「かたちこそ・・・・・」峠 最後のサムライ keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
かたちこそ・・・・・
既に3年前に完成していた本作がコロナ禍により公開が延期され、漸く日の目を見ました。
良くも悪くも基本に忠実に、外連味なく誠にオーソドックスに作られた作品です。
会話シーンはBGMなく静寂の中に声音を画面中に響かせます。あるワンカットを除いて寄せの顔アップのカットは一切なく、観客の目線の高さからの引いたカットで終始します。奇を衒ったローアングルや俯瞰ショットもなく、最近よく見かける手持ちカメラも一切使われていません。
カットは殆どがフィックスで引いた長回しが多用されていて、BGMのない無伴奏の自然のままの、室内での二人だけの抑揚のない会話シーンが、特に前半は非常に多く使われます。
本作は本来的に対話劇ではないので、残念ながら個々の会話に含蓄や凝った伏線もなく、またサスペンス性もなく、主役の河井継之助が相手を変えながらも淡々とした会話のやり取りが繰り返されます。
官軍が襲来して愈々戦さのシーンが始まり物語に大きな変化が出て来るまでに1時間弱の尺を使っていて、観客には退屈で倦怠感が募ってしまいます。
司馬遼太郎原作小説は、独特の司馬史観に基づき、主人公とその取り巻き連の数名から十数名の人となりや生い立ちや成長話を、長期間に亘って丁寧に緻密に描き込んでいき、時には各々のエピソードの膨らみが独立した物語にもなるような、その時々の歴史を、時空も行き来しつつ様々な視点を駆使して描き出しています。
そのために、2時間程度の映像に仕上げるには、よほど大胆で独断的な切り口で脚本化しないと、結果的にテーマが不明確で中途半端な作品になってしまいます。
本作の主人公、越後の譜代大名:牧野家が統べる小藩・長岡藩家老・河井継之助は、幕末動乱の中、佐幕でも勤皇でもない第三の道を模索し目指そうとしながらも、結局力の差で挫折し、哀れにも歴史から消されていった、ある意味で天才的策略家ともいえる一方、時勢を見極めきれなかった愚か者ともいえます。無名の人だけに描き方しだいで如何ようにも捌ける作り手にとっては垂涎の素材です。
原作のように正気と狂気の狭間で沈思し懊悩し熟慮し苦悩する孤高の人に仕立てても良し、巨大な歴史のうねりに大胆に棹差そうとした無謀なギャンブラーとしても良いでしょう。
前述のように、前半があまりにも悠長なテンポで捉えどころなく進行しただけに、後半一気に戦闘シーンばかりが展開し、そのままエンディングになってしまうと、観客は何だか消化不良の印象だけが残ったように思います。
私は、難解ながらも、継之助と妻のおすがによる、倫理を弁えた男と女の、蒼白くも静かに煌々と燃える夫婦愛の物語であろうと思えます。激動の時代の流れに翻弄されなければ、穏やかに睦まじく全うしたであろう男と女の本質が見えてくるのは、ラストに詠われる和歌でした。
「かたちこそ 深山かくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなむ」
悲哀と悔恨が根底にありつつ、気高い覚悟による悟性に満ち、不思議な幸福感が漂う気がします。