「悪習から女性を解放する第一歩」パッドマン 5億人の女性を救った男 ヨロレイヒさんの映画レビュー(感想・評価)
悪習から女性を解放する第一歩
2001年インドの小さな村で愛妻と暮らし始めたラクシュミ。血=穢れという考えから生理中の女性は家の外に出すのが一般的であり、女性側もそれを当然としている。
ある日、妻が生理の処理に不潔なボロ巾を使っていると知ったラクシュミは、清潔な生理用品を求めて大枚をはたく。しかし慣習に縛られた妻は使用を拒否。それでも町医者にかかる十人に一人は不潔な生理処理によって病気になった女であると知ったラクシュミは、愛する妻や妹達に清潔で安価な生理ナプキンを届けられるようナプキン開発に乗り出す。
しかし旧態依然としたインドの片田舎では、生理について話すこと・男が生理に関わること事態が恥ずべきことだと思われており……
面白い!ビジネス本来の「人の暮らしを豊かにする」ことを価値とした主人公の提案が認められていくサクセスストーリー。
失敗しても、すぐに次の手を考える前向きさを持つ主人公を応援したくなります。
驚くのはこの物語の開始時点で21世紀だという所。おそらく今も場所によって、このような血を嫌って生理を忌避する文化的慣習は残っているのではと思います。
日本でもあまり公にしない恥ずかしいもの、男性には相談しないもの、という風潮はあるので、笑えない部分があります。
パッドマンというタイトルなのでつい「インドの女性を生理の煩わしさから解放した」という点に目が行きますが、途中出てくる暴力夫から逃れて自立のためナプキン工場で働き始める女性のエピソードなどから、この映画の本質は「インドの悪しき風習に縛られた女性の解放の第一歩」というところにあると思います。
風習に縛られているのは男性キャラだけではありません。作中出てくる妻や妹達などもそうです。「周りの目があるから」ナプキンを使うわけに行かない、男性とナプキン製造に関わるわけに行かない。この問題は生理など知らない子どもや女性協力者パリーの登場で解決していきますが、地元は最後でも決してラクシュミの偉業を本質的に認めたわけではないでしょう。「世界的な大きな舞台で大きな賞を貰った栄誉」に酔っているので歓迎されますが、血を汚いと思うこと、男尊女卑がまかり通る風習などは残ったままだと思われます。
そういう意味で、この物語は現代への問題提起の第一歩であると感じました。
描かれるロマンスについて、物語は一見パリーが進歩的な理解ある女性で、妻はラクシュミの気持ちに無理解だと思えます。
ですが、実は彼女は何度も周囲の目を気にしながらもラクシュミに協力しようとしています。実家に帰って家父長制をかさに着た兄にラクシュミとの離婚を迫られてもしなかった。「生理について話すのは恥」という慣習に縛られながらも、彼女なりにずっとラクシュミを想い続けている。それはテレビに出たラクシュミの活躍内容「まだナプキンのこと?」よりもまず彼のしまわれたシャツ「誰がしまったのかしら」に着目するところからも読み取れます。
ラブロマンスの行方としては、そうあるべき二人がくっついた。そうなる方が好きな彼のままでいてくれるはずと、パリーもよろめきかけたラクシュミを明るく突っぱねた。
主人公こそ男性ですが、いろんなしがらみと闘ういろんな女性を描いた名作だと思います。