがちゃんと主役になるように撮影されている。当たり前だけど、、。。実際は、二人は仲の良い仕事仲間として互いに尊敬しているそうだ。
映画の中でプーシキンが、ヌレエフに、どんなに技術が素晴らしくても語るべきストーリーが伝えられなかったら、バレエじゃない、と言っているが、オレグ イヴェンコも、セルゲイ ボルーニンもストーリーを踊りでみせてくれる力を持っている。
ヌレエフは1961年に亡命したあと1980年まで20年間英国ロイヤルバレエ団に所属してプリンシパルダンサーとして、カリオグラファーとして活躍した。19歳年上のマーゴ フォンテーンとペアを組み、ジゼル、白鳥の湖、ロメオとジュリエットなどで世界中をセンセーションの渦に巻き込んだ。マーゴは1961年にヌレエフに会った時、ロイヤルアカデミーオブダンスの校長先生で、42歳でリタイヤをするところだった。だが23歳のヌレエフとのペアが実に似合っていて、二人の踊るヴィデオを今見るとロマンチックで優雅で夢みたいだ。マーゴはその後、パナマ人で弁護士の夫が暴漢に襲われ車椅子生活を余儀なくされたため、看護するためにリタイヤして1991年パナマで、71歳で亡くなった。彼女の死亡を告げる新聞記事が出たとき、華やかだったバレリーナ人生と実生活の不幸とが思われて、悲しかったことをよく覚えている。
ヌレエフは、英国ロイヤルバレエを去ってから、パリオペラバレエのダイレクターになり、そのあとは、カリオグラファーとして活躍した。10数年前シドニーにパリオペラバレエが来た時の「白鳥の湖」はヌレエフ版の作品だった。伝統的なロシアバージョンではなく、ヌレエフ版は、より人間的な悩み、迷い、悲嘆にくれて死んでいく王子のストーリーが生き生きと語られて涙をさそった。
バレエはフランスでルイ14世によってはじめて作られて以来、男の美しさを見せるための芸術だった。そういった人々の期待に応える形でヌレエフは究極を追及し、死ぬまでバレエ芸術に身を捧げた。1993年に、54歳の若さでエイズで亡くなった時も新聞で知った。芸術家は技術を磨き、その優れた技術を手段にして物語を人々に伝えなければならない。プーシキンは、ヌレエフに繰り返しそう言った。良い言葉だ。
バレエがあまり好きでない人でも、この映画で好きになるかもしれない。見て損はない。
ヌレエフさんきむずかしいね。
ルドルフヌレエフさんのことは、殆ど知りません。
英国ロイヤルバレエ団にいたような…パリオペにヌレエフ版●●みたいな演目あったような…といううっすらとした記憶。
そして名前から亡命したソ連の人かな、くらいな印象でした。
正直存命時の活躍や踊りを見たことがないので、再現性については何の感想ももてませんが、バレエものの映画が市内でやるなら観るという自分ルールに従い、見に行きました。
レイフファインズが監督しながら演技もやっています。
映画の世界では、舞台がロシアだろうが中東だろうが日本だろうが、映画内言語は英語っていうパターンがあるあるです。
制作国が米英で、英語話者が多い場所での上映をする予定だと、まあそうなるよねってなりますし、なんせジャックドゥミが監督してフランスで撮ってるのに、映画『ベルサイユのばら』のセリフは英語でしたからね(制作は日本…どやそれ)。
つまるところ映画内言語は、世界名作劇場でアルプスにいるハイジが日本語しゃべるのとおんなじだとおもって納得しているのですが。
レイフファインズ監督は、がんばりました。
ソ連でのシーン、ソ連の人々の会話はなんとロシア語でした。
ファインズ自身もバレエ教師役だったんですが、ロシア語しゃべってたんですよー。
ロシア語のレベルについてはもちろんさっぱりわかりませんが、すごいやーん!チャレンジしてるやーん!と感動しました。
また、バレエダンサーの役が、本当にみんな踊れる人ばかりで、上半身だけで引きを写さないとか、カメラ揺らして踊りがよくわからなくするとかがなくって、うれしかったです。
バヤデールかなんかのバリエーションが出てきたと思います。
ヌレエフさん役の人は、どっかの国のバレエ団でプリンシパルだそうです。
プリンシパルを担う人を見ると皆さんお上手!程度の審美眼しかないのであれですが、理屈っぽい感じがよくでていてよかったです。
映画では殆ど触れられませんでしたが、つかバレエ教師の妻に誘惑されて肉欲に溺れたりしていたのであれって思ったのですが、ヌレエフさんは確か同性愛もお好みだったはずです。バイセクシャルだったんでしょうかね。もちろんどっちでもいいし、どっちでもなくてもいいんですが。
ヌレエフさんたちが所属するキーロフバレエが外国をツアーで回ってて、最初に来たパリで、西側の人たちとあって気ままに楽しみ、その様子がソ連側には許されなくって、ロンドンには行かせてもらえず監禁されることが予想されたのでヌレエフさんは亡命したのでしたー。
という話です。
時制が混ざっててよくわからなくなります。子供時代、キーロフのバレエ学校時代、パリで楽しむ時代の3つです。子供時代は多分画角も違ったしすぐわかるけど、バレエ学校時代とパリ時代は時々どっちかわからなくなったような、ならなかったような、です。
パリで仲良くなった恋人に死なれたお金持ちの女性は、アデルエグザルなんとかさんですね。『アデル、ブルーは熱い色』に出てた。
キーロフバレエの同僚でパリのホテルの同室くんが、セルゲイポルーニンでした。セルゲイもけっこう踊ってます。眼福。だだセリフがほとんどない!
空港での攻防はなかなかサスペンスフルで良かったです。
ヌレエフさんはとにかく自由にしたかったんでしょうね。
それは本当は全然悪いことじゃないけと、社会主義国家では悪目立ちするんだろうね。
レストランで差別されたって怒鳴ったシーンは、意味がよくわからなかったです。そんな怒るとこ?と思いました。
私が無知なだけかもですが…
悪くはなかったです。
男性ダンサーの強烈な美
無音の練習風景では、床を蹴る、飛ぶ、回る、ピタッと止まる、同時に美しく弧を描く指先。ライブステージでは見ることのできないズームアップされたダンサーの動きを堪能できます。勿論、舞台の見所もたっぷり用意されている。
あまりにも有名なヌレエフの亡命が歴史上成功すると解っていても、彼の心の動きを浮かび上がらせながら手に汗握るラストへ。
【愛と哀しみのボレロ】でジョルグ・ドンが演じたヌレエフとは全く違う魅力。
今すぐもう一度観たい映画!
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