劇場公開日 2022年6月17日

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「継之助の凄さがあまり伝わらないのが残念」峠 最後のサムライ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5継之助の凄さがあまり伝わらないのが残念

2022年6月17日
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鑑賞方法:映画館

2019 年には撮影が終わっていて、2020 年公開予定であったこの映画が、ウィルス騒ぎのせいで2年遅れながら遂に公開された。文庫本で3冊ある原作は読了している。司馬遼太郎が 1966〜1968 年に新聞連載したこの小説は、それまでほとんど無名に近かった幕末の越後長岡藩家老・河井継之助の名を一躍世間に広めることとなった歴史小説である。当時の武士には珍しい近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描いている。

まず、継之助の人となり、特にその卓越した先進的な価値観を彼がどうやって身につけ、その上で周囲に認知させるに至ったのかについて、原作小説では実に詳しく書いてあるのだが、それがこの映画では全く欠落している。維新の騒乱から家臣や領民を守るための最良の策は、多くの藩がそうしたように、新政府軍に恭順することであったが、長岡藩は徳川本家の親戚筋であり、主家を裏切る真似は倫理的に出来なかった。かと言って抗戦して勝てるほどの戦力は、僅か6万4千石の長岡藩にはない。そこで考えたのが武装中立というスイスのようなあり方である。

しかも、継之助が修めた学問は陽明学である。明代の王陽明学派の学問で、当時の支配思想であった朱子学に対抗して、思想界の底流にあった思想傾向は継承しながら、人間平等観に基づいた主体性尊重の哲学をたて、万物一体の理想社会の実現を目ざし、心即理、知行合一、致良知といった概念によって実践を尊ぶ情熱的な講学活動を行った。江戸初期には日本に伝わったが、開花したのは江戸中期から幕末で、飢饉の窮民を救うべく私財をなげうって活動した大塩平八郎などが陽明学の信奉者として知られている。

実践を重んじることから、つねに人を行動へと駆りたてるこの思想にあっては、つねに自分の主題を燃やしつづけていなければならない。この人の世で、自分の命をどう使用するか、それを考えるのが陽明学的思考法である。「命などは、使うときに使わなければ意味がない」という継之助の台詞は、まさに陽明学から出た言葉なのであるが、そうしたバックボーンが全く語られていないために、台詞に言葉の重みが欠けてしまっていた。

国家にとっての武装は、核兵器などを見ても明らかなように、使わないために準備するというのが本来の姿である。見せるだけで相手をビビらせるという効果を期待するものであって、その意味ではルイ 14 世が現代に換算して 30 兆円をかけて建設したヴェルサイユ宮殿も、敵の首脳を招待して圧倒し、戦争を諦めさせるために建てられており、戦争抑止力として機能していた。実際の戦争ほど金のかかるものはなく、ウクライナ侵攻でロシアは1日あたり3兆円の戦費を費やしていると言われているので、10 日分でヴェルサイユ宮殿が建ってしまうことになり、むしろヴェルサイユ宮殿は戦争をするより安上がりだったことが知れるのである。

継之助が購入したガトリング砲は、戊辰戦争の僅か6年前にアメリカで開発された当時最先端の機関銃で、当時日本に3台しかなかったもののうち2台を長岡藩が購入したものであったが、砲身の冷却機構がなかったためにすぐに過熱状態となって、あまり実戦には向かなかった。また、強力な武器は敵に奪われてしまうと自分に向けて使われてしまうことになるので、その運用には十分注意を払う必要がある。当時の記録を見てもガトリング砲が大活躍したという記述は見られないことから、局地的に使われただけであったのだろう。

中立を守るためには兵器も重要であるが、兵数も極めて重要である。江戸時代の軍法では、1万石あたり動員できる兵数は 300 名ほどとされていたので、6万4千石の長岡藩は 1,920 名ほどであり、存亡の危機ということで無理に動員したとしてもせいぜいその倍くらいが限度であろう。対する新政府軍はその数倍を送り込んできていた。いざ開戦となった場合には全く敵う相手ではなかったのである。

従って、継之助は全力を注入して事前交渉に当たったのだが、相手が悪かった。新政府軍監だった土佐藩の岩村精一郎は、恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と小千谷の慈眼寺において会談したが、長岡の獨立特行を岩村精一郎が認めなかったのである。土佐の陸援隊崩れのこの男は、継之助の思考レベルには遠く及ばず、新政府軍への派兵と戦費の提供を怠ったことを詰るばかりで、説いて話せる相手ではなかった。アインシュタインの相手に中学生を寄越したようなものだったのである。

中立だと言っているのであるから、攻撃しなければ反撃されず、また敵に回ることもないので、スルーして通過すれば良かったのである。現にスイスはこの立場によって 200 年以上戦争を回避し続けている。せめて西郷隆盛クラスの頭脳を持つ者が来ていればという思いは拭えない。庄内藩との交渉に当たった西郷は、最後まで幕府側として戦った庄内藩に対して非常に穏便な処置で済ませ、その人物的な魅力によって庄内藩の上から下まで丸ごと心酔させているのである。

役者は役所広司をはじめ実力派を集めてあったが、ことごとく総髪の髷を結っていたのに違和感を覚えた。総髪は医者や学者など非戦闘員の髷であり、戦闘員である一般の武士は頭頂部を剃り上げていたはずで、現存する継之助の写真でもそれは明らかである。最近の時代劇はことごとくこの総髪の髷だらけなのが非常に不満である。また、徳川慶喜役は是非草薙剛に演じて欲しかった。女優では芳根京子が印象的であったが、「真犯人フラグ」などに比べると、彼女の良さはあまり引き出されていなかったような気がする。

加古隆の音楽は格調が高くて映画に合っていたと思うが、もう一つ劇的な表現があれば更に良かったと思う。監督・脚本の小泉堯史の映画は、「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」と、いずれも夫婦の映画であることから、本作も継之助夫妻のやり取りにかなりの比重が置かれていたが、その尺を少し削って継之助の近代的な思考法について述べて欲しかったと思わずにいられない。
(映像5+脚本3+役者3+音楽4+演出3)×4= 72 点

アラ古希
アラ古希さんのコメント
2024年9月10日

コメント有難うございます

アラ古希
Kazu Annさんのコメント
2024年9月10日

ルイ 14 世が現代換算30 兆円をかけて建設したヴェルサイユ宮殿が、敵首脳を圧倒し戦争を諦めさせるために建てられ、戦争抑止力として機能していた!
成る程です。とても勉強になりました。

Kazu Ann
アラ古希さんのコメント
2022年8月16日

コメント有難うございました

アラ古希
kazzさんのコメント
2022年8月16日

アラカンさん
映画が語らなかった大事な部分をレビューで記述していただいてありがたいです。
長編の歴史小説を映画化するのは難しいとは思います。史実の部分をねじ曲げずに大胆に脚色するのは難易度が高い仕事でしょう。
ただ、そんなことは承知の上で映画化するわけですからね。押さえるべき点を見誤らないでほしいですね。
ちょっと残念な映画でした。

kazz
アラ古希さんのコメント
2022年6月30日

コメント有難うございました。

アラ古希
はなもさんのコメント
2022年6月30日

こんにちは。
 総髪、ガトリング砲、長岡藩の立ち位置なと、とても勉強になったレビューです😍ありがとうございます

はなも