「ひたすらゴッホの視点映画。揺れるので注意」永遠の門 ゴッホの見た未来 andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)
ひたすらゴッホの視点映画。揺れるので注意
フィンセント・ファン・ゴッホの視点は走り、回り、ぼやけ、よく動く。最初からその動きに完全に酔ってしまった。酔い止めを飲んでから観るべきであった。かなり揺れるので揺れが駄目な方は気をつけたほうがよい。
事前に軽くファン・ゴッホ(ファンはちゃんと姓だから省略しないらしい)について調べてから行ったので、彼の孤独、ゴーギャンとの友情とそのゆきちがい、弟テオとの愛(というかあれはなんだろう、弟の慈悲というのだろうか、兄弟が逆転しているかのよう)、彼のエキセントリックさというか、感情の起伏の激しさ、苦悩が淡々と描写されているように感じた。
この映画におけるファン・ゴッホはアルル時代から描かれるので、人生としてはかなり後半のところにいる。神に仕えようとした過去は対話で語られるが、それ以外の生涯は具体的には語られない。しかし、この時期を切り取ったことにはやはり意味がある。自分を制御できなくなってゆく様。自然に対する思考、そして彼自身が狂気に寄ることで生まれる芸術。
しかし狂気(例えば「耳切り事件」や、具体的にファン・ゴッホが錯乱している描写)はほとんどなく、暗転及び、彼と様々な人物(医師や牧師)との対話で表現される。それを観ると、彼は最終的には自己の中に存在する極端さと共存し、世界に絵を提示してゆく気持ちを持っていたように思われる。最期も一般に知られているものとは異なっており、ファン・ゴッホの印象を一転はさせぬまでも、新たな視点で提示する。(この映画は2011年に提示された新説に基づいて描かれているようだ)。
ファン・ゴッホ役のウィレム・デフォーは何かが憑依したような演技であった。勿論私はファン・ゴッホ本人に会ったことがあるわけないので、憑依感というのも印象に過ぎないが、彼は完全にフィンセント・ファン・ゴッホを自身の中に取り入れているように見えた。完全に彼の映画であり、ファン・ゴッホの映画である。彼が中心に立ち、魅力ある役者陣と対話することで成り立つ映画。最初から最後まで徹頭徹尾フィンセント・ファン・ゴッホ=ウィレム・デフォーの物語であった。この徹底した自己視点がこの映画の壮絶さであり、私を酔わせたカメラワークであり、滲む画面であったのだ。