「僕らのアドベンチャーに相応しい作品でした」デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 ユクさんの映画レビュー(感想・評価)
僕らのアドベンチャーに相応しい作品でした
私たちにとってのデジモンアドベンチャーの記憶というのは、彼らが幼い頃のものであり、その思い出はとても素晴らしいものであり、決して色あせないで欲しいという思いは、1デジモンファンの端くれとして大いに抱くものである。しかし、今作のデジモンでは選ばれし子どもとデジモンたちとの別れがあることを伝えており、最後のシーンでは太一とアグモン、大和とガブモン、それぞれの別れを描いていました。
しかし、この作品ではそこで物語の終わりとするのではなく、その続きが太一と大和にはあるということをしっかりと示しています。
その例として、今作の敵として登場したメノア・ベルッチは大人になってしまって、パートナーデジモンであるモルフォモンとの時間を失ってしまったことに後悔してしまい、その執念として、人造デジモンであるエオスモンを生み出してしまう。そして、その理想として、彼らをデータとして保存し、思い出を永遠のものにするということをしている。この光景に、メノアというキャラクターは私たちデジモンファンが、あの頃のアドベンチャーを永遠のものにしたいという、想いに共通しており、そうして具現化されたキャラクターなのではないかと考える。だが、太一達がその思いから進んでいくことによって、彼らの成長して大人になっていく上での障害であり、これを乗り越えていったことによって、メノア=私たちに対して、彼らを大人にしてあげてくれ、だから邪魔をしないであげてくれと言われているような気になりました。また、今作での新たな進化はオメガモンとは異なる形で、より大人のような、人に近づいた進化をしている。デジモンの進化のコンセプトとして、選ばれし子どもの思いによって進化していくというものがあり、これまで最強であったオメガモンとは二体で一体のデジモン、つまり半人前が2人合わさって、一人前であり、主人公達の心は完全な大人とは呼ばないものであったと考える。しかし今作ではそれが一人前になったが故にあのような人に近い進化だったのではないでしょうか。そして、最後にエオスモンを倒すシーンであるが、その存在がモルフォモンであることを示すシーンがあり、曲がりなりにではあるものの、彼女とモルフォモンの絆を示す形となっていた。このようにして、選ばれし子どもとパートナーデジモンとの間に絆があれば、また会えることを伝えているのではないかと思う。
また、私なりの考えではあるが、この作品には次回作があるのではないかと考えています。その根拠として、映画の終わりに選ばれし子どもたちのその後を描いたシーンが描かれていたが、太一をはじめとする殆どが1人だけのシーンがある中で、ヒカリやタケルを含めた02組のデジモン達は一緒のシーンに写っている。このことから、02という形ではあるが、映画館でまた彼らを見ることができるのではないかと思います。
私の中ではありますが、02主人公の存在はそのシリーズにおいて、無印主人公達にとっての希望的な存在であり、彼らの活躍によって、なんらかの進展が起こり得るのではないかと考えます。
エオスモンの考察について、このデジモンは話が間違っていなければ、モルフォモンをもとにできており、そのモチーフは蝶であります。
蝶といって、私たちが思い浮かべるのは、butterflyであるとおもいますが、サビの中に「無限大なイメージだらけの何も無い世の中じゃ、そうさ愛しい思いも負けそうになるけど」とあります。今作はこの歌詞が非常に強く、何もない世の中とは、メノアがモルフォモンとの別れの後であり、愛しい思いも負けそうになるとは、メノアの目的に対しての自身の中にある疑問、これでいいのかという部分がリンクしていると思いました。