ある画家の数奇な運命のレビュー・感想・評価
全56件中、21~40件目を表示
作品としては傑作、だが…
リヒターはこの映画に対して激怒したと言う。長時間のインタビューにも答えていたのに。それは自分個人よりも妻自身に思いの外フォーカスされていたため。リヒターの現在の妻は3人目。映画の中の最初の妻は存命で社会的立場もある人だが、彼女には何も話がいってなかったという。彼女の父親がナチのシンパで行った所業ついては既に公になってはいること。だとしても、大昔の中絶流産等のセンシティブな事柄まで含め突然、一般公開される心境はあまりある。配慮が足りなすぎる。せっかくの傑作だが、心から賛美することができないのが残念。
芸術よ人よ自由であれ
実在の画家をモデルにした話である事も、その画家についても知らず、フィクションとして鑑賞した。
戦時戦後のドイツにおける様々な悲劇と芸術家の苦悩の物語だが、サスペンスやラブロマンス、青春映画のテイストもあり、重すぎず、飽きさせず、3時間の長尺も苦にならない。
ふとしたエピソードや台詞が、後になってしっかり物語に絡み、きちんと回収されていく脚本が巧みで、後味もスッキリ。
歴史事実の描き方も簡潔で解りやすい。恐ろしく、悲しく、けれどやり過ぎな程でもない。
まるで絵画のような構図、光と影のコントラスト等、映像も大変美しい。
強いメッセージ性もありながら、娯楽としても受け入れられ易い、非常にバランスの良い作品。
優性保護法は日本でも施行され、断種の大義名分の元に、障害者や精神病患者の中絶や不妊化手術が行われた。現在でもその不当性を訴える裁判が行われ、時折話題に上がる。近年の大量殺人事件、コロナ禍の世論などに垣間見られるように、弱者や異端者の切り捨てを正当化する思想は、過去の異国のものではない。
これらの、効率や生産性を重んじる思想が落とす影が、様々な形で、繰り返し写し出される。芸術の意義、性、友情、娯楽。実を結ばぬ草は塵芥だろうか。美しいだけの花は何も育まないのか。人が生きる事の喜びとは。
思想に属するな。自由だけが芸術の母体だ、と教授が言う。ナチスドイツ下で、国家民族を鼓舞するものとしてしか許されなかった芸術が、戦後の社会主義下でも、労働奉仕の讃歌としてのみ扱われ、同様の抑圧を受けるというのは興味深い。
そして自由の元では、何をどう表現するのも自己責任。途方に暮れずに我を確立するには、自己に向き合い探求するしかない。本来芸術とは極めてパーソナルなもの。それが、受け手のパーソナルと響き合った時、無作為の数字が意味を持つように、初めて意味あるものになるのかも知れない。無意識のクルトの絵に、追い詰められた医者のように。
幕引き、死したエリザベトの見つけた世界の真実は高らかに鳴り響き、クルトの内に引き継がれ、芸術に乗って、永遠となる。
世界の完成。これぞ、物語を辿る旅路のカタルシスだ。
Unexpectedly interesting
I anticipated to feel sleepy during the film before watching, yet , l was drawn into the story although it’s about three-hour long time work. I wondered why I was on the edge of my seat , it wasn’t an exciting story though. Probably I could often see some beautiful women in spots. I didn’t mean anything bad, it’s artistically beautiful. And I also learned one historical sad fact.
自らのスタイルを確立する瞬間に感動する逸品
モデルとなったゲルハルト・リヒターが現代美術界の巨匠だということを後で知った。全然知らなかった。
序盤、主人公・クルトの少年期に強い影響を与える叔母・エリザベトの魅力に釘づけになる。ナチ党政権下にあって不遇な運命をたどったエリザベトが幼いクルトの記憶に大きな傷を残した。
戦争中に入党を迫られ屈した父は、終戦後、入党を理由に厳しい処遇を受けた。
戦後の東ドイツ、美術学校でのエリーとの出会い。エリーを大切にするクルトに強く共感した。生活を第一に考える彼の生き方は実に真っ当だった。
終盤、西へ行き苦しみながらも自らのスタイルを確立していくプロセスに高揚し、熱くなった。
いや〜、いい作品でした。ドイツの激動の時代と芸術家の半生をクロスする構造が秀逸。厳しさの中で決して失われることがないポジティブな空気も好物でした。
そして何より二人の女性に激しく恋をした❣️
真実はそこにある
この映画は監督が「善き人のためのソナタ」の監督だったから観たのでストーリーはあまり入れてなかったのだけれど、常に不気味さがあり 3時間超の映画とは思えないほど集中して観れた。
特にデュッセルドルフの教授の言葉が響いた。
自分の内面を曝け出すことの怖さの先にしか芸術家は自由を解き放てないんだなと。
一方でクルトの翻弄されている運命と最後に帰結していくのがなるほど、邦画のタイトルに繋がってたか。
中々に傑作だった
まさに「数奇な」
まさに「数奇な運命」を描いた映画ではあるが、前半の「医学を政治に仕えさせること」「芸術を政治に仕えさせること」がいかに間違っているか、が後半の「自由」の苦しさとの対比になっており面白い。
ストーリーとしては、義父との直接対決がなんらかの形であるのかと思っていただけに拍子抜けではあるが、そこは実話ベースだから仕方ないな…
しかしまぁホントに興味深い。ハリウッドならコレほど長くはならなかっただろうが、コレほど真摯な作品にもならなかっただろう…
しかしドイツ人民がこれほどナチスの所業を反省し追求していることは日本人も良く理解しておくべき。
語らないことが、強み
とにかく、言葉少ない「彼」
けれども、大事なことはちゃんと聞く芯も持っている。
意図せずに、相手を追い込むことができるのは、何の策略もないから。
ピュアな人にしか与えられない、不思議な力があるのかも。
3時間が、あっという間でした。
最期のオチがほしいような。
いやいや、これはそのままで。ですよね。
芸術の秋に触れた🍁
189分もの長丁場ゆえに鑑賞を躊躇していましたが信頼を置いているレビューラーさんの高評価レビューを読み急いで劇場に向かいました
主人公クルトをはじめ登場人物達の数奇な人生を重いながらも何処か滑らかさえもを感じつつ…
「あぁ観て良かった!!」1分足りとも削るシーンの無い素晴らしい作品に出会い損ねる所でした…
背中をを押して下さった皆様に感謝です!ありがとうございました⭐︎
真実は全て美しい
予告では「義理のオヤジが叔母を殺したくそやろうでした」というのを前面に押し出していたが、3時間ちょっとのこの大作をこの面だけに注目して観るのはよろしくない。確かに主人公にとって叔母はとても重要な人物で、義父は憎き仇ではあるのだが、そこだけ意識して表面的な展開だけ追っていると物語の核に辿り着けない。
この映画は「真実の美しさ」をじっくり描いた物語であり、この真実は芸術家である主人公のみならず、観ている私たちにとってもとても重要なことなのである。
主人公は画家で、東ドイツにいた頃は共産主義のプロパガンダの絵を描くことを余儀なくされ、それに嫌気が指し西ドイツに亡命するも、今度は逆に自分が表現したいものはなにかと迷走することになる。しかし終盤になって自分の思うように絵を描けるようになる。三時間を存分に使って主人公は悩み、真実を見つける。
これは映画を観ている画家ではない私たちにも置き換えることができる「生きる」プロセスなんだと思った。
人間である以上「自分とは何者なのか」と一度は考える。しかし大半の人々は世間に流されて考えないように生きる道を選ぶ。しかし一度深みにはまると中々抜け出せない悩みの種であり、これが原因で病んでしまう人も少なくない人間であることの最大の宿命である。
作中でも登場するデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉を知ってる人は多いが、それを感覚として理解している人はそう多くないのではないか。
この疑問はただ息をしているだけでは到底理解できることではないが(そもそも生物としては考えないのが正解なのかもしれないが)、物事の答えは案外すぐ近くに転がっているもので、この途方もない疑問の答えでも同様である。
その答えとは今まで生きてきた自分自身であり、自分自身の目で見てきたもの、それを見て思ったもの全てなのである。
こんな当たり前のことなのに、気づくのは、こんなに大変なんだよってことを映画で描きたかったのかと感じた。
それが冒頭叔母が主人公に伝えたかったことであり、またそれに気付かず(または認めず)生きようとする共産主義や、逆に自由に溺れとにかく新しいものが芸術と履き違えている資本主義の風潮という様々な要素を使って表現しているのがとても良かった
教授本当に嫌な奴
実話ベースの映画なんですね。
クルトの叔母さん素敵です。綺麗で魅力的。あんな人の胸に抱きしめられたら子役の男の子もドキドキしたのではないかしら。
クルトの奥さんエリーは叔母さんほどの魅力がないのが残念。
叔母さん役の女優さんの一人二役でも良かったのに。
(でもそれだとクルトの描いた絵をみた教授の驚きに説得力ないかな?)
それにしても教授本当に嫌な奴。
最初はオヤジにしてはカッコいいな、と思った自分が恥ずかしい。
娘の身体をわざと傷付けるような堕胎手術するとか信じられない!
娘婿のクルトに自殺した父親と同じ掃除の仕事をさせるのも信じられない!
この若い夫婦が教授と縁を切ろうとしないのも全く信じられない!
ナチがユダヤ人だけじゃなくて障害者も沢山殺していた事は知っていたけど、その優勢思想って今でも根深く残っているように感じる。
民族差別や「生産性のない」人は排除しようとか政治家まで平気で言うでしょう。
どこかで線を引いたら、「次はここまで」「そのつぎはここまでがいらない人」ってことにされてしまう。
三時間の長い映画でしたが、見ごたえありました。
ただコロナ対策でフル換気の為か映画館が寒くて。
これからは膝掛け持参しないとダメですね。
芸術とは、自分の中から生まれるもの
正直、ゲルハルト・リヒターを知らなかったし、彼の作品も今まで見た事がなかった。
映画を見終わった後、ネットで、リヒターの作品を貪るように検索。
ちょうど、ポーラ美術館が彼の作品を35億?で買ったことや豊島に彼の作品があることを知り、急にリヒターファンになる。
映画を見て知った事は、なんとなくは知っていたけれど、ナチスが優生思想によって、ユダヤ人だけではなく、ドイツ人もガス室へ送っていたということ。
そして、戦争が終わってからの東ドイツでの暮らし。ソ連にほぼ支配された状態の社会主義国家。
彼の数奇な運命をたどりながら、何が優れていて、何が劣っているのか、それを決めているのは誰なのかを考えさせられる。
彼が、西ドイツへ行ってから、ヨーゼフボイスをモデルにした教授に見出される。
その教授から、芸術とは自分が体験したことからしか生まれないというようなことを言われて、自分の作品に改めて向き合う。
写真が出来るまでの絵画は、芸術ではあるけれど、写真のようにリアルにそのものを描くことが必要だったと思う。
しかし、写真、そして、映像が出来てからは、絵画とか、芸術は、何かを表現するものになった。
何かを表現するということは、奇抜なものだったり、驚かせるものではない。
確かに現代アートの中には、伝わりにくく、理解に苦しむものもある。
でもそのアートに何かを表現したいと思う作者の魂が入っていれば、作品は生きてくる。
ものを作るということ、表現するということが、その人の感受性全てであるように
感じるということが出来る能力は、何かを生み出す力を持っているということ。
叔母のエリザベトは、人よりも感受性が強いだけで、それは彼女の個性であり、能力だったかもしれない。
ADHDやHSPも同じこと。感じやすいからこそ、生きにくいけど、感じる力があるから何かを生み出すことが出来ると思う。
この映画を観て感じたことは、「目を逸らさないで見て。真実は全て美しい。」という言葉、そして、それを感じる心をなくしてはいけないと強く思う。
良作、けど大河ドラマ味がすごい
テーマが画家なだけに、あまり動きのない静かで静謐な作風。なんとなくドイツ的。
けど、作品の時代背景が良いスパイスになって、飽きさせはしません。
ただ、タイトルの通り、映画というよりはどこぞの公共放送の大河ドラマ感が強くて、どんな伏線もきっちり時間かけて説明し切ります!という仕事人魂を感じる。なんとなくドイツ的。笑
その辺が、上映時間の長さと相まって、視聴後の軽い疲労感につながってるかも。
でも、おそらくちゃんと時代考証したのだろう当時の東側と西側の描き分けや、とくに日本人だと想像しえない、東側の戦中の国家全体主義から戦後の共産主義への、極右から極左へ針振り切ってるなんだそりゃー感だとか、とっても興味深く面白かった。
覚醒の瞬間
ゲルハルト・リヒターは2005年の川村美術館での個展を見て以来、好きなアーティストである。展覧会図録も買ったが、この映画のために見返しても叔母のことは経歴にも書いてないし、作品解説にも触れられてはいない。特に東ドイツにいた頃のことはほとんど情報がない。なので画家の過去は初めて知った。が、映画化にあたって、リアルとフィクションは曖昧にされている。
主人公に関わることは事実とは限らないのだが、ナチスの思想や、価値観は実際のものだし、戦後の街の様子などはなかなかリアルだった。生まれる時代は自分で選べるわけではないから、「合わない」場合は悲劇。ナチスに対して同調できないのに、仕方なく迎合したクルトの父も、戦後は冷遇され、時代に振り回された。ドイツの抱えるトラウマは相当なものだろう。
東ドイツから脱出したのは、クルトの芸術家人生にとって、大きなプラスである。自由な表現ができるようになり、だからこそあれこれ試して、模索を繰り返す。けっこうキツいだろうな、自分探し。でも、決して妥協しないからこそ、ようやく糸口がつかめた。これが自分の表現だ!と確信できた瞬間を見られて、なんか自分まで嬉しくなった。そして、ヨーゼフ・ボイスをモデルにした教授、いいわ〜。胸にウサギの毛らしきものを付けていて、萌えた〜。
エリーの父は、要領よく生きているつもりだが、やはり因果は巡ってくる。何も知らないはずのクルトによって、その因果が一枚の絵に収まるのは皮肉だ。エリザベト・マイは無残な最期だったけど、クルトの絵の中で彼女は生きている。そして、エリーも父の犠牲にならずに済んで、本当に良かった。映画では描かれないが、この先、クルトとエリーが真実を知る日が、おそらく来てしまうんだろうな…。
疑問点がふたつ。ひとつはクルトの母。夫は自殺して、兄弟も戦死、妹も強制収容、頼れるのはクルトだけなんじゃ…? 東に残したままなの? そこ放置していいのかーい。ふたつめはエリーの母。家族の秘密を知ってても知らないふり。実の娘の中絶手術を黙って見てるだけ? 何を考えて生きているのだろうか。あまりにもこの2人はぞんざいな扱いで、ベッドシーンをもう少し減らして、何カットか加えればよかったのに、と思う。
物語終盤、個展の場でリヒターの初期作品がたくさん出てきて、思わず前のめりになってしまった。また日本で大規模展を企画して欲しい。
裸、裸、裸。
今の若者にも人気の現代美術の巨匠、ゲルハルト・リヒターをモデルに、激動のドイツ歴史の闇と、芸術の光にピントを合わせたヒューマンドラマである。
しかし上映時間が190分は長い!やたら裸で抱き合ってるシーンが幾度となく映し出されるが、こんな物、1回で充分である。
あと、どうも主人公の人となりが明確ではないのが難点。しかも肝心な義父とのその後の関係はどうなったのか。明らかにしないまま終わってしまってる。実際、監督がリヒターに映画化を申し込んだところ、映画化に際して何が事実か事実でないかは、互いに絶対に明かさないことを条件に作られたゆえの中途半端さが否めない。
にしても、どうもヒロインはパッと冴えない。むしろ叔母の方が綺麗で華があった。逆にすればよかったのに・・・
絵画の世界
義父の写真、幼い自分と叔母の写真、新聞に載っていたナチ高官の写真、それらが結びつく不思議。
若い叔母が目を背けずしっかり見る事を伝えた。
才能があっても、自分のモチーフ、テーマに巡り合えないとアーティストにはなれない。
アートとアーティストに対する敬意を満ちた映画だった。
さらに惹きつけられた
リヒターを知ったのは、2005年の川村記念美術館での回顧展だった。
その時強烈に印象に残ったフォトペインティング、どうしようもなく惹かれる理由はこの映画の中にあった。
伝記ではない作品だけに壮絶な半生はインパクトが強くリヒターがモデルだが、脚色されていて全てが真実ではない。
とはいえ、フォトペインティング誕生の瞬間はとてつもなく私的で、真実を表現する過程は美しい。流れてくるコールドソングがクラウスノミだった事も拍車をかけ、脳裏に焼き付く素晴らしいシーンだった。
ヨーゼフボイスがモデルの教授は放つ、真っ直ぐでスパッとした言葉がかっこいい。
先日観たドキュメンタリーでもヨーゼフボイスの話題を耳にしたので、見逃してしまったヨーゼフボイスのドキュメンタリーにも興味が湧いてきた。
運命の皮肉、現実のなかに秘められた真実
1930年代後半、ナチ政権下のドイツ。
幼いクルトは、愛する叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンダール)の影響で芸術に目覚める。
エリザベトが愛した美術は現代美術。
ナチスによって「退廃芸術」との烙印を押されたものだった。
若いエリザベトは、その繊細さゆえに、時折、錯乱することがあるが、精神錯乱はナチスドイツによって否定されたものだった。
精神病院に隔離され、ついにはガス室送りになってしまう・・・
といったところから始まる物語で、ここまでがおおよそ3分の1。
この後、終戦後、東ドイツの美術学校へと進学したクルト(トム・シリング)は、叔母に似たエリー(パウラ・ベーア)と出会って恋に落ちるが、エリーの父は、愛する叔母エリザベトをガス室送りにした張本人だった・・・と展開していきます。
中盤のクルトとエリーの恋愛譚は、ややコミカルな調子で演出しているので、このあたりは息抜き的に鑑賞するといいでしょう。
社会主義のお仕着せが強くなり、結婚したクルトとエリーは西側に脱出。
自由な中で生来の芸術家魂がクルトに湧き上がってくる物語と、元ナチス医官のエリーの父(セバスチャン・コッホ)にも追手が迫るという物語と、名家の血脈を守るために堕胎手術をされた影響でエリーとクルトの間に子供ができないという物語が三位一体的に繰り広げられます。
ナチス時代の影響が色濃く物語に影を落とす・・・という内容なのですが、かなり大味な感じで、観ている間は面白いのですが、観終わって何日か経つと印象が薄れてしまいます。
ただし、出色のシーンが後半にあります。
内なる芸術魂の目覚めたクルトが描く絵(叔母エリザベトと幼いクルトの写真の模写)の上に、スライド投影でエリーの父の顔が二重写しになるシーン。
運命の皮肉、現実のなかに秘められた真実・・・
そういうものが一瞬で表現されていて、素晴らしいシーンです。
とはいえ、全体的には大味な映画といったところでしょうか。
「ある画家の数奇な運命」を先週末に 鑑賞してきました。 上映時...
「ある画家の数奇な運命」を先週末に
鑑賞してきました。
上映時間3時間9分という長時間作品で
集中力が持つかなと思っていましたが、
全くの杞憂に終わりました。
ナチス政権下のドイツ、戦後の東西ドイツを通して描かれる主人公クルトの人生。様々なエピソードが語られ、その積み重ねられたエピソードが縦横に絡んでゆく。
ナチス政権が行なった「強制断種政策」と「障害者安楽死政策」や、当時のドイツの医者の半分近くはナチ党員だったこと、、
当時の状況が主人公クルトの人生に様々なことを及ぼす。
旧東ドイツ、旧西ドイツで出会う様々な人々。
彼らも主人公クルトの人生に様々な糧を
与えてくれる。
長編作品だと、脚本に少しでも粗さを
感じてしまうとストーリーに入り込めなくなることがありますが、本作はエピソード一つ一つが丁寧に描かれいて、クルトと人生を一緒に歩んだ気持ちになれる。
だからこそ、3時間という長さを
感じることなく鑑賞できたのかもしれません。
そして、キャンバスに描かれる画。
自分、全く絵心が無いので絵画に対しても、好みかそうじゃないか位のことしか言えないんですが、クルトの描く画が凄く印象的で技法が素晴らしかった。
脚本の良さもありましたが、役者さんの
演技も素晴らしかった。
主人公クルトを演じたトム・シリングは
勿論のこと、医師カールを演じた
セバスチャン・コッホの威厳のある
出で立ちとその裏にある顔の表情
叔母エリザベト演じたサスキア・ローゼンタールの憂いのある美しさ
先日鑑賞した「ウルフズ・コール」に出ていた、パウラ・ベーア。叔母エリザベトとはまた違った美しさで魅了されました。
主人公の名前の“クルト”で思い出してしまったのが「僕たちは希望という名の列車に乗った」のクルト。同じ国の方の名前だからあたりまえなんですが、時代も少し重なってるかもしれないなぁ。そういえば、公園のくだりはまさに僕たちは・・だった。。
僕たちは・・のヨナスも出ています
鑑賞したあとであらすじを読んだら、実在の芸術家ゲルハルト・リヒターの半生をモデルにした作品だったと知り驚きました。
公式HPでも載っているのでそのまま書きますが、リヒターからの映画化の条件は、人物の名前は変えて、何が事実か事実でないかは、互いに絶対に明かさないこと。だったそうで更に驚き。
ゲルハルト・リヒターのことは恥ずかしながらこの時初めて知る方でしたが、作品の奥深さをも知った瞬間でした。
観たい作品が目白押しですが、出来ることならもう一度この作品はスクリーンで目にしたいです。
全56件中、21~40件目を表示