「狂気へのレクイエム」シネマ歌舞伎 野田版 桜の森の満開の下 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
狂気へのレクイエム
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最高にグッときた。
亡き勘三郎の芸に対する狂気を七之助が体現し、相対する正気を勘九郎が体現し、満開の桜の森という時として孤独な人生を舞台に、歌舞伎へのオマージュと七語調の特質を持つ日本文学へのオマージュがちりばめられた、野田と18世勘三郎の友情と互いへの敬意が感じられる、想いが込められた夢舞台!
人間の内にある狂気。それは時として『好き』という所から誘(いざな)われるものかもしれない。
勘九郎のお父さんの18世勘三郎。
そのお父さんは、明治以来跡絶えていた勘三郎を大名跡に復活させた17世勘三郎。
妾の子であるがゆえに芸に打ち込み、人間国宝となった17世勘三郎と、同じく妾の子であった6世尾上菊五郎の娘を両親とする18世勘三郎も又芸に打ち込んだ。
17世も18世も、その境遇もさることながら、無意識のうちに歌舞伎が『好き』で稽古を重ねたのだろう。血は争えないということか。
好きこそものの上手なれとはいうものの、好きが高じて狂気になり打ち込んだ芸は、芸術に昇華され人々のタマシイを揺さぶる。つまり感動させるのである。
終幕、狂気にとらわれ、鬼の角を突き立てられた夜長姫の七之助は「狂気を忘れずいい仕事をしてください」と言い残して黄泉の国へ消える。
それを受けて偽りの名人勘九郎は「あ、う、わー」と言葉にならず身をよじる。そして、「まいった、まいったー」…
つまり、この舞台は、亡き勘三郎の遺言を、息子たちに改めて伝え直す野田流のレクイエムなのだ。
カーテンコールさえ、徹底して厳粛だ。
さて、改めて父の遺言を感受させられた兄弟の今後の狂気ぶりがなんとも楽しみな、新年度初めのシネマ歌舞伎である。
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