「つじつま合わせに生まれた僕等」楽園(2019) 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
つじつま合わせに生まれた僕等
高層ビルに磔の 価値観は血の涙を流す
消費が美徳の人間が こぞって石を投げつけるから
騙されねーと疑い出して 全部が怪しく見えてきて
人を信じられなくなったら 立派な病気にカテゴライズ
不健康な心が飢えて 悲劇をもっとと叫んでいる
大義名分が出来た他人が やましさも無く断罪する
人殺しと 誰かの不倫と 宗教と 流行の店と
いじめと 夜9時のドラマと 戦争と ヒットチャートと
ふざけた歴史のどん詰まりで 僕等未だにもがいている
結局なにも解らずに 許すとか 許されないとか
死刑になった犯罪者も 聖者の振りした悪人も
罪深い君も僕も いつか土に還った時
その上に花が咲くなら それだけで報われる世界
そこで人が愛し合うなら それだけで価値のある世界
だからせめて人を愛して 一生かけて愛してよ
このろくでもない世界で つじつま合わせに生まれた僕等
amazarashi / つじつま合わせに生まれた僕等 より抜粋
この世に楽園なんて在りはしなのか?
在るとするならば、
それはヒトの拠り所であるこころの中だけなのか?
だがそんなささやかな幸せさえも
人生においてほんの一時に過ぎないのか?
楽園をこころに抱き続けるにはあまりに短い、
こころを膿むにはあまりに長い、時の螺旋状…
それでも、我々は渇望する。焦がれる。
もがき、抗いながら、安息の地を求める…
ギスギスした都会にも、花は咲く。
自然に溢れているが、封鎖的な限界集落。
「どこへ、いっても、おなじ…」
やるせない。ただ、ただ、やるせない…
暴力や戦争を用いて理不尽を表現する以上に
無関心を決め込む社会の風潮に紛れ
声高に主張する煽動者による決め付けが
こんなにも理不尽を生むのかと、ただ、ただ、呆然…
だとしたら、何を信じればいい?誰を信じればいい?
そして、何をすればいい?
わからない。わからない。わからない。
自分の作った楽園に逃げ込むか?
自分しか存在しない楽園に…
それは果たして楽園と言えるのだろうか?
愛するヒト、信じたヒトがいる「この世界」を
楽園だと思うことはできないだろうか?
そんな疑問符を投げかけ続けて幕が降りる…
瀬々監督の過去作『友罪』と同じ構造ではあるが
本作『楽園』は更に人間の集団心理が絡み合う
極上のサスペンス!いやほとんどホラーに近い!
最後まで12年前の事件の真相を明確に語らない
切り口が、様々な解釈を生む。
目を覆いたくなる事件が近年に増し、
各方面のメディアを通じて色々な報じ方がなされますが
我々はその報道をどう受けとめ考えたら良いのでしょう?
加害者が当然悪い。だが被害者に全くの非がなかったと
誰が言い切れるのでしょう…
ひとつの事件が、
社会の歪みを暗示しているのではないか?
社会全体の問題の種が、知らず知らずのうちに
各個人に植え込まれているのではないか?
あなたにとって、社会問題を考える上で補助線を
一本でも増やせるような作品になることを願います。