「ざらざらした手触りでリアルに描いた新しい狼人間ジャンルの作品」ホールド・ザ・ダーク そこにある闇 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
ざらざらした手触りでリアルに描いた新しい狼人間ジャンルの作品
1 映画のキーワード
一見わかりにくい映画のようだが、後で整理してみると、案外シンプルな内容である。
まず、タイトル「ホールド・ザ・ダーク」の意味から。「ダーク」とは人間の心の闇。それを「抑える」、つまり「心の闇を抑制しろ」ということだ。
この点、作品の終盤に猟師ジョンの語る「少し自分の狼を解放しろ。誰でもそうやってる」という言葉から、本作では狼が「心の闇」のメタファーとして使われていることがわかる。
ただ、その闇=狼というのは、普通ならばエゴや悪徳の発露程度のものを指すはずだが、ここでは「狼人間的な凶暴性」を意味するのである。それを踏まえておけば本作は理解しやすいだろう。
2 作品を読み解く
映画は狼の生態に詳しい作家ラッセルが、「幼い息子を狼にさらわれた。狼を殺して欲しい」との依頼を受けたところから始まる。
舞台はアラスカの辺境、依頼をしてきた母親メドラを彼が訪問すると、その夜、彼女はラッセルのベッドに忍び込んでくる。セックスするのかと思いきや、彼女はラッセルの腕を自分の首に回して絞め殺す素振りをする。
翌日、ラッセルは狼を探しに出かけるのだが、帰宅してみるとメドラは失踪しているばかりか、家の中にはさらわれたはずの少年の死体が転がっているではないか。少年を殺したのは母親だったのである。
自分で殺しておきながら、何故メドラはラッセルに狼殺しを依頼したのか。
ラッセルはその後の保安官との対話で、次のように読み解いてみせる。
メドラは息子の中の闇に気付き、彼を殺すことで救おうとした。その闇は彼女にもあるから、今度は自分を罰するためにラッセルを呼んだのだ。
つまり狼を殺してくれ、とは潜在的な自分の中の狼を殺せ=自分を殺せということだ。それならベッドで自分の首を絞めさせた理由も氷解する。ところがそれで死ねる見込みはないから失踪した、ということだろう。
次に登場する狼の持ち主は夫のヴァーノン。彼はイラク戦争で無惨に殺人を繰り返してきた異常者だが、帰還して息子を埋葬するや、妻の捜索に乗り出し、邪魔な警官たちを何人も殺してしまう。
そんな夫の友人はさらに凶暴で、日ごろ恨みを抱いていた警官たちが多数集まってくると、連射機関銃でほぼ全員を虐殺するのである。これも狼の持ち主だ。
ヴァーノンは妻の行方を探し回り、訪問先の人間を軒並み殺していく。ラッセルと保安官はそんな夫婦の後を追いかけ、保安官は殺されてしまうが、ラッセルだけ助かる。ヴァーノン、メドラ夫妻は二人で何処ともなく去っていく。
ラッセルは映画の始めで、狼の群れに囲まれるが見逃してもらえるし、狼人間ヴァーノンにも見逃してもらい、さらに血まみれになったところを再び狼の群れに囲まれるが、やはり見逃してもらう。それは彼が狼を研究し同情的だったからだろう。
太陽が朝10時から午後3時ころまでしか出ていないアラスカの荒涼たる景色と、身体の芯まで凍えるような寒気。そこでの不自由で、法秩序さえ十分に機能していない荒んだ生活ぶり。
それらが最低限の効果音とBGMにより、ざらざらしたリアルな手触りを感じさせるのが快感である。