峠 最後のサムライのレビュー・感想・評価
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夕陽に向かう一羽のカラス
上映開始早々、緊迫の大政奉還のシーンが9分弱。これは「坐して聞け」という解釈で良いのでしょうか。映画ですが「見ろ」ではなく「聞け」と。
黒澤映画の血統とするならば、「乱」以来の戦の映画ということになりますか。「乱」のリアルな戦国の映像に大いに白熱しましたが、もはや武士が終焉する時代、戦場には銃声ばかりが鳴り響くのですね。そこは河井継之助、思い切りの良い奇襲作戦で、抜き身で敵に挑んでいく姿は、正しく最後のサムライの姿。
そんな壮絶な映像を見せつつも、カタルシスの強い映画だったと思います。気を引き締めておかなければ一語一句を聞き逃してしまいそう。冒頭の大政奉還は情勢の説明では無く、如何なる映画であるのかを説く、そのための緊迫感だったのか。
戦場の緊張も平和な日常があればこそ。松たか子さんが演ずる、おすがさんがとても良かった。デコピンされて芸者遊びにつれていかれ、盆踊りを踊らされるときの苦笑いw
それにしても、前半で語るカラスの話は素晴らしい布石だと思いました。どんな壮絶な最期かと思いきや、夕陽に向かって飛ぶカラスが、それを暗喩した表現であったのか、と。
多くの命を預かる真のリーダーとしての役割を、再考させられた。
小泉堯史 脚本・監督による2022年製作(114分/G)の日本映画。
配給:松竹、アスミック・エース、劇場公開日:2022年6月17日。
司馬遼太郎の長編時代小説「峠」(未読)が原作。河井継之助(1827〜1968)のことは、名前ぐらいしか知らずじまいで、興味深く見ることは出来た。
映画で描かれていた前史になるが、河井継之助は、1865年郡奉行に就任したのを機に藩政改革(風紀粛正、農政改革、灌漑工事)を行って窮乏する藩財政の立て直しをはかるとともに、1868年兵制を改革してフランス軍に範を取った近代的軍隊を設立。映画でも登場したが、当時の最新兵器であった連射可能なガトリング砲2門(当時日本に3門しか存在せず)を所持していたらしい。
戊辰戦争が起こり藩論が佐幕か恭順かで二分すると、家老に就任した河井は藩主の信任のもと恭順派を抑える一方、佐幕派にも自重を求め、藩論の決定権を掌中に収めた。さらに、新政府軍からの献金・出兵要請を黙止し、会津藩などからの協力要請に対しても明言を避け、中立状態を維持。
映画は、継之助(役所広司)の藩主歎願書を持参しての新政府軍監だった土佐藩の岩村精一郎(吉岡秀隆)への講和談判(小千谷の慈眼寺、1986年6/21)、それが決裂しての新政府軍との「北越戊辰戦争」を中心に描かれていた。
とは言え、戦いはなんと言っても多勢に無勢で、分が悪い。唯一、敵の意表をつく八丁沖渡沼作戦を実施しての、長岡城奪還(7/24)が見せ場というところか。この地を知り尽くしている鬼頭熊次郎(櫻井勝)を先頭にしての河井主導の渡沼作戦。ただ、奇襲作戦の最中、河井は左膝に流れ弾を受け重傷を負ってしまい、それが命取りになってしまう。
原作も映画も、非戦中立を試みたが叶わず、サムライの義(徳川家への恩義、薩長の非正統的やり口への義憤、及び会津藩への共感?)を重視して、新政府と闘った河井をかなり評価している様に思われた。ただ自分は、勝ち目のない攻撃を米国に仕掛けた大日本帝国のリーダーの決断との類似性を感じてしまった。長岡藩の意思決定権者として、家臣・その家族及び住民に大きな犠牲を強いた、勝てない戦争の意思決定は、独善的で間違っていたのではないかと。
対照的に、あまり世間では評価されていない気もするが、徳川御三家・尾張藩のトップ徳川慶勝は、倒幕か佐幕かに二分された世の中にあって、藩論を一本化し(反対派家臣の切腹も強いたらしいが)、新政府の一員として戊辰戦争勝利のために奔走。東海道や中山道沿いの諸藩を政府に帰順させることにも成功し、結果として多くの臣民や住民の命を守った。河井継之助だって、同様なことが出来たはずと。
監督小泉堯史、原作司馬遼太郎、脚本小泉堯史、製作大角正 木下直哉、エグゼクティブプロデューサー黒田康太、小助川典子、プロデューサー伊藤伴雄、 関根真吾、共同プロデューサー住田節子、撮影上田正治 、北澤弘之、照明山川英明、録音矢野正人、美術酒井賢衣装デザイン、黒澤和子編集、阿賀英登音楽、加古隆主題歌、石川さゆり主題歌(作詞)、阿木燿子
主題歌(作曲)、加古隆音響効果、柴崎憲治俳優担当、鈴木康敬殺陣、久世浩、VFXスーパーバイザー戸枝誠憲、アシスタントプロデューサー中治人、音楽プロデューサー高石真美、
助監督酒井直人、制作担当佐藤龍春。
出演
河井継之助役所広司、おすが松たか子、お貞香川京子、河井代右衛門田中泯、松蔵永山絢斗、むつ芳根京子、小山正太郎坂東龍汰、川島億次郎榎木孝明、花輪求馬渡辺大、松平定敬矢島健一、山本帯刀AKIRA、徳川慶喜東出昌大、小山良運佐々木蔵之介、月泉和尚井川比佐志、老人山本學、岩村精一郎吉岡秀隆、牧野忠恭(雪堂)仲代達矢。
『命なんて、使う時に使わぬと意味がない』
『命なんて、使う時に使わぬと意味がない』
僕の祖先は長岡藩出身なんだけど、
百姓一揆の扇動者とも言われた位、出鱈目な人生だったようで。
カワイさんを恨んでいた様だ。
実際に聞いたわけではないので、ミュンヒハウゼン症候群の様な我が祖父から聞いたの話である。
その爺さん曰く。足尾銅山で仕事をしたあと、蟹工船に乗って、吉原のジョロ屋で婆さんを足抜けさせた♥って、出鱈目極まりない事を言っていた。
彼の愛読書が『大菩薩峠』である。
ハッ♥
その息子の我が亡父は酔っ払って、白虎隊を歌うやはり酔っ払いと鶴ヶ城の前で、喧嘩をしていた。
我が男系は、おかしきサムライ気取りの百性出身者である。
こう言ったお侍さんが死んじまったから、日本は侵略戦争を繰り返し、挙句の果てに自国の民までも犠牲して、こてんぱんにアメリカにやられて、敗戦後はその庇護の元、プライドもなく、金欲に走って、経済動物とまで蔑まれたわけでしょ。黄禍なサルだよー。そう言われて、何がサムライだよー。
く~るゥNIPPONじゃん!
❇️地味だけど伝えたい事が解る無骨な幕末ストーリー
峠 最後のサムライ
🇯🇵1867年
大政奉還後の西と東の戦を未来の日本の為に、まとめたい長岡藩の河合継之助が主人公。
300年の徳川の歴史を伝え、薩摩長州の圧を中立で支え、日本の未来を解く事を思想としていた。
日本が世界に飲まれぬ為に、徳川歴史260年の歴史に終止符を打ち大政奉還する。
しかし、薩摩や長州は止めを刺す為に、更なる戦争を仕掛る。(鳥羽、伏見の戦いや戌辰戦争)
1869年戌辰戦争
主に長州、薩摩、土佐藩の新政府軍と旧幕府軍の戦争。
圧倒的な勢力に翻弄される長岡藩。
最後の武士の心を世に解く。
燻銀史劇ストーリー!
❇️地味だけど伝えたい事が解る無骨な幕末ストーリー
◉67点。
★彡役所広司さんの全面ありきの本格幕末映画。
🟢感想。
1️⃣髭すら自分で剃らない時代なのか⁉️
★彡男尊社会恐るべし!
2️⃣長岡藩の兵力がリアルに弱小感。⭕️
★彡これは本当に負けると解っていて、物凄く怖い感覚を覚えた。
3️⃣燻銀な映画でした。⭕️
★彡役所さんありきのエンタメテイスト無の無骨な映画でござんした。骨太でありしんす。
🈲ネタバレ保管記憶用
大政奉還後、東西の戦いを避けてきたワイの長岡藩。戦わずの想いが伝わらず、戌辰戦争が始まってもうて、ワイもホンマ困った。
しなぁない、長岡藩はサムライの魂を魅せるしかあらへんかった。
一度手放した長岡城を湖から攻める秘策で取り返したってんよ。たったの4日で取り返されたんやけどね。まったくどないやねん。
ワイは足を負傷し、弱って行く一途を辿る。
自分の終わりが見えてきてしもうた。
これからの日本はホンマ楽しくなるはずやねん。ワイはお終いやねんから、燃やしてもらう事で頼んだんねんな。ほなさいなら🖐️
★彡心さえ残れば死は怖へんで。知らんけど😁
いくら役所でもさぁ
司馬遼の小説家が元ネタ。戊辰戦争の中、なんとか「民を巻き込まぬように戦は避けるべき」と言い張った長岡藩家老河合継之助の生涯。
とにかくいうことやること全部カッコいい。そりゃあ役所広司だもん。自らが民兵の盾となって機関銃砲を放射しまくり、切腹覚悟で薩摩藩とやり合う。『城は建物ぞ、打ち捨てて構わん、民を生かせろ!』そして被弾した脚を破傷風が襲い、自らを荼毘に伏すための焚火を見ながら息絶える…。
カッコ良すぎでしょう。
元々司馬遼の小説(そう、あくまで「小説」)ではホントなら?が山なすキャラでもヒーローにしちゃうから怖い。この河合継之助も、実際は当時最新鋭の大砲を買い付けており、その原資を作ったのは急落した米相場を買い叩くことによって、だったというのだから。ということは「非武装平和論者」でもなく、まぢブローカーまがいの輩でもあったみたいじゃん。小説には書かれているのかなぁ。
100%のヒーローなんて居ないのよん。
原作は好きだ
10年以上前に原作は読んでとても面白かった。長大な原作の前半は河井継之助が江戸に上京する若い頃の話でとても面白いのだけどそこはばっさりカットで、戊辰戦争からを映画化で、ダイジェストにするより正しい判断だ。
バルカン砲がそれほど威力を発揮していないのも原作通りで、原作で新発田藩にムカついたのもそのままムカつく。
悪くはないけどそれほど感動や興奮はない。
理念で映画を作ってはいけないのではないか?
(完全ネタバレですので映画を見てから読んで下さい)
正直、主人公の河井継之助(役所広司さん)が何がしたいのか伝わって来ませんでした。
徳川家との義を全うするために自らの命を懸ける訳でもない。
民のために恥を捨て、頭を垂れて新政府軍の西軍と交渉する訳でもない。
(あのような、我を通しながら相手に譲歩を迫る交渉の仕方で上手く行くはずがないのは当然ではないか、と半ば呆れて見てしまいました。しかも思慮工夫なく長々と‥)
新政府軍の西軍にも旧幕府の東軍にも属さない武装中立を目指すとか言いながら、その現実性に責任を持ってるとも思えない。
新政府軍の西軍との戦いで退却し城を捨てよと命じた後に、再び城を取り戻すと決起し、しかも4日で再び城を失う。その一貫性のなさ。
ガトリング砲で西軍を蹴散らしながら、のちに城奪還のために戦う時には銃を使うな!と正反対の指示をする。
正直、観客の私からは、河井継之助の言動はあらゆる主張が支離滅裂だと思われました。
挙句には「自由と権利」が大切との主張をしますが、その前に、義を通すとか、己を捨てて部下や民を守るとか、やるべきことが山のようにあるのではないかと思われました。
このような理念スローガンだけ唱えるやり方では、当然、民も部下も守れず、このような最後になるのは目に見えていたと思われます。
最後の自害の場面もしっかりとは映されず、あらゆる場面描写から逃げている映画と残念ながら思われてしまいました。
さすがに司馬遼太郎氏の原作はきちんとした描写がされていると思われます。
であるならば、脚本を書いた小泉堯史監督の責任が本当に重たいと思われます。
小泉堯史監督は次作はしっかりとした脚本家に任した方が良いと思われます。
黒澤明監督もこれはいかんと思っているのではないでしょうか。
役所広司さんをはじめとして役者の方々の演技は素晴らしかったと思われます。
映像からもスタッフにも問題あったとも思えません。
つまりひとえに脚本の問題が大部分だったと思われます。
映画も人間も、空虚な理念やスローガンを掲げて描いてはいけないと思われます。
その問題が露骨に表れた映画だったと残念ながら思われています。
空虚な理念やスローガンをまず捨てるところから始められることを願っています。
なんか惜しい
長岡戦争に入るまではワクワクもしたし期待感もあったのだが、戦争に突入せざるを得なくなってから、ただ時間が流れていっただけだった。
役所さんの継之助良かったし松たか子の奥様も良かった。
で結末があの終わり方?😅
炎を見つめてナレ死 それは感情移入できないでしょう。
なんか惜しいなぁ(>.<)y-~
静かに渋い映画だけど、熱くなれない
とにかく日本映画界の重鎮を集めたみたいな顔ぶれ。
渋くていいんですけど、主人公のこだわりがいまいちわからないというか。
大金をかけて武装や、西洋式兵隊の教育をしているかと思いきや、戦争をしないというこだわりがある、主君(仲代さん渋い)が徳川に忠誠を使いたいという思惑にも従う姿勢。
結局幕府側につくことになるわけですが。。。メッセージがころころ変わるような気がして、、もちろんそういう時代なので、その中での武士の在り方・・・ですかね。
長岡藩って幕末でもそんなに目立っていたわけではないので、なぜ長岡なのか、長岡の地元の資金があるのかなとか、そういうことが気になってしまいました。
主人公の何を描きたかったのだろう
幕末に生きた主人公を知りませんでした。
なので物語としてはフラットな状態で観たのですが、この物語は主人公の半生を描きたかったのか?それとも幕末の長岡に起こった戦いを描きたかったのか?どっちなんだろう。
主人公の半生なら江戸時代が終わる前からじっくり描いて欲しかったし、逆に長岡での戦いに焦点を当てるならもっと緊迫感をもって描いて欲しかった。
また最初から大政奉還を描くの?ってことで、主軸がブレてる様にも思えた。そのあとナレーションが流れ、本筋に入るんだけど、この大政奉還のくだりがなぜ必要だったのか?分からなかったし、観終わって不要なくだりを多く感じました。
最後に出演者を考えると勿体ないと思いました。
エッセンシャル版「峠」、ですらなく…
原作は既読です。
原作の、主に下巻部分を映画化。
そのためか、本作の河井継之助の人物像は、司馬遼太郎氏がつくり上げたそれでしたが、北越戦争に至るまでの継之助の行動(上巻及び中巻に相当)が描かれていないために、何故長岡藩の自主独立を目指したか、なんのための戦いだったのかがイマイチ分かりにくくなっているなと思いました。
やはり文庫本3冊分の原作を、映画で、しかも2時間以内でまとめるには、継之助の人生の集大成である北越戦争に絞って描くことが最良の方法であったのかもしれませんが、それにしても時間が足りなさすぎの感がありました。
その北越戦争にしても、戊辰戦争における激越な戦闘のひとつに数えられる戦いなだけに、凄惨さを感じさせる描写を期待していたのですが、戦闘シーンも殆ど無く、肩透かし。
特に残念だったのは、信濃川から西軍がやって来た場面。
原作では折からの豪雨で増水した信濃川が天然の防御壁となり、西軍の進行を阻んでいたため、よもやここを渡っては来ないだろうと考え、兵力をあまり配置していなかったからこそ、そこから西軍の大群が押し寄せたために継之助の驚愕に繋がるのですが、本作では豪雨の描写は無く、平素の信濃川であり、すんなり渡って来られたように受け取れる描写で、継之助の驚愕の意味が分からなくなっていました。
そもそも、「峠」である必要があったのか?
「峠」であらしめるためには、連ドラにすべき案件。
映画化における最適解であるものの、そのせいでとても浅い作品になってしまっている気がして、とても残念でした。
[以降の鑑賞記録]
2023/09/09:Amazon Prime Video
教育テレビのソレ
長いこと延期されていてようやく公開され今作。予告の時点で絵面があまり映画っぽくなかったので危惧はしていたのですが、案の定、いやそれ以上に物足りなさが目立つ作品でした。
・河合継之助の魅力が感じられない
おそらく戦争を止めようと奮起した人物だとは思いますが、全編通して回りくどい演出もあり、ひたすら我慢してるだけの人、そのようにしか自分には思えませんでした。おそらく先頭に立って行動を起こすものとしては優秀だったが、上の人間たちとソリが合わず、軍事力が活かせずに終わった惜しい偉人を描きたかったのが、何があったか舞踊を長く回したりなどもしちゃいますし、なまじチープな絵面が個人的には映画として観る価値があまり無いなと思いました。
・N○Kのよう
教育テレビのようなナレーション然り、背景で語る映像然り、テレビでやってるんじゃないんだよと強く言いたくなりました。人によっては1900円払って観ているのにPowerPointみたいな編集も?と思いましたし、ズームの仕方もドラマ寄りでむず痒かったです。
音楽も変に盛り上げようとしていて合ってないですし、主題歌もなぜか付け加えてしまったせいか安っぽく思えてきてしまいました。なぜここまで延期したのか?強く思うそんな歴史作品でした。面白くなかったです。
鑑賞日 6/19
鑑賞時間 18:30〜20:35
座席 I-6
滅びゆく運命
今絶滅しかかっている重厚な時代劇。
今なぜ河井継之助で司馬遼太郎なのかという思いはあるのだが・・
ただ、1人の人物を描くには2時間の尺ではとても足りなかった気がした。
なんというか滅びゆく運命が時代劇そのものと少し重なってしまった。
この後は三谷幸喜さんが書く鎌倉殿のような時代劇が主流になっていくのかなと思った。
自分自身この長岡戦争を三谷幸喜が書いたらもっとワクワクするのだろうかと思ってしまった。
時間が足りない感じました
大政奉還から始まるこの映画。原作が大作なので、深堀するには時間が足りない感じ。
同じくサムライの時代が終わると感じている坂本龍馬と違って、長岡藩のなかで改革をしていく彼の考えが伝わりにくかったです。
河井継之助が、来るべき時代をどうしたかったかわかれば、もう少し深みが出たのでは?
なお、冒頭、慶喜が「国民」、「朝廷に返上する」と語っていたのは、時代性を考えると、違和感があり、興ざめでした。
国民は民、朝廷にはご返上奉り、がほんらいでは?
信念
時代か場所が違えば、時代を変えられる程の信念と行動力、粘り強さを持った人物でした。役所さんと松さんの夫婦は本当に似合いで、お互いにかけがえの無い人であったことも良くわかりましたね。悲しい結末であったのに、ほっこりした作品でした。
原作と役者の無駄遣い感が凄い映画
原作を読んでます。
河井継之助のどこが凄いか、どう着眼点が非凡だったのか、それを握り潰した官軍が如何に愚かで後の世に悪影響があったのか(少なくとも如何に被害が甚大だったか)。原作の良さをバッサリカットしたせいで、とんでもない駄作に仕上がってます。
サムライの精神って凄いよね、日本文化は美しいよね、それらの日本の良さが失われつつある現代は嘆かわしいよね…という老齢層のニーズを凝縮しただけのような。演出も何もかも古臭い。そして全く面白くない。
確かに役者陣の芝居は凄く所作が美しいです(演出は自己満足臭が鼻につきましたが)。
画面も綺麗で日本文化の素晴らしさは分かります。
でも、肝心なドラマの根幹部分や見せ方があまりに凡庸でどうしようもない。
戦略の重要なポイントであった筈のガトリング砲も全然大したように見えない。ショボいお荷物にしか。現物はそうでも見せる角度で印象は違う筈。確かにあれで凄い被害が出たんだから。その癖、風景をたおやかに眺めるシーンには尺を取りまくる。静と動、平穏と闘争という対比が際立ってこその演出やメッセージではないのか。
娯楽作品としても歴史的な検証作品としても成り立っていない駄作。
素晴らしい演技の役所広司が気の毒だった。
現代の映画に求められるレベルに全く達してない。誰か監督に助言をする人間がいなかったのか。
こんなので良しとするから日本映画、それも時代劇が駄目になるんだと思う。
夢果てたハイカラ武士
戊辰戦争
1867年大政奉還を行った
江戸幕府15代将軍徳川慶喜は
なんだかんだ政治運営は
徳川家系列で行うつもり
だったが薩長・尾張・越前らは
王政復古宣言により新政府を名乗り
倒幕キャンペーンを展開
旧幕府軍との開幕戦である
鳥羽伏見の戦いが1868年勃発
旧幕府軍の方が優勢と思われたが
徳川慶喜が急に江戸に引き返し
旧幕府軍は総崩れで敗北
歴史には当たり前のように
出てくるがまさに「勝てば官軍」
の諺通り
士族が治めたる日本が変わるために
必要だった戦いと言えるものの
その後の日本を十分予見し
必要だった有能な人材が失われた
悲劇の戦いでもある
司馬遼太郎はこの幕末に
散っていったものの
主従を果たす武士としての
本懐を遂げた男たちというのに
シンパシーを感じる作品が多い
でどうだったか
全体的な質感はTVドラマスペシャル
っぽいもののキャストが豪華
役所広司も悲劇の主人公を
演じるのが板についてますので
安定していました
主人公河合継之助は
今でいう新潟・越後の長岡藩家老
本人は江戸や西洋文化に広く見識を持ち
幕末で侍の時代は終わることを感じつつ
武士として徳川家への奉公を最後まで
守るという板挟みな状況下で
長岡藩の領民のために
最新鋭の武装を揃え新政府からも
徳川家からも「独立」するという
仰天プランをもっていました
これは映画では触れられませんでしたが
江戸の長岡藩の屋敷を処分し得た資金で
暴落した米を買ってきて蝦夷地で売ったり
為替差益で儲けたりなかなかのやり手だった
ようでそうした中でアメリカ人商人から
武器なども仕入れ西洋式の武力もきちんと
揃えていたようです
作中に出てきたガトリング銃なども
ここで揃えたようです
昨今自衛隊はいらないとか
非武装中立とかお花畑左翼活動家が
日夜〇゛カをまき散らしていますが
こうした「武装中立」といった考えは
スイスが有名です
バ〇は中立国は無抵抗だから
軍隊を持ってないと勘違いしていますが
どことやり合っても侵略されない
強力な武力をもってこそ中立を
宣言できるものなのです
作中ではスイスから影響を
受けてるように描写してましたが
たぶん実際はアメリカの
対外的ないざこざには関わらない
というモンロー宣言(1823年)
から来ているんじゃないかと思います
歴史的な考察はテキトーな映画です
まぁ司馬遼太郎さんなので・・
そのため西軍への上納金も払わずに
いたことで迫ってきていた西軍に
真正面から嘆願書をもって
長岡藩はなんにも関わりませんと
臨みますが
(小千谷談判というやつ)
西軍からすりゃ聞く耳持ちません
まぁそりゃそうか
結局新政府の西軍と
旧幕府側の長岡・会津・米沢・桑名藩は
連合として戦うことになります
これが北越戦争となります
長岡藩は精一杯戦いましたが
戦艦6隻とか引っ張ってきて
新潟湾を埋め尽くすように
大挙する西軍にはかなわず
会津藩に落ち延びるうち
継之助は足に受けた銃撃の傷が
元で亡くなります
色々な意見があるでしょうが
後からならどうとでも言えます
ただ言えるのはその時継之助に
最後まで使えた松蔵に
「俺は禄を貰った以上武士として
死なねばならんがお前は何も
ないから商人になれ」と
言いますがその松蔵は後に
「外山脩造」として大阪に渡り
アサヒビールや阪神電鉄の創業
に関わり幼名の「寅太」から
タイガースと名付けられたと
言われている
つまり元をたどれば河合継之助は
阪神タイガースの生みの親かも
しれないのです(?)
NHKのドキュメントみたいに
クッソわかりやすい作戦地図とか
カンペ読みしてるような
目線が気になる仲代達也さんとか
色々映像的には落ち着かないですが
なかなか見ごたえある作品でした
ただ…
時代劇ってほんと減ってきて
こうした映画としてか
NHKくらいしかやってない
現状を考えると
こうした作品で主役級を張れる
役所さんも仲代さん達こそ
最後のサムライ
かもしれませんね
心に刺さらなくて残念。。困りました。
何故。
何故、司馬遼太郎さんの原作で、
役所広司さんが主役で
松たか子さん、佐々木蔵之介さん、仲代達矢さんその他多くの良い俳優さん達が脇を固める作品が
何故こんなにも何も心に刺さらず
心に沁みてこない映画になってしまったのか。。
最初の違和感は、役所広司さんと松たか子さんが夫婦に見えなかったこと。
夫婦より親子か、伯父と姪などに見えてしまい。
(これは松たか子さんが若く見えることに拠ると思いますが)
あと今回の主人公、あまり有名ではないが(私は全然知りませんでした)こんな武士も幕末にいたのかーー!!!!。。と思わせるエピソードが何か薄い。
多分長岡藩として、簡単に薩長に迎合しない、なんなら江戸幕府か朝廷かよりも視線は世界に向けられているというところが
劇中で説明はあるものの、見てて実感が湧かない脚本や演出だったと思います。
まるで坂本龍馬のように、「日本国内で争っている場合ではない、日本は一つにまとまり、早く世界で同列に渡り合えるくらい国民を教育し、平和な世の中に!!」と説く人がいた、というような予告編から感じられる主人公のスケールの大きさ、先見の名の深さ、グローバルな視点、俯瞰で日本を見られる凄さ。。。のようなものが、表現しきれてなかったと思います。
オルゴールを横浜から取り寄せるとか、
佐々木蔵之介さんの息子役の武士の青年が絵の才能があると知り「これからの新しい世の中では武士の枠にとらわれず、好きな道を極めてそれを仕事にしていくのだぞ!」という武士らしからぬ現代人のような新しい感覚とか、
劇中で一応表現はされているのに。。
何故か見ていて心に響いてこない。
主人公は芸者遊びが好きで、それが嵩じて妻の松たか子さんまで芸者のいる店に遊びにこさせて一緒に踊る場面。。。すみません、いまいちこの主人公の伝えたいエピソードとして必要なのか疑問に感じました。しかも役所広司さん、松たか子さん、芸者さんの3人で座敷で踊る場面の尺が長い。うーん、せいぜいちょっとだけ出して少し変わってる性格の武士だった、程度に留めたほうが良かったような。全体の話には全然関係ない場面だったので。
松たか子さんが、オルゴールをしんみり聴く場面もちょっと間延び。セリフがあるわけでもなかったので時々挟まれる待ち時間の長い場面が冗長でした。
嘆願書を昼くらいから夜までずーっと受け取りを願い続けたところ位が、信念を貫く武士の表現だったかと思いますが、主なエピソードがそれくらい。
ガトリング砲は一度に360発撃てる凄物というわりにはめちゃめちゃ小さくて、うーんこれあと2つ位買い増しても言ってたほど大した戦力じゃないじゃん!!って残念でした。。
知られざる伝説の武士が見られるかと思ったけど、多分原作を読むだけならきっと興味深かったと思いたいですけど。。「映画としては」残念な作品でした。
「時代」と戦った「武士」の物語
司馬遼太郎先生の名著「峠」の実写映画。
江戸から明治という大きな時代のうねりの中、「時代」と戦った長岡藩家老河合継之助の物語。
司馬先生の歴史小説は好きで昔はよく手に取っており、本作も過去に読んだことがあり、この度実写映画化ということで鑑賞。
時代の流れを読み、小国長岡藩の軍備の近代化に努め、「藩の独立」という先見の明を持ちながら、「武士」としての生き方に殉じた男の最後の生き様を描く。
私はただの浅ーい部分での「歴史好き」「映画好き」おっさんなので、原作と史実の違いだったり、時代考証などを語る学も知識もないが、昨年の10月に公開された、同じく司馬先生著の「燃えよ剣」が比較的アクション多めな内容に対し、(ガトリング砲という目玉はあるものの)武士という生き物の生き方に焦点をあてた作品という印象。
「燃えよ剣」にも言えることだが、原作を読んでいないと内容や話の流れを理解できないため、鑑賞するなら原作を読んでからの鑑賞をお勧めする。かく言う私も、原作を読んだのはかなり前だったため、細部の理解がいまいちな部分があったのが悔やまれる。
歴史小説が原作ということもあり、大政奉還~明治にわたる中での戊辰戦争についての最低限の知識が求められるため、はっきり言って万人に刺さる映画ではないかとは思うが、逆に歴史好きな方には是非おすすめしたい。
キャストはほとんどチェックせずに見てしまったが、個人的には主演の役所広司をはじめ、俳優陣の演技はとても良かった。
最後に、長岡城撤退の際に、城を「ただの建て物」と言い放つ継之助が、個人的に一番ツボでした。
真実を尽くして行動する姿が印象残る
司馬遼太郎さんと言えば大河ドラマで最多の6回原作となった歴史作家の大家だが、登場人物や背景を少々デフォルメする傾向があり、司馬史観などと呼ばれる独特の世界観を築いた。その影響が生んだ最たるものが坂本龍馬と今作の河井継之助の小説での人物像だ。
河井に扮する役所広司は実年齢が撮影当時かなり上だったせいもあるのか、描かれるのは最晩年の北越戦争だ。河井が当初目指した『武装中立』を理想とし、独立的構想が不可避だったように描くが、実際は反対派も多くいたようで、戦争に至った責任の一定部分は河井にあったと言わざるを得ない。その分、河井は総督として自ら日本に3門しか無かった連射式のガトリング砲のうち2門を使って、薩長中心の新政府側にも長岡藩の犠牲と同等なほどの多大な損害を与え、奪われた長岡城を一時は奪還する激戦を指導。自身も最終的に犠牲になることで責任を果たす。(以後、長岡では戦争に導いた人物として長い間恨まれることになるのだが……)
映画では直接描かれないが、後に関西の財界人となった側近を輩出した(それを示唆する伏線は描かれる)ほか、同僚の山本帯刀は処刑されるが、後に再興された山本家の養子に山本五十六がいる。『常在戦場』を掲げて、自分にも周りにも真実を尽くし、嘘のない行動を重ねる河井の姿が印象的だった。
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