「世代だし、他に観たい映画がないし観とこうか」デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 kyamu_kyamu0さんの映画レビュー(感想・評価)
世代だし、他に観たい映画がないし観とこうか
そんな心境で、ほとんど気まぐれで観た映画でしたが、完全に良い意味で期待を裏切られました。
ど真ん中初代デジモン世代であるものの、その後のデジモンコンテンツはさっぱりわからず、幼少期に ぼくらのウォーゲームを親と観に行った程度の記憶しかなかったです。
02くらいからもうあまり興味も湧かず、たまに ぼくらのウォーゲームを見直したりすることはあってもデジモン自体に対する関心自体がそれこそ20年近く失われた状態だったと思います。
デジモンとパートナーとの関係性、大人になるということ、必然的に訪れる別れとそれとどう向き合うかということ。
短い映画の中に明らかに大人に向けたような深いメッセージとテーマが数多く描かれ、そのシビアさと現実味をあまりにも帯びている身近さに、感情移入を強いられました。
キャラクターの描かれ方やそもそものデザイン、細かな演出などが記憶にある無印デジモンのそれそのもので、後続の作品を知らない人たちに向けられているのだと感じます。
大学生も卒業まで迫ったヤマトと太一は、周囲が着々と大人になり、「先」に向かって進んで行く中、自分たちの今後について不安と悩みを募らせていきます。
太一の生活や、その言動などがあくまで昔の太一のまま大人になっているのだなという感じが出ていて、同時に無印で世界を救った彼でも、輝かしい未来に進めるとは限らないというリアルさが滲み出ます。
そんな二人に突如突きつけられた現実は、新しい敵、そしてデジモンとの唐突な別れの時。
何か大きな事故やエラーでそうなるということではなく、人間の寿命のようにただいつか必然的に訪れる、だからこそ絶対に避けようのない、抗うことすら許されない運命。
アグモンと共に数々の困難を切り抜けた太一も、敵を倒せば解決、というわけではない。ただ迫る時間を待つことしかできないいう無常な運命の前に打ちひしがれます。
新しい敵を前に対策を練る選ばれし子供たちですが、そこで浮き彫りになってくるのは意外な黒幕・メノアの存在。
メノアも太一たちと同様、かつて選ばれし子供たちとしてデジモンと友情を育んでいましたが、ある時唐突な別れを経験します。
大人になることを望んだ自身の選択がその結果を招いたのだと思いつめた彼女は、偶然から得たエアスモンの力を使い、全ての選ばれし子供たちの意識をデータ化し、永遠に子供のままデジモンと暮らせるユートピアを作る決意をします。
それはデジモンの別れを目前にした太一やヤマトたちにしても、本心から全く望んでいない世界とは言えない、理想のような世界ですが、そこには前進も未来もありません。
別れを目の前にしても前進と、未来への進化を選ぶ太一とヤマトにより、アグモンとガブモンは正真正銘の最後の進化を果たし見事に強敵 エアスモンを撃破し、メノアの野望を打ち崩しました。
このまま「おれたちはこれからも一緒に戦える」と、奇跡的なことが起こり、アグモンと太一たちは別れずに済む、という展開はありません。
太一とヤマトはそれぞれ別の場所で、最後の時を過ごそうとしますが、アグモンはそこで初めて太一が、大きく、大人になったことに気づきます。
ずっと変わらないデジモンからすれば、人間である二人の成長というのはワクワクし、とても喜ばしい現象なのでしょう。
そして、「明日はどうするの?」となにげなく、アグモンとガブモンの二体は訊ねました。
「明日のことはわからないな」
なにげないやりとりの中、ふと二人は思いついたようにアグモンとガブモンに声をかけようとします。
二体は姿を消していて、デジヴァイスのカウントダウンはゼロになり、風化してしまいました。
大人になるということに変化と、喪失はつきものだということを雄弁に語る演出でした。
あまりにも切なく、無常な結末ですが、それでもデジモンという物語を終わらせるために必要な展開だったと思います。
明確に終わりが描かれず、いつまでも続くという形の物語は、特に日本だと数多くあります。
そういう選択もあったかもしれませんが、僕としてはやはりこの結末は描いて欲しかったです。
幼少の頃大切に思っていた物語はこんな風に完結するんだよ、という製作者側の責任と優しさのようなものを感じてなりません。
ここまで涙が止まらない映画というのも初めてでした。