「良いところよりも悪いところの方が多い作品」ターミネーター ニュー・フェイト kobayandayo2さんの映画レビュー(感想・評価)
良いところよりも悪いところの方が多い作品
2019年11月15日の深夜に"TOHOシネマズ新宿"のスクリーン9(非ドルビーアトモス上映)にて、オールナイトの最終回を鑑賞。
低予算として誕生し、後に超大作のシリーズとして君臨し、世界中で愛されている『ターミネーター』シリーズ。第一作から35年の月日を経て、劇場作品として第六作目となる本作『ターミネーター:ニュー・フェイト』が製作・公開され、『デッドプール』のティム・ミラーが監督、シリーズの生みの親のジェームズ・キャメロンがプロデュースと原案で『ターミネーター2』以来の復帰を果たし、近年のアメコミ実写作の脚本家として知られるデイヴィッド・S・ゴイヤーが脚本を担当、キャメロンと同じく二作目を最後に出演していなかったリンダ・ハミルトンもサラ・コナ-役で、勿論、アーノルド・シュワルツェネッガーも登場した作品となり、期待と不安が半々の状態で観てきました。
メキシコ・シティに最新のターミネーターである"REV-9(ガブリエル・ルナ)"が現れ、自動車工場で働く女性ダニ-(ナタリア・レイエス)の命を狙うも、そこに未来からやって来た女性戦士グレース(マッケンジー・デイヴィス)が立ちはだかり、ダニ-の窮地を救い、人類の運命を懸けた新たな戦いが始まる(あらすじ)。
『ターミネーター』は個人的に一番好きな作品で、ドラマ版『サラ・コナ-・クロニクルズ』と第四弾の『ターミネーター・サルヴェイション』は残念ながら好きではなく、存在を忘れたい作品なのですが、一作目、二作目、三作目、五作目は愛してやまず、酷評されている三、五作目"シリーズ最高傑作"の呼び声が高い二作目よりも好きなので、今回の『ニュー・フェイト』が"二作目の正統な続編"となっていることに対しては製作されるのが明らかになってからも、鑑賞した後の現在に至っても複雑な気持ちが拭えていません。
作品としては面白い部分もあるのですが、マイナスな要素が多く、それが面白いところを打ち消しているので、楽しめたのは間違いないのですが、これまでの作品と比べても満足度は非常に低く、ガッカリな一作という印象を持ちました。
面白いところは、これまでは一作を作る度に製作会社が倒産し、権利関係の問題なのかもしれませんが、サラのポラロイド写真を除けば回想シーンで過去作の映像を用いるといった事が行われず、そういうのをやるには、新たに撮影したり、声を吹き込んだりするぐらいしかなかったのが、本作では二作目の映像を用いる形で始まり、その続きであるのを明確に示し、この方向の内容である事を分からせていて、三作目以降が無かったことにされているのは心苦しくても、「仕方無いな」と思わせる作りとなっていて、始まりとして正しいと思いました。この部分を含め、良かったところの多くが一、二作目との整合性が図られた作りになっていて、お馴染みのエンドスケルトンや飛行機型ハンター・キラーから発射されるプラズマの音が統一され、劇中のあるシーンでは二作目の砂漠の件で流れていたスコアが殆どそのまま流れ、更に二作目の序盤にターミネーターが服を奪いに現れたバーで流れていたドワイト・ヨーカムのカントリー・ソングも僅かに使われ、「確かに二作目の続きを観ているんだ」という気持ちになり、ニヤリとしながら観ていました。
今回の主役であるグレース、ダニ-、REV-9のキャラクターが良く出来ていて、グレースの設定は観る前は「"ターミネーター・サルヴェイション"でサム・ワージントンが演じたマーカスの焼き直しなんだろうな」と思っていたのですが、そんな事は無く、多少は意識をしているのかもしれませんが、見た目がひょろっとしていて頼りがいが無さそうに感じるものの、戦いが始まると、その印象が一気に覆され、ターミネーターとは違い、弱い部分もある為に、どの方向へ向かうのかが予想できず、そこにハラハラでき、ダニ-に関しても、シリーズ初登場で新たな標的となったことで一作目のサラと同じぐらいの守られる存在かと思っていたので、ピンチのところで役立つ動きを見せ、出来ないことをやってのけたりと、今の時代に相応しい女性キャラとして、どちらも君臨していて、そこに感服しました。REVー9は液体金属製なので、その点に新味はありませんが、二体に分離して、それぞれが独立して行動できるところが面白く、これまでのTー1000よりも表情があり、笑顔で挨拶をしているシーンもあり、そこに不気味さを感じられ、三作目以降では、さほど感じなかった要素が戻っている点もあったので、これも良かったと思えます。
これまでの作品では一作目を除けば、基本的に味方のターミネーターと標的になる親子(サラとジョン)か男女の二人(サラとカイル或いはジョンとケイト)と一体という感じで互いの能力や役割を分担したり、補っていました。これはメインの標的が子供で戦えない、大人でも対処する方法などを知らない設定によるもので、こうなったのは偶然ですが、この二人と一体で成立してきたので、それが基本的な構造と認識しているせいか、普通ならグレースとダニ-がREVー9から逃げて、そこにシュワルツェネッガーのターミネーターが手助けをしに現れるだけで十分な筈なのですが、その役割をサラが行い、初老に差し掛かっても違和感なく戦える設定は良いと思えるのですが、魅力的なキャラになっているグレースとダニ-の存在感をサラが奪い、途中から出てくるターミネーターが関わってくることで、主役が4人と増えてしまい、誰が主役なのかが分からなくなり、ターミネーターもサラも不要で余計な存在にしか見えず、サラは話のなかに必要不可欠な人物ではなく、その役割を『エクスペンダブルズ2』のチャック・ノリスぐらいの特別出演程度にしておけば良かったのにと終始、思いました。リンダ・ハミルトンの復帰は嬉しいですが、これからの作品を支えるキャラの魅力を損なっているので、これは無意味でしょう。
このシリーズの三作目以降は「何処かで、このショットを見たな」と思うのが、よくあるのですが、それは殆どが一、二作目をオマージュ的に再現し、一部の作品を除けば、オリジナリティを保っていました。今は大作におけるヴィジュアル・デザインが枯渇しているのでオリジナリティを生み出すのは難しいのかもしれませんが、キャメロンが関わっているのだから、同じく彼が携わった『アリータ バトル・エンジェル』並みの新味を出すのが理想だと思ったのですが、本作は新味に欠け、更に既存の作品、それも『ターミネーター』シリーズが影響を与えた作品のネタを使っているという、正直、やってはならない事をやっているので、そこを非常に残念に思います。それが何処なのかと言うと、グレースのスーパー・ソルジャーな設定であり、戦う時に薬を注射し、戦いのあとは急激に高熱が出るので、大量の氷で身体を冷やさないとならないというのは『ユニヴァーサル・ソルジャー』の"ユニ・ソル"と同じで、古いネタではあるけれど、パラマウントとディズニー傘下に入った20世紀フォックスが共同で出資し、生みの親のジェームズ・キャメロンが大きく関わっていて、三作目以降を無かったことにしているのに、やっているネタの一つが他作品のネタの流用というのはガッカリに等しいです(脚本のゴイヤーは成り立ての時代にヴァン・ダム主演の監獄アクション"ブルージーン・コップ"の脚本を書いていた人だったので、この設定を彼が思い付いたのなら、納得できるかもしれませんが)。
キャメロンが復帰したこともあり、これまでの人類の救世主だったジョン・コナ-がどのようになるのかが気になっていました。三作目以降は放浪者として日雇い労働したり、人類を勝利に導いた後にスカイネットの手先になったりと描き尽くされた感じはありましたが、キャメロンだったら平和に暮らす30代半ばか後半のジョンを登場させるか、出てこなくても「あの子は人類の未来を救う筈だったから、今はアフリカで人道支援をして生計をたててる」とサラが説明するような展開があるのを半分予想していたのですが、そうではなく、二作目を特に愛してやまないファンをガッカリさせる展開になったので、SFとしては正しいのかもしれませんが、この展開は自分も驚いたので、動揺しました。悪くは無いのかもしれませんが、一作目が特に好きで、サラとカイルの愛の結晶であるジョンがこうなり、それでも新たなコンピュータが別の人物を狙うのだから、全てが無意味になり、三作目のラスト、核シェルターで爆弾を片手に「止められなかった」と絶望に浸るニック・スタールのジョンの表情が脳裏を過り、本作に対しては「こういうのが見たいんじゃないんだ」と思いました。
序盤の工場からカーチェイスまでの件は興奮し、そのアクションの濃さと盛り上がりは『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』のオープニングに匹敵し、「これは最後まで面白いかも」と思わせたのですが、楽しめたのは間違いないものの、余韻は短く、三作目や五作目の興奮や衝撃には遠く及ばず、本作を観る前に先に鑑賞した『ジェミニマン』の方が非常に面白く、それを越えてほしいと願っていたのですが、そうならず、今年の鑑賞作としては『アイアン・スカイ2』に匹敵する残念な一作で、全体的に不要な作品だと時間が経過するにつれて、思いました。