ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛をのレビュー・感想・評価
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天才監督現る?
今回最新作の「ゴンドラ」の予告編がすごく気になったので「世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方」に続いてこの監督の過去作を見てみた。これはすごい傑作ではないだろうか。
タイトルはそのものずばり「ザ・ブラ」。定年退職した鉄道運転士が列車に引っかかった洗濯物のブラジャーの持ち主をただ探すだけの内容なのに、なんなんだろうこの結末を迎えた時のすがすがしい感動は。壮大な一大叙事詩を見終わったかのような満足感。アゼルバイジャンの世界遺産キナルグ村を囲む雄大な景色がそう錯覚させるのだろうか。いや、これな間違いなく傑作に違いない。二作見ただけでもはやこの監督のとりこになりそうだ。
ベテラン運転士のヌルランは実直だが孤独な男。その操縦桿捌きは見習い運転手が目を見張るほどのもの。この見習い運転手を演じてるのが「汚れた血」からなるレオス・カラックスのアレックス三部作で知る人ぞ知るドニ・ラバン。もう60過ぎなんだね、すっかり老けてしまって。
彼の運転する山岳貨物列車は民家の真ん中を通るため、いつも住人たちの洗濯物や子供のボールなんかが車両に引っかかる。心優しい彼は仕事終わりにそれらを持ち主に届けたり、子供には新しいボールを買い替えてプレゼントしたりしていた。でもそんな優しい彼に村人はなんだか冷たい。キナルグ人への差別とかあるんだろうか。今日も孤独な彼は一人床に就く。
独り身で年齢を重ねた彼にも村に思いを寄せる女性がいた。両手にいっぱいのプレゼントを抱えて相手の実家を訪れるが、その家の女主人が軽々と持ち上げた一つ30キロはゆうに超えるであろうケトルベルを持ち上げることもできずに、退散する羽目に。彼の淡い恋は終わりを告げたのだった。
定年間近のある日、いつものように車両に引っかかった洗濯物の青いブラを見つける。これこそ彼が運転中にその姿に目を奪われたブラジャー姿の女性が身に着けていたものだった。
退職後何もやることがなく孤独な彼はそのブラのことが気にかかり、その日から彼の果てしのない持ち主探しの旅が始まる。まるで王子がガラスの靴の持ち主を探すかのように。
各家庭を一軒一軒訪ね歩くが年輩の男がブラジャー片手に訪ねてくればたちまち変態扱い、あるいはサイズが合わないのに無理矢理自分のものだと言い張る女性たちまで現れる始末。
怪しまれずに持ち主探しをするため彼はブラジャーの訪問販売を始めたり、あるいは乳がん検査にかこつけて医者になりすましたり、あげくには女性にブラのサイズが合うかどうか寝込みを襲うようなことまでしてついには女性の旦那たちに捕らわれてしまう。
今までのほのぼのとした作品の雰囲気から一転、彼は線路に括り付けられもはやその命は風前の灯火。そこへホテルで奉公していた孤児の少年が間一髪助け出す。
ヌルランの後を引き継いだ後輩運転士ドニ・ラバンも胸をなでおろしラッパを吹き鳴らすのでした。
帰り際にブラと同じ柄のパンティが干してあるのを見つけたヌルラン、彼は持ち主に声をかけずそっとブラをその横に干して立ち去るのでした。彼はもう独りぼっちではない、村に帰った彼は命の恩人の孤児と二人末永く暮らしたとさ。
持ち主はなくしたはずのブラが元通り干してあるのを見つけてこれはきっと天使のいたずらに違いないとほほ笑むのでした。まさかブラの持ち主は一番近くにいたなんて。
孤独な初老の男と恵まれない環境で生きる孤児との出会いの物語を寓話ともおとぎ話ともつかない不思議な味わいを持つ作品に仕上げた。
ヌルランが訪れた村の女性たちは日々強面の夫の下で拘束具のブラジャーに縛り付けられて生活を送っていた。一日の終わりにそのブラを外す時だけが女性たちが唯一解放感に浸れる時なのだという、たぶん。そんな彼女たちがヌルランの前では何の躊躇もなくブラを外す。彼はもしかしたら抑圧的な生活から女性たちを解放すべく現れたゾロアスター教の救世主だったのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。彼によって女性たちはブラを外した時のようなひと時の心地良い解放感に浸ることができたのであった。
本作はただのコメディー映画ではなく抑圧された女性たちの解放をも描いたとてもメッセージ性のある作品であるということを付け加えておこう。
この監督はやはり天才だと思う。私の買い被りすぎだろうか。
タイトルに忠実なお話
チュルパンハマートヴァ出演作品を見たくて鑑賞。ほんとにタイトル通り、ブラジャーの持ち主探しをする怪作コメディ。なんでこんな話思いついたの?そして作ったの?
ブラの持ち主探しをするのはシンデレラさながらのイケメン王子とかではなく、くたびれ気味の中年おじさんで、そんなおじさんがブラジャー持って女性を訪ね歩いたりとか絵的に怪しすぎる。靴下売りの人に想を得てブラジャー売りになりすますためにお店でブラジャーしこたま買うのだけれど、店員の女性の目がおじさんに刺さる刺さる。うん、無理もないね。
それにしても、知らないおじさんの持ってきたブラをそのおじさんの前で試着する女性たちは豪胆すぎる。日本で同じことやったとしたら即お巡りさんこいつですってなるよ。というか、大体の国でそうなりそう。そんなところや街中を鉄道の線路が通ってる風景とかそこで洗濯物干してあったり人々がテーブルと椅子出してくつろいでるような牧歌的な風景もあって、えもいわれぬファンタジー感を醸し出していると思った。
おじさんの行動はエスカレートして、協力者の少年の手引きで夜中女性宅に不法侵入してブラのフィッティングを勝手にやったりするまでになり、街のコワモテ男たちに追い回された挙句殴られて線路に括られ命の危機に晒されたりする。リンチにあってしまう。まあ経緯が経緯だけにわかるのだけど、殺すのはやりすぎ。事なきを得てよかった。
実際にやったらアウトな事をおじさんはやっているわけだけど、先にも書いたようなファンタジー感がこの作品を成立させていると感じた。色々な女性の様々な大きさや形の胸部が出てくる。私は女性にも女性の胸にもセクシャルな魅力を感じるタイプではないから、そういう場面で好色な気持ちになるとかはなかったし、おじさんをキモいとかも思わなかった(繰り返すけれど実際にやったらアウト)。おじさんに好色さを感じなかったからかもしれない。とにかく観てよかった。面白かったです。
まさかのレッド・ツェッペリン(とかなんとか)
ファイト・ヘルマー監督の志向はキートンやチャップリンのようなスラップスティックだと思うので、台詞なしというのは「ツバル」への原点回帰として納得できる。
荒涼たる風景の中、岩肌にへばりつくようにたたずむ小さな村。列車が一日に何回通過するのか知らないが、線路の上で洗濯物を干したり、お茶しているのも奇天烈な設定で、監督が頭の中に仮構した世界なのだろう。犬小屋で暮らす少年というのもすごい。
パンタグラフが架線に接触する火花から始まる判で押したような毎日から解放された機関士の主人公は、ブラジャーの持ち主探しに奔走する。訪問販売や偽医者のくだりはほとんどコントだが、このあたりもう少しウィットがほしかった。
転轍手役のチュルパン・ハマートヴァは、「ツバル」から早20年。年齢のせいか、今作ではセクシー担当から外れたのが残念。でも、まだまだおきれいです。
副題はまさかのレッド・ツェッペリン?
アゼルバイジャン
『旅のおわり世界のはじまり』でもそうだったが、カスピ海周辺の風光明媚な地形は代え難い世界遺産そのものであることを再認識させられる背景で繰広げられる“シンデレラ”の現代版といった作品である。そして最も特徴的なのは台詞が一切無い(指し示す短音のみ)縛りで物語を遂行してゆく演出である。二年前の東京国際映画祭で、日時の都合で鑑賞出来なかった本作がこうして配給が出来た事を関係者に感謝する。台詞がないだけできちんと効果音や劇伴、挿入楽曲は乗せられているので、日本のサイレントムービーとは趣が変わっている。コメディーを前面に出しつつ、ラストは違った展開に移行していくのもよく練られた脚本である。細かい所ではツッコミどころは否めないが、リアリティがベースではなくあくまでも寓話としての濃度を高めたので、現実の旧ソ連邦の社会問題がテーマという押し出しはそれ程鼻につかない。あくまでも“ブラジャー”を通して、理想とする家族を構築したい独身且つ定年が訪れた機関士のプチ冒険譚といった設定である。オチも、ポイントスイッチを手動で切り替える女性鉄道員のブラであったという顛末は、単体では余り重要性はない。探していた宝物がラストでカラスにさらわれるみたいなものだ。あくまでも男には理解出来ない“ブラジャー”の重要性を、機関車に引っかかったブラを持ち主に返し、あわよくば伴侶にしたいという下心からの転がしなのである。
そもそもなんで下着であるブラジャーには細部に施された刺繍も含めて、あれだけのデザイン性に包まれているのだろうか。芸術的な程その上質な飾りに、女性の存在感を圧倒的に担保する説得力なのであろう。そしてそのデザインはブラ単体ではなく、パンツとタッグを組むことでより美しさが補完される。それは正に単体では存在をあやふやにさせる社会性を、上下がトータルとして結びつけられることで補完し合う人間社会を表現しているのである。それは男女の結びつけとは限らず、本作のように違った家族形成も又、一つの解答例だということを示唆する。毎日の仕事だけに従事していた男は気付く。世界はこういう風に動いているのだと。その純真無垢な性格故に数多く傷つき、しかしそれでも偶然に出会った孫と同等な年齢の子供を引き取る事で、自身も又、第二の人生の意義を見出す帰着は、ブレずに筋を通した男の一本気に共感を持たざるを得ない。女性のしぶとさあざとさ、そして男の傲慢さ、そんな裏の社会を散々体験した男のささやかな抵抗でもあるような深層も感じた本作である。
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