デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆のレビュー・感想・評価
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何の根拠もない無責任な妄想の押し付け
最初にこの映画のpvを見た時、大人になるとデジモンと別れるという「02」の内容と矛盾している事を言っておりかなり不安だったのですが、レビューに高評価が多かったので何か納得できる理由があったのではと思ったのですが…
いざ視聴して見ると未来への無限の可能性を失うからという子供騙しのしょうもない理由で、これを聞いたとき真っ先にドラゴン桜の主人公の演説の中にあった何の根拠もない無責任な妄想の押し付けという言葉が正にそれだなと思いました。
Triで大転けしたから矛盾した後付け設定付けてデジモンと別れるお浪だ頂戴の薄っぺらいラストにしようとしたのが直ぐに想像出来ました。
だからテレビシリーズを手掛けていた角銅さんも降板したのでしょうねぇ…
ストーリーもかなり雑でご都合主義な面が多々ありました。
この映画が「02」のエピローグ25年後に繋がるなら結局デジモンとは再開できるので別れさせた意味は?それ以前に25年後はすべての人類にパートナーデジモンがいるのにこの映画では大人になると未来への無限の可能性を失うからパートナーデジモンが消滅するって…
この設定で25年後の未来に繋げるにはかなり無理があるのでは?繋げるにしてもかなり強引になると思うのですが…
戦闘&BGM良 大人にだって可能性あるんじゃないの??
今更ながらアマプラで視聴。
かなり良かったけれど、どうもモヤる部分も。
一番モヤるのはメノアの英会話。
〇良かった点〇
戦闘シーンのこだわり (OPは特に見ごたえ抜群)
BGM (メノアのデジタル世界での戦闘は鳥肌が立った)
戦闘の演出(進化バンクやBGM)は初代寄り。久しぶりに見る人にも優しい
電脳空間での戦闘
動きのモーションが滑らかでよい、ギャグ顔(?)も自然だった
余計な会話を挟まない(場違いな発言が少ない)
気持ちをしまっておかずにちゃんと口に出して言うところ(triで超気になった部分)
情報をきちんと共有するところ(一部の人物は除く)
心情と背景状況がマッチしていて入り込みやすい
02勢の活躍(さんざん文句言われてた部分、ただしタケルとヒカリは合流しない謎)
別れと成長をよく90分でおさめたなと思えるストーリー
パートナーデジモンが𠮟咤激励飛ばすのは大変ぐっと来た
サイコな悪役が良い・それなりに救いがある
●気になった点●
1.劇中での違和感
今作は前映画triの流れを継いでいる作品という前提で進めるなら、太一達は既にパートナーデジモンたちとの再会を果たしている(一応、別れも)。だからこそ、最後まで別れに抗おうとしない姿勢が不思議だった。
それこそtri6章でゲート作るために身を粉にしてきた光士郎が何徹してでも止めるんじゃないの?とさえ思った。空に至っては家に閉じこもっているだけ、もはや出番云々言ってる場合じゃない。その姿勢こそ問題。
triの流れを継ぐにせよ別世界線で進めるにせよ、半生一緒に過ごしてきたパートナーに対して、というよりデジモンの存在そのものに対して、気持ちが薄く感じた。
2.別れと成長を90分でおさめたからこそ出てしまう描写不足
別れてからの喪失感から立ち上がって前進するまでが描かれていない。夏からいきなり春に飛ぶのはちょっと…?丈空ミミをはじめ、あとは脳内補完してね!ということなのだろうが、そもそも選ばれし子供たちは8人、それぞれパートナーデジモンとの関係性も違うんだから、ちゃんと描いてほしかった。この、涙を流しきれない感じをどこへしまえばいいのか…。
別れてしまうけれど大人になってどうにかして再会する。この流れだけ汲み取れば、よく言えば王道だけども、ロケット背景にポーズ&スーツ姿でダッシュじゃ、何をどうするかどうやって会うのか何になるのかとか諸々、02知ってる人にしか伝わらないし、「何かすごいことするんだろうな」程度になって、いまいち絆が見えてこない。丈空ミミに至ってはデジモンいなくても進んでいきそうに見えるのが尚更残念。
3.可能性を見せてほしい
メノアの振りかざす理論もゲンナイ(善)がいうことも、所詮は「そういう研究結果もある」「そういう事例もある」で対抗策がないわけじゃない筈なのに、太一ヤマトも結局受け入れてしまったのが一番惜しかった。現にゲンナイは「無限の可能性があるならあるいは」って言ってのに、その割にはアクションが無い。最後まで反抗してほしかったし、別の道を見つけ出してほしかった。triの時も思ったけれど、「唯一の方法」という枠に固執しているように思う。
もし、大人になるとパートナー解消される、というのならば、それこそ「選ばれし子供たち」が打ち破って変革してほしい部分ではあるし、それができるのはデジモンたちと苦楽を共にしてきた彼らだけ、もっというとメノアが目を付けた太一ヤマトはじめ初代勢が、と期待してた。
可能性は彼ら自身が広げられる、という希望がまだ残っているのに「気持ちにどう折り合いをつけるか」方向に話が進んでしまったばかりに、閉塞感というか諦めというか、あーこれ確実に別れちゃうやつだ…とこちらも覚悟するはめになるとは。
散々彼らが特別!最強!絆!ってやっておいて結局同じ道辿るのは、あんまり納得いかない…。
※アグモン・ガブモンの最終進化、フロンティア寄りデザインは嫌いではないので悪くないとは思うけど、中身がおっさんっぽいのがいけない。顎だけで分かるおっさん具合。その割に声が高めなのも奇妙(ガブモン)。
<結論>
結局のところ、太一とヤマトがどう覚悟を決めたかの話であって、パートナーデジモンと共に歩む、もといデジモンと人間を描いたストーリーにしてはやや弱いかなというのが個人的な感想。
しかし、triよりも気が散らずに観れた上、戦闘シーンやエオスモン大量出現シーンは鳥肌ものだったので、良い映画版だったと思う。これこそ3章くらいあっていい。
うーん……
デジモン地上波放送でみてました。
大好きで、最終章とのことでAmazonで拝見しました。
オープニングのボレロからのbutterfly、テンションがました。エンディングもAIMさんでよかった。
単体の作品としてだったら、面白くみれるかと思います。
映像もきれいだし、物語もまとまってはいるかな?
ラストのアグモンと太一、ヤマトとガブモンのシーン。
太一おっきくなったねからのラストは切なく感動しました。ヤマトのハーモニカがもう一度聞けて嬉しかった。
ただ、前作を見てないのもあるからか続編と聞くと矛盾がありすぎて受け入れられませんでした。
たしか、02で将来的にみんなにパートナーデジモンができる話じゃなかった?!
っというか、オメガモン出しおしみしないで進化しようってなに?!
そんな、軽い存在だった?!ぼくらのウォーゲームで感動的な誕生したのに?!
しかも、最終進化はデジモンアドベンチャーというよりフロンティア的な要素出てくるしなんで?!
他の子供達もいるのに、ただ捕まってた?だけで戦わないし、空とか蚊帳の外だし。
え、しかも結局消えるの?!続編作る気か?!
とかなんとか(笑)
やっぱり、デジモンアドベンチャーと思うとちょっと無理かな。
好きな人は好きで良いと思います。
自分的にはこのまま、これ以上何もせずそっとしといて欲しいです。
子供時代のデジモン達とのお別れを
何気なく見るものがなくて見てしまったけれど、映画館で見なかったのを後悔するぐらいの傑作だった。
泣ける作品好きだが、ほとんど泣かない自分だが、正直、終始涙腺が緩みっぱなしだった。
感情としては美味しんぼの京極さんである。
監督にあえて言おう、『なんてもんを食わせてくれたんや…これに比べたら他のファイナル系なんてカスや』まぁ、流石に他のコンテンツも素晴らしいが。
少なくとも一つの作品を愛した人たちへ向けた締めの作品としては、本当に神がかった作品だ。
特に、この作品はデジモンを愛する人への物ではなく、デジモンアドベンチャーを見て、興奮し憧れ、育成や対戦、コンテンツに明け暮れていた、当時の子供達に贈られた別れの作品だと強く感じた。
ドラえもん、クレヨンしんちゃんのように子供時代から何も変わらず寄り添ってきた作品と違い。
デジモンやポケモンや遊戯王、最近では妖怪ウォッチのような作品は常に過去作がありきで変化を続けていく。
自分たちの愛していた作品がどんどん型落ち品になり、あんなに熱中して、ある意味では愛していた作品達が毛色が変わり、ユーザーが変わり、それでもコンテンツにしがみ付く人達を見て興醒めし。
大人になるにつれ、押し入れの奥底へしまわれていくオモチャのように気がつけば、他のことに熱中して、年相応のコンテンツに夢中になっていく。
けれど、それはあくまでコンテンツと疎遠になっただけであり、お別れをしたわけではない。
自分たちが初めて見た仮面ライダーやウルトラマン、ゴジラに寄せた感情と同じように、毛色が変わり、作風が変わったコンテンツ達と違い、確かにその作品自体への愛情は胸の奥に燻っている。
この作品には常にこの作品は『当時子供達だった君たちへ』送っているのだというメッセージが伝わってくる。
おそらくポケモンの君に決めたやミュウツーのリメイクなどを見ている人たちは、今回の映画も懐かし商売だと半分諦めて見に行ったことだろう。もうデジモンは自分たちのものではないのだと。
映画の始まりと共に流れるけったいな文章。
もうこの時点で斜に構えて、あぁやっぱりと感じてしまう大人の自分達がいる悲しさを痛感する。
けれど、この作品はそこからが違う。
ボレロの音楽とパロットモンの登場とともに一気に当時の感情が心と眼前に吹き荒れる。
初期のデジモンを握りしめ、初めて映画でボレロの壮大な音楽と共にデジモン達が戦う姿を見て、訳も分からないままその世界に引き摺り込まれ、同時上映の遊戯王のカードを『なんか偉く高いけど新しい遊戯王カードが出てる!』とグッズコーナーを横目で眺め、ゲームセンターや玩具屋でグッズを眺め。
そして、テレビで選ばれし子供達の成長や別れに笑ったり、泣いたり、憧れたり、自分を重ねながら日々を重ね。デジモン達との別れに涙した子供達。
けれど、02等が始まり新しいデバイスが発売されると、前作とのつながりがあるとはいえ、それはもう何かが違う。
マジンガーZに対するグレートしかり、仮面ライダーに対するV3しかり、もうそれは自分達が心躍らせた作品ではない、登場人物達ではない寂しさが残るのだ。
作品と視聴者が対峙するというのはこういうことだろう、画面からはっきりと『さぁ、デジモンアドベンチャーを始めよう』と手を伸ばされるのだ。
懐かしい音楽、風景、バトル。そして『brave heart』。けれど作中の彼らも環境も変化して、君達と一緒に大人になっているんだと、はっきりと伝えてくる。
そして何よりも、あの頃心を躍らせ、今もまたその歌に心うごしたOPを歌う和田 光司さんはもう居ない。
どんなにあの頃をかたどっても、時間は流れ、君たちは大人になった。人も変化する、でも僕達も登場人物達も本当に変わったのか?
そんな導入から、この作品は常に過去と今の対峙を繰り返していく。
ウォーゲームを思わせる演出。無限大の可能性(夢)
の話から、ミミが歌う『butterfly』。
次世代達は自分たちよりも上手く力を使いこなし。
あんなに歩幅を合わせていたデジモン達との生活も、いつのまにか自分たちの歩幅が広くなってたことにも気がつかず、一緒にいることがどこか疎ましくさえ思える。
大人になることは、無限大の夢だったデジモンという憧れや、夢や希望、ワクワク感を捨てて現実と向かい合うことなのか。
この映画の素晴らしいところは、そういった自分たちとコンテンツとの付き合い方に対して、そういった過去の大切な感情が必ず自分達を前に進めてくれるんだと伝えてきてくれる。
だから、寂しくても、時に恥ずかしくて封印したくなってもいいのだ。
彼らは必要になった時は、そっと寄り添い。
そして立ち上がった僕らを見上げて言うのだ『おっきくなったね』っと。そして、僕らはいうのだ『お前は変わらないな』っと。
切り捨てるのではない、執着するのではない。
一つのコンテンツとの『お別れ』というのは、この作品のタイチやヤマトと同じように。
きちんと区切りをつけて、心にしまい、また一歩を踏み出すべきなのだと。
新しいコンテンツにしがみつかせようと躍起になる作品が多い中、この作品の素晴らしいところはキチンとコンテンツとの別れを用意し、OPからEDまで『あの頃、子供だった君達』と『デジモンアドベンチャー』のためのもの。
だから、大人が聞くような曲でなくていい、どこか子供向けでも構わない。あの頃みたいに素直に泣いても構わない。でも、君たちはもう大人なんだよ。
と『無限大な夢の後に、何もないと感じてしまう世の中』を『明日の予定もわからない世界』をそれでも生きていくんだと、優しく突き放してくれる。
今までのデジモンアドベンチャーを、そして『butter-fly』の歌詞に描かれたメッセージをふんだんに盛り込んだ、対話をするような映画。
どこまでも、僕達とデジモンアドベンチャーとの物語との『お別れ』の作品なのだと感じた。
無限大な夢のあと、僕らの物語は新たな領域へ進化する
泣かせにきている。
前半部分で進化描写をしっかり描いているのは素晴らしい。
「デジモンハリケーン上陸」のウォレスたちが出ているなど、細かい描写からもいままでの作品へのリスペクトを感じる。
大人になりたくなかった子供として言うなら、ラスト進化はオメガモンにして欲しかった。オメガモン◯◯モード、とかでよかったのでは?
オメガモンへのワープ進化の描写も細かくしてほしかった。正直バトルよりも進化を長ったらしく描いてくれた方が、個人的には上がる。曲も全て昔のあれでよかった。
エンディング曲も悪くはないが、最終回のようなbutterflyの方がより泣けたような気もする。
思い出ありきの映画なのだから。
というようなうるさいことを言ったが、最後の映画としては悪くないと思う。
かつて選ばれし子供たちに憧れていた私たちは、是非とも観るべきだ。
最後に一言。空ってずっとうざいね。
期待してなかったけど・・・
期待していませんでしたが
やっぱりダメでした。
現26歳で
デジモンと一緒に育ってきた人間からすると
これでは不満です。
当時の思い出を残しつつ
新たな答えを出してくれるような
作品を期待していましたが
そのような結果にはなりませんでした。
自分たちの年齢に問いかけるような作品ではありましたが
そこまで刺さるものは感じませんでした。
デジモンというコンテンツに無理があるのかもしれませんが
トイストーリー3や4のような
締めくくりをして欲しかったです。
最後に進化したデジモンがカッコ良かったので
少し点数はつけましたが
良かったのはそこくらいです。
絆よ永遠(とわ)に…明日を向いて生きよう。
「デジモンアドベンチャー」劇場版シリーズ第9作。
「デジモンアドベンチャー」シリーズ20周年記念作品。
Amazonプライム・ビデオで鑑賞。
テレビシリーズは再見中です。
正直、デジモンにそこまでの想い入れは無かったんです。日曜朝9時に放送されていた無印と02は毎週楽しみにしていてリアルタイムで観ていましたが、熱烈なファンと云うわけではなく、内容も殆ど覚えていないし、あくまでも子供時代の想い出のひとつでした。最近になってデジモン好きの友人が出来たことがきっかけで、ふたつの劇場版とtri.六部作を鑑賞し、特にtri.の出来栄えはともかくとしても、語られたテーマに不覚にも涙してしまい、テレビシリーズを観返すと共に、自然と本作へも手を伸ばすこととなりました。
前置きが長くなりましたが―。
どんなことがあっても前を向いて、明日を目指して歩いていく、強く強く地面をしっかり踏みしめて。パートナーデジモンとの辛い別れを経験して、彼らは大人への階段をのぼり始めました。「太一、大きくなったね」と云うアグモンのセリフに思わず涙がこぼれました。とてつもない喪失感を伴う通過儀礼だなぁ、と思いましたが、それを経験した彼らの前途には、溢れんばかりの希望が溢れているようで…。
絆よ、永遠(とわ)に…。
サイアク
前回も今回もサイアク
前回の終わりで消化不良で終わったのに今回も消化不良‼︎
デジモン見るなら映画1作2作目を見た方がいい
デジモンはエンドコンテツになれるのに終わらせてしまっているのでありえない
子供のときにみたワクワク感が全くない
デジモンが好きな人は見ない方がいいと思います
デジモンアドベンチャー好きのために作られた作品
デジモンアドベンチャー好きのために作られた作品です。以下に良い点と悪い点を列挙。
良い点
・オマージュが感じられる(初代と同様の進化方法、ぼくらのウォーゲームのデジタルワールドのゲートなど)
・映像が綺麗
・迫力がある戦闘シーン
・話がわかりやすい
・泣ける
・曲が良い(和田さんのButter-Fly も良いがEDの「離れていても」も神曲)
悪い点
・原作との解釈違い(パートナーデジモンが消える後付け設定)
・最後の進化がダサい(人間がコスプレしたみたいでマシュランボーかと思った……)
・太一とヤマトに焦点が当てられているので他の登場人物の活躍シーンが少ない
全体的にすごくよかったです。最後のパートナーデジモンが消えるのはすごい喪失感がありましたが、02で「信じる心にデジモンは応えてくれる」といっていたので最後の太一の「必ず会いに行くからな!」というセリフとあわせて考えれば、またアグモンとガブモンに逢えるのかなと思わせてくれました。
初代デジモンアドベンチャー派生作品のラストを飾る良作でした。これからもデジタルモンスターを見守っていきたいです。
デジモン完結としては良かったけど不満点もある
原作リスペクトしてる所はよかった
パロットモンの導入
グレイモン、メタルグレイモンは当時の進化バンクをリメイクしてよかった
ボレロ、善のテーマ、襲撃そしてなど当時の懐かしいBGMがリメイクさせられてよかった
ウォーゲームのような出撃シーンもあった
ウォレス、望月、マイケル、チチョス、カトリーヌ、ホイ三兄弟など02やtriで登場したその他の選ばれし子供たちも小さいが確認できてよかった
居酒屋の会話で太一、ヤマトが大人になるのを感じられた
個人的には太一のエロ本のくだりは笑った
メノアも予告で思ったほど残念な演技ではなく黒幕としてもキャラが立っていた
太一がホイッスルを吹く所は感動
ラストの別れは感動モノ
しかし不満点もある
空関係は前もってYouTubeで動画を観てないと分かりづらい
欲を言うならメタルグレイモンのバンクは原作通りCGにして欲しかった
02組の影が薄い、インペリアルドラモンは無理でもせめてパイルドラモンは出して欲しかった
太一、ヤマトに焦点を当てすぎてそれ以外のメンバーも影が薄い
二大究極体が出ていない(最初からオメガモンになる)
オメガモンかませ化(両腕がちぎれるやられ方はディアボロモンの逆襲リスペクトを感じたけど)
正直言って勇気の絆と友情の絆がダサいオメガモンの戦闘部分を二大究極体にして最後の進化をオメガモンで良かったと思う
少年たちの最後の冒険
デジモンシリーズ20周年記念作品
少年たちの最後の冒険が今始まる
今回の作品の見所は、立派に成長したタイチとヤマトが
アグモンとガブモンとの悲しい別れとそれでも前に進む彼らの姿である
と思われる
どんなに立派に成長しても、大切な友達との別れは悲しいが
それでも、過去に閉じこもっていつまでも現実を受け入れようとしないのは
間違ってる。彼らとの思い出は決して消えないのだから
この作品は、悲しい別れがあったとしても、それを受け入れて前に進んで行かないと
いけないとメッセージを観客に伝えているのだろうと感じた
他の見所として、タイチのhなdvdをアグモンが見つけてしまうシーンや
大人になったダイスケやケンが出てくるなどがあげられる
気になったシーンとしては、
タイチのarゴーグルが一体なんだったのか?
終始空気だったソラ
最後の進化のデフォルメのカッコ悪さ
くらいかな
ストーリー良く、現実的に重いテーマだが...
無印、02、tri.は視聴済み。
当時、私がリアルタイムで観ていた時は、小学四年生でした。
その頃の太一達は、概ね小学五年生
そして今回の劇場版では22歳の大学四年生(ちなみに私は30歳)
既に私の方が歳は越えているが、TVで観ていた子らが酒を飲み、一人暮らしをして、進路に悩んでいる姿は、アニメーション内とはいえ、大きくなったと思ってしまった。
だからこそ今回のテーマ、葛藤が肝で大人になるという事は、現実味を帯びるという事、子供の頃のように無邪気で無限の可能性が減っていくという事を表してくれていた。
そう、「Butter-Fly」のサビが無くなることを表していた。
とても良いテーマ、葛藤とその先にある物に向かう姿が良かった
が、
ラスト、観たものが想像してくれなのか、その先の続きがあるのか分からないが、どうやって再会を果たし、太一が外交官にヤマトが宇宙飛行士になっていくのか、出来れば観たかった。
ガチ勢じゃないの
デジモンアドベンチャー放送開始時5歳のデジモン世代
テイマーズ止まり(tri.は見た)だからガチ勢ではないけど
デジモン世代だからってだけで期待しまくって行ったのにしっかり期待超えてきた
太一はtri.よりも更に大人(大学4年)でアグモンは変わらなくてでも仲良くて
太一以外もみんなバラバラとは言え各自パートナーデジモンとは良好な関係で
数年後物にありがちな「もう俺も大人だから君とかまってあげられないんだよ!」みたいのもなくて良かった
この要素重要
大好きな中野サンプラザが大きく壊れなくて良かった←
松岡茉優演じるメノアがパートナーデジモンを失ったショックで壊れちゃう
まさに俺好みの壊れ方で高まった
女神になっちゃうのもまじ女神
アグモングレイモンが最後に新たな進化
「LAST EVOLUTION 絆」のタイトル通り
エンドクレジットのスナップも最高
大輔ブイモン!タケルパタモン!ヒカリテイルモン!………
久しぶりにしっかり感想書きたくなる映画だった
なんとも言えません
普通のあまりデジモンを見ないアニメ好きが見ればこれは普通に面白い作品ですが、アニメシリーズをしっかり見た人からしたら原作クラッシャーどころかアニメシリーズクラッシャーという感じです。
これがラストってうたってるにもか変わらず一部のキャストはほぼ空気
最後の最後で全員究極体にでもなるのかと思ったかなにも起こらず
空にいたってはほぼ登場せず
設定に至っては辻褄がめちゃくちゃ
アニメシリーズなんて無かったようなもの
まぁヤマトがなぜ宇宙飛行士を目指す設定にしたかすら理由をしらない連中が作ればこうなりますね
一部のサイトではこれはデジモンではないと避難の嵐です
世代だし、他に観たい映画がないし観とこうか
そんな心境で、ほとんど気まぐれで観た映画でしたが、完全に良い意味で期待を裏切られました。
ど真ん中初代デジモン世代であるものの、その後のデジモンコンテンツはさっぱりわからず、幼少期に ぼくらのウォーゲームを親と観に行った程度の記憶しかなかったです。
02くらいからもうあまり興味も湧かず、たまに ぼくらのウォーゲームを見直したりすることはあってもデジモン自体に対する関心自体がそれこそ20年近く失われた状態だったと思います。
デジモンとパートナーとの関係性、大人になるということ、必然的に訪れる別れとそれとどう向き合うかということ。
短い映画の中に明らかに大人に向けたような深いメッセージとテーマが数多く描かれ、そのシビアさと現実味をあまりにも帯びている身近さに、感情移入を強いられました。
キャラクターの描かれ方やそもそものデザイン、細かな演出などが記憶にある無印デジモンのそれそのもので、後続の作品を知らない人たちに向けられているのだと感じます。
大学生も卒業まで迫ったヤマトと太一は、周囲が着々と大人になり、「先」に向かって進んで行く中、自分たちの今後について不安と悩みを募らせていきます。
太一の生活や、その言動などがあくまで昔の太一のまま大人になっているのだなという感じが出ていて、同時に無印で世界を救った彼でも、輝かしい未来に進めるとは限らないというリアルさが滲み出ます。
そんな二人に突如突きつけられた現実は、新しい敵、そしてデジモンとの唐突な別れの時。
何か大きな事故やエラーでそうなるということではなく、人間の寿命のようにただいつか必然的に訪れる、だからこそ絶対に避けようのない、抗うことすら許されない運命。
アグモンと共に数々の困難を切り抜けた太一も、敵を倒せば解決、というわけではない。ただ迫る時間を待つことしかできないいう無常な運命の前に打ちひしがれます。
新しい敵を前に対策を練る選ばれし子供たちですが、そこで浮き彫りになってくるのは意外な黒幕・メノアの存在。
メノアも太一たちと同様、かつて選ばれし子供たちとしてデジモンと友情を育んでいましたが、ある時唐突な別れを経験します。
大人になることを望んだ自身の選択がその結果を招いたのだと思いつめた彼女は、偶然から得たエアスモンの力を使い、全ての選ばれし子供たちの意識をデータ化し、永遠に子供のままデジモンと暮らせるユートピアを作る決意をします。
それはデジモンの別れを目前にした太一やヤマトたちにしても、本心から全く望んでいない世界とは言えない、理想のような世界ですが、そこには前進も未来もありません。
別れを目の前にしても前進と、未来への進化を選ぶ太一とヤマトにより、アグモンとガブモンは正真正銘の最後の進化を果たし見事に強敵 エアスモンを撃破し、メノアの野望を打ち崩しました。
このまま「おれたちはこれからも一緒に戦える」と、奇跡的なことが起こり、アグモンと太一たちは別れずに済む、という展開はありません。
太一とヤマトはそれぞれ別の場所で、最後の時を過ごそうとしますが、アグモンはそこで初めて太一が、大きく、大人になったことに気づきます。
ずっと変わらないデジモンからすれば、人間である二人の成長というのはワクワクし、とても喜ばしい現象なのでしょう。
そして、「明日はどうするの?」となにげなく、アグモンとガブモンの二体は訊ねました。
「明日のことはわからないな」
なにげないやりとりの中、ふと二人は思いついたようにアグモンとガブモンに声をかけようとします。
二体は姿を消していて、デジヴァイスのカウントダウンはゼロになり、風化してしまいました。
大人になるということに変化と、喪失はつきものだということを雄弁に語る演出でした。
あまりにも切なく、無常な結末ですが、それでもデジモンという物語を終わらせるために必要な展開だったと思います。
明確に終わりが描かれず、いつまでも続くという形の物語は、特に日本だと数多くあります。
そういう選択もあったかもしれませんが、僕としてはやはりこの結末は描いて欲しかったです。
幼少の頃大切に思っていた物語はこんな風に完結するんだよ、という製作者側の責任と優しさのようなものを感じてなりません。
ここまで涙が止まらない映画というのも初めてでした。
デジモンにより人生狂わされた女の話
パートナーデジモン大好きな女の子!!
そんな女の子は天才が故、周りと馴染めません。
そうだ!!必死に勉強して自分の道を突き進もう!!と決意した彼女は同世代の誰よりも必死に努力をしました。
これがトリガーとなり、パートナーデジモンとの関係が消滅しました。。。。。
もう、意味がわからん、女の子可愛そすぎ。
パートナー関係消滅の条件がほんとに謎でした。
もっと設定どうにかならんかったのか、、って思いましたー
良かった!
本編をみる前に最終進化の予告を見てしまったので、アグモン・ガブモンの最後の進化を先に見てしまっていた。
正直見た目はどうかなと思ったが、いざ映画を観るとこれはこれで格好良かった。
さらに最終進化体は「アグモン 勇気の絆」「ガブモン 友情の絆」と言う名前らしい。
なになにグレイモン・なになにガルルモンと言う名前かなと思っていたので驚いた。
同時に納得もした。あーアグモンガブモンのままの進化体と言う事なのかなと。人間と長く接してきた事もあり人型に近付き、アグモン達の爬虫類系のデザインも踏襲されている。
多少アラもあるが、だってアグモンガブモンだって一般の人が見ればポケモンの様にすぐ受付けられるデザインじゃないし。
カッコ悪い微妙と言う人もいるかもしれないが自分はこれで良かった! グレイモンガルルモンではなく太一達と共に歩んできたアグモンガブモンなんだもん!
でもワープ進化見たかった。。
butter-fly
シリーズは初代(無印)のみ当時見ていただけだし何も予習なしで見たのでキャラや設定などなかなか頭が追い付かず😢でも良かった。
何より亡き和田光司さんのbutter-flyがスクリーンで聴けただけで感動しました(ほぼ1度しか使われなかったのは不満)
内容は特別良いということはなかった・・・で観賞後に未見だった『ぼくらのウォーゲーム』を見てみたら今作品と色々とリンクしてて👍
笛にもピンとこなかったがこれで理解できたので先にこちらの知識を入れてみるべきだったか・・・
エオスモンの最終進化がラスボス感あって👍👍
これで終わりなのか
「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」観ました!
1999年に放送されたアニメ「デジモンアドベンチャー」、その3年後を描いたアニメ「デジモンアドベンチャー02」、さらにその3年後を描いた映画「デジモンアドベンチャーtri.」、そしてその5年後を描いた今作。
小学生から始まり、かつて選ばれし子供達がついに大人へとなる。
太一やヤマトは22歳の大学4年生。
これまで幾度も世界を救ってきた選ばれし子供達は世界中の選ばれし子供達とのコミュニティを築き、今なお世界を救っていた。
そんな中、未知のデジモンとの遭遇、選ばれし子供達の昏睡事件、そのパートナーデジモンの消失、新たな危機に直面する。
世界を救うために立ち上がる太一たち。
そこで明かされる大人になることで起こる真実。
デジモンアドベンチャーの20周年作品にして最後の物語。
選ばれし子供達とパートナーデジモンが選ぶ未来とは。
タイトルにある通り、今作のテーマは絆。
今回明らかになった真実による葛藤を絆で乗り越える。
ただ大人になるということで、よくある感が。
「プーと大人になった僕」とかかな。
太一とヤマトがビールを飲むのは想像できない。
また、戦いよりも絆に焦点起き過ぎて、皆が期待しているお馴染みの進化シーンなどが残念。
新たな進化も微妙。
tri.では皆無だった02組を登場させるのは良かったが、活躍はそんなに。
太一とヤマト以外の活躍もそんなに。
デジモンアドベンチャーは8人が活躍するものではなかったのか。
空にいたっては皆無。
前日譚があり、無料で見れるが。
ただ過去作への小ネタは多々あるので良し。
02のラストへと通じるというものの、まだそこには達してない終わり方。
ラストのセリフやゲンナイの意味深発言からまだ何かはあることが想像できます。
終わりとしてはいいけど02ラストがあることから何とも言えない。
ちなみに4月から始まる新作アニメ「デジモンアドベンチャー:」はただのリメイクとなるのか、ストーリーが変わってくるのか気になるところ。
とりあえずひとまずは完結ということで、子どもの時から見てた作品が終わった。
僕らのアドベンチャーに相応しい作品でした
私たちにとってのデジモンアドベンチャーの記憶というのは、彼らが幼い頃のものであり、その思い出はとても素晴らしいものであり、決して色あせないで欲しいという思いは、1デジモンファンの端くれとして大いに抱くものである。しかし、今作のデジモンでは選ばれし子どもとデジモンたちとの別れがあることを伝えており、最後のシーンでは太一とアグモン、大和とガブモン、それぞれの別れを描いていました。
しかし、この作品ではそこで物語の終わりとするのではなく、その続きが太一と大和にはあるということをしっかりと示しています。
その例として、今作の敵として登場したメノア・ベルッチは大人になってしまって、パートナーデジモンであるモルフォモンとの時間を失ってしまったことに後悔してしまい、その執念として、人造デジモンであるエオスモンを生み出してしまう。そして、その理想として、彼らをデータとして保存し、思い出を永遠のものにするということをしている。この光景に、メノアというキャラクターは私たちデジモンファンが、あの頃のアドベンチャーを永遠のものにしたいという、想いに共通しており、そうして具現化されたキャラクターなのではないかと考える。だが、太一達がその思いから進んでいくことによって、彼らの成長して大人になっていく上での障害であり、これを乗り越えていったことによって、メノア=私たちに対して、彼らを大人にしてあげてくれ、だから邪魔をしないであげてくれと言われているような気になりました。また、今作での新たな進化はオメガモンとは異なる形で、より大人のような、人に近づいた進化をしている。デジモンの進化のコンセプトとして、選ばれし子どもの思いによって進化していくというものがあり、これまで最強であったオメガモンとは二体で一体のデジモン、つまり半人前が2人合わさって、一人前であり、主人公達の心は完全な大人とは呼ばないものであったと考える。しかし今作ではそれが一人前になったが故にあのような人に近い進化だったのではないでしょうか。そして、最後にエオスモンを倒すシーンであるが、その存在がモルフォモンであることを示すシーンがあり、曲がりなりにではあるものの、彼女とモルフォモンの絆を示す形となっていた。このようにして、選ばれし子どもとパートナーデジモンとの間に絆があれば、また会えることを伝えているのではないかと思う。
また、私なりの考えではあるが、この作品には次回作があるのではないかと考えています。その根拠として、映画の終わりに選ばれし子どもたちのその後を描いたシーンが描かれていたが、太一をはじめとする殆どが1人だけのシーンがある中で、ヒカリやタケルを含めた02組のデジモン達は一緒のシーンに写っている。このことから、02という形ではあるが、映画館でまた彼らを見ることができるのではないかと思います。
私の中ではありますが、02主人公の存在はそのシリーズにおいて、無印主人公達にとっての希望的な存在であり、彼らの活躍によって、なんらかの進展が起こり得るのではないかと考えます。
エオスモンの考察について、このデジモンは話が間違っていなければ、モルフォモンをもとにできており、そのモチーフは蝶であります。
蝶といって、私たちが思い浮かべるのは、butterflyであるとおもいますが、サビの中に「無限大なイメージだらけの何も無い世の中じゃ、そうさ愛しい思いも負けそうになるけど」とあります。今作はこの歌詞が非常に強く、何もない世の中とは、メノアがモルフォモンとの別れの後であり、愛しい思いも負けそうになるとは、メノアの目的に対しての自身の中にある疑問、これでいいのかという部分がリンクしていると思いました。
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