「現代ベトナム史の暗喩」サイゴン・クチュール よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
現代ベトナム史の暗喩
ベトナムの伝統衣装であるアオザイ(映画では「アオヤイ」と発音されていたように聞こえた)の老舗に仮託した、ベトナムという国や文化の過去・現在、そして未来を描いている。
1969年のサイゴンから始まる物語は、ヨーロッパやアメリカの消費文化が華やかに咲き乱れ、伝統的なものの影は薄くなるばかりのようだ。洋服のデザイナーとして、またその美貌によって我が世の春を謳歌する娘と、アオザイの伝統を背負う母親の対立が描かれる。
その直後の対米戦争や共産主義革命の歴史を知る観客の脳裏には、ベトナムの伝統も西欧の新しい文化も、どちらもが押し流されていく運命が浮かぶだろう。
2017年にタイムスリップした娘は、没落した家業と、荒んだ生活を送る将来の我が身を知ることになる。映画はこの悲劇の原因を、娘が母親からアオザイの仕立て方を習わなかったことによると語る。
しかし、この間のベトナムという国や社会の苦難を思い出さない観客などいるだろうか。
内戦は社会を引き裂き、対米戦争では多くの生命が失われ、過度の社会主義政策は国民経済を停滞させた。
このような中で多くの伝統が失われ、美しい自然が破壊され、社会の紐帯に傷がついたであろう。その結果、いくつもの古い文化が消え、それに携わった人々の運命を変えていっただろう。
映画は直接そのことに触れてはいない。家族がその絆を取り戻し、ビジネス優先から思いやりや信頼を大切にするラストは、暗い過去などなかったかのように、明るく希望に満ちたものである。このことがなおさらこの国の人々の心に、困難な日々を思い起こさせるのではないだろうか。
老舗の仕立て屋はベトナムという国家を暗喩し、それを一度は潰し、いままた、現代のファッションビジネスの流れに乗せて復活させた主人公は、ベトナムの人びとそのものであろう。
「怪しい彼女」と「プラダを着た悪魔」を足して二で割ったような映画のポップな表層とは別に、観客に一つの社会を回顧させることのできる、深層をこの作品は持っている。
限られた数の作品しか鑑賞できないが、今回のベトナム映画祭は、他の作品にも期待が持てる。上映館には、今回だけに終わらせず、台湾巨匠傑作選のように恒例イベントにしてほしい。