「視聴者への感謝が形となった経験型作品」フレームアームズ・ガール きゃっきゃうふふなワンダーランド 胡上奈生さんの映画レビュー(感想・評価)
視聴者への感謝が形となった経験型作品
劇中の轟雷の台詞にその答えが示され、そしてそれは私のこの映画に対する思いに重なります。
「感情は学習するものじゃなく、経験するもの」
この映画を単体の映画作品として評価するのは私には難しいです。(雑な総集編というのは、筋書きを説明する上では間違っていないでしょう)
しかし、前作テレビシリーズを視聴し好ましく感じた私にとっては、この映画は心を動かされ癒やされる素晴らしいものでした。
この映画の趣旨は、単純に、キャラクター達から視聴者(マスター)への感謝を形にしたものです。
かつて、FAGという商業作品群にこめられた人々の思いがテレビアニメという形をとって表現され、それを応援した視聴者へ、今回改めて感謝を伝えるために、副音声と編集映像と歌とが織り込まれた、視聴者のための映画でした。
感謝の表現方法は決して上手くありません。というよりも本当に素直に直接的に、ありがとうを伝えているだけでした。しかしそれがFAGらしさ、好ましさだと私は感じました。
冒頭の感情についての話に戻りますが、元のテレビアニメ作品の内容は、FAGというホビーロボット製品である豪雷が、女子高生あおの元に届き、共同生活を通じて感情を一つずつ学んでいく、という筋書きでした。性格が違う仲間のFAGも集い、賑やかに平和に楽しそうに暮らしていたところに、異なる製造意図をもって造られたFAGフレズベルクが投げ込まれ、問いかけが生じます。ロボット製品に人間のような感情を持たせることが必要か、それとも感情に拘泥するのは愚かな行為であり、製品にとってはただ高められた性能と実績こそが重要であるのか、と。
SF作品としてはもはや問われつくした人道的価値観の再確認かもしれません。しかしホビー製品であるFAGは現在も進化を続けており、その進化の先には何を設定されているのかという観点からは、この問いかけは重要かもしれません。それは製品を購買する消費者である私たちの選択を問うものでもあります。私としては、FAGのようなかわいく格好良く、生活の中に潤いをもたらしてくれる作品に対しては、何よりもまず人間の感情への理解と共感を求めます。
ところで、映画を見に来る人たちは何のためにその映画を見るのでしょうか。毎日ひたすら、面白く、興奮する、表現が素晴らしい、次世代に残るような傑作映画をいち早く発見するために来るのかもしれません。一方で、今回私がこの映画を見ようと思ったときのように、日々の迷い、疲れ、不安から立ち直るためのきっかけが欲しかったりするのかもしれません。
前者は学習型、後者は経験型とすれば、この映画は間違いなく経験型でした。表現そのものは拙くとも、効能効率は度外視して、視聴者自身の感情に寄り添ってくれるものでした。そのため万人向けではもちろんありません。しかしFAGを好きでいる人に向けてはきわめてマッチする作品であったと思います。