ポルトの恋人たち 時の記憶 : インタビュー
「ポルトの恋人たち」柄本佑と中野裕太、ポルトガルは第二の故郷
柄本佑と中野裕太が、日本・ポルトガル・アメリカ合作映画「ポルトの恋人たち 時の記憶」(舩橋淳監督)で初共演した。18世紀のポルトガルと21世紀の日本を舞台に、愛にまつわる復讐劇。柄本はポルトガルパートでは言葉を話せない日本人奴隷、浜松パートではブラジル系移民の労働者のクビを切るエリート会社員を演じ、英語セリフにも初挑戦。英語、イタリア語、フランス語などを話せる中野は約1カ月半でポルトガル語を習得。新境地に挑んだ2人が語り合った。(取材・構成・写真/平辻哲也)
柄本 中野さんの第一印象は和製ニコラス・ケイジ。ヤク中の刑事をやった「バッド・ルーテナント」(2009年)の時の雰囲気に似ているんです。
中野 へえ、見てみよう。ポルトガルのホテルのエレベーターで会ったのが最初だね。佑くんはサッカーのベンチコートを着て、ハットで素足に下駄。いびつな感じが半端なかった。現代版「フーテンの寅さん」という感じ。で、背も高いから目立つ。すごく変わった人がいるな、と(笑)。
柄本 自分を鼓舞するという意味で、下駄の初陣にしたんです。下駄は中学、高校と履いていましたね。浮いていましたけど……。
中野 佑くんの尖った感じ、芯がある感じが好きだった。頼りがいのある感じ。最初から印象が好きでした。
マノエル・ド・オリベイラ監督の大ファンの柄本は、新婚旅行でポルトガルへ。中野は役のためにたった1カ月でポルトガル語を覚えた。
中野 準備は本当に大変でした。でも、やってよかった。最初はポルトガル語を話せるか不安でした。英語でコミュニケーションを取っていたんですけども、みんなが優しかったこともあって、少しずつ慣れていった。
柄本 驚きましたね。セリフだけじゃないんかい、って。ポルトガル語でポルトガル人と喋っている。脱帽ですよ。しかも、頭の中で咀嚼して、「こうやってくれ」と言えるんです。ポルトガルの現場で、安心していられたのは明らかに中野さんの力です。
中野 佑君は芯の強さに、パンク精神もあった。だって、下駄で乗り込んできたんですよ。心強い。相棒がパンク精神でブレないで、四つに組んでいると、俺としても大きくいられた。距離感などもどこか似ているのかも。ちょっと戸惑ったと言えば、会った時に「でけえ」と思ったくらい(笑)。
撮影は2016年11月から12月まで、世界遺産ギマランイスをはじめ、ポルト、ブラガ、ペニシェ、静岡県浜松市で行われた。プロデューサーは故オリベイラ監督ら4人の巨匠監督によるオムニバス映画「ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区」(2012)のロドリゴ・アレイアス氏だった。
柄本 ポルトガル映画は普通、1日2、3シーンしか撮らないそうですが、そこに日本のスケジュールを持っていって、毎日7シーンくらい撮る。でも、スタッフは焦らないし、おおらか。かけられる時間は少なくなるけど、ワンシーンにかけるパワーバランスっていうのは全部同じ。手を抜いて早くやるみたいなのはなかった。
中野 ストレスフリーでしたね。馴染むのに時間はかからなかった。監督は「日が落ちる」といって、本当に焦っていたけど、俳優としては緩やかな時間の流れ方で、すごくやりやすかった。
柄本 現場は基本的にはポルトガルのスタッフ、キャスト。ポルトガル語、英語、日本語が毎日飛び交っているわけです。監督は英語でいろいろと言うけど、「今、何を言っていたんだ?」みたいなことがあると、英語もポルトガル語もいける中野さんがリーダーシップを発揮する。監督みたいでした。
中野 (笑)
柄本 ポルトガル人のキャストは中野さんのことを信頼していましたね。監督も時間がなかったら、本当にバタバタしていて、1つ1つ丁寧に説明している時間がない。セッティングしている間は次のことを考えなきゃいけない。でも、こっちはまだ収拾がついてない。そんなとき、中野さんが「集合!」って声をかけて、みんなぞろぞろと中野さんのところに集まり出す感じ……。
中野 必要に迫られてだよ(笑)。監督はバタバタしているし、ポルトガルのキャストはみんなが英語を喋れるわけでもなかったので、置いてきぼりになっちゃうことがあったから。こっちはこっちで芝居を作っていこうぜ、という雰囲気があったのかな?
柄本 ありました。中野さんをめっちゃ信頼し、言うことを聞いていた。
中野 佑訓は英語をすごい頑張っていた。セリフ量も多い。本当にしゃべれないところからやったんだから、あっぱれ。だって、あの時、舞台の「ゴドーを待ちながら」のセリフ覚えもやっていたよね。
柄本 俺、ポルトガルでは喋らない役だったから、空いている時間は全部、英語セリフに当てました。中野さんにも聞いてもらって、アドバイスももらったりしました。奴隷役の服のポケットには英語のセリフが入っていた。
中野 苦労したのはある意味、全部だったけど、日本編を4日で撮り切るのは、結構大変だった。
柄本 こっちはポルトガルのスピードに慣れちゃっていたので、余計に大変だった。日本の撮影のスピードたるや、3倍くらい。
柄本 印象に残っているのは、(ポルトガル編で)背中に烙印を押されるシーン。美術部のスタッフが来てやってくれて、握手してくれた。「痛がり方がよかった」と言ってくれた。外国の方に認めてもらうのはうれしかった。
中野 俺も同じように褒められたシーンがあった。ポルトガル・ギターを弾いて、アナに声をかけるシーン。終わったら、「ユータ!」「ユータ!」とコールしてくれた。いいと思った時に、レスポンスを返してくれるんです。
2人は撮影をきっかけに、さらにポルトガルにハマった。
中野 撮影後に2回行きました。今年4月も。1カ月くらい滞在しました。プロデューサーのロドリゴと奥さんのスザンナとは本当に仲良くなって、いまだに週1くらいで電話で話します。悩んでいる時は毎日のように3時間ぐらい話していたので、ポルトガル語は今の方がうまい。深い哲学的な話や芸術の話や詩の話もしています。
柄本 去年の1月にテレビ番組のロケで行きました。そろそろ行きたいな。次は英語を覚えて、中野さんの負担を軽くできるようにしたいですね。
中野 そういえば、佑君が「ホワイ?」というシーンがあるじゃない。製作チームのツボだったらしく、真似をするのが流行っていたよ。
柄本 やべえ、ギャグ化している(笑)。
中野 ポルトガルに出合ったのは人生ででかい。俺は、オリベイラ監督のことは全然知らなかったし、何かイメージがあったたわけではなかったけど、人たちとは魂レベルで通じるものがあった。
柄本 関係が深まることはあっても、浅くなることはないだろうから、ほぼほぼ第二の故郷ですよね。そのうち、「帰る」と言い出すくらいでしょ? 僕はオリベイラと仕事をした人たちと一緒に仕事したことは自慢です。今初めて聞きましたけど、みんな「ホワイ」のことで、僕のことを覚えてくれるなんて、いいやつらなんだと思いますね。これは別にひねくれて思ったわけではなく。今度、中野さんが行く時についていきたいと思います。