ROMA ローマのレビュー・感想・評価
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ああ…
『パターソン』みたいに、何気ないけどこういうのよくあるよね、それが特別じゃなくても。みたいな光景を描いていた。
しかし子供と運転手と医師以外の男が糞すぎて…
性行為を断られたら暴言吐き捨て、彼女が妊娠したら逃げた上に暴言吐き捨て(ほんと酷かった…)不倫後子供置いてきぼり若い女と不倫父……
70年代が舞台でしたが、いつの時代もどこの国でもいる…
しかし子供たちは尊いし運転手イグナシオは優しいし医師も普通に仕事してた。
末っ子の純粋で甘えたな感じと、次男長男の反抗期真っ只中で母親とうまくいかないと感じと、キレて優しくなるを繰り返してしまう母親と、どことなく召使いを見下してる雰囲気(そもそも人種が違う)、おばあちゃんがもう7時20分だと言ったら子供がまだ7時17分だと言い返すあるある場面とか、、、たまらない
出産と、最後の浜辺で抱き合う場面は涙
最初のほうの寝転ぶ場面好き
けっこうよかった
イタリアのローマが舞台だとずっと思っていて、様子がちがってどうやらメキシコらしいと思ったのが最後の方だった。
主人公の妊娠が発覚するまでは、日常のスケッチ的な構成で退屈だなーと思っていたのだが、妊娠が分かってからは何を描いていても常にお腹に赤ん坊がいるし、彼氏はいないし、みたいな心細い思いを抱えている描写に感じられて、飽きなかった。
暴動の場面はすごかった。海の場面は聖書でそんなエピソードがありそうな感じがした。
妊娠させて逃げが彼氏がひどかった。
監督こだわり再び
「ゼログラビティ」のアルフォンソキュアロン監督。
ゼログラビティの時も撮影にこだわった話は有名だが、今回もやってくれてます。
白黒なのに6k高画質カメラって、、。
撮影アングルも独特、演出も独特。
芸術的要素に引き寄せられる人も居るだろう。
1970年代メキシコにて白人中流階級家庭の家政婦をしていた田舎村出身メキシコ人女性クレオの物語。
序盤からガレージ清掃を5分弱ぐらい観せられ、その後も彼女の行動を淡々と見せつけられる訳だから、淡々と映画を語る小津監督作品に似ていると言われるのには無理も無い。
話的に「地球と言う歴史の中では、これは些細なイチ女性の物語です。」的。それをイチドラマとして描いたから読み取れ!みたいな。
文学小説を読み取れるか取れないかに似ています。
内容的には残念な部分が私にはあります。
1.周りは喜び自分らは哀しむ等、対比構図が多過ぎ。
2.淡々とした話なのに、「ココは是非グッと来て下さい」的な部分が。
家具屋にて狙った様ないきなり暴動シーン。
赤ん坊の鼓動が聴こえない!と連呼する流産シーン。
海のシーン、私なら「助かって良かった」だけにする。
見せ場なのは分かりますよ。
しかし私にはそれまでの演出の良さが霞んでしまう。
いきなりハンドル切られた感じ。
素人の役者集まりなんだから逆に演技演出に走るとシラケる。
これじゃ今までの監督の立ち位置が分からなくなるよ。
何故かココに監督の欲が出てしまった感があり作品的には残念。ここまで淡々さを出したのだから貫いて頂きたかった。
3.お馬鹿なフェルミン君。バカチン過ぎる。3回クレオに交わるシーンはあるのだが、2回目は要らないかな。
4.お馬鹿な男が多過ぎなので、1人ぐらいはクレオに恋愛感情無しの身近な男性が欲しかったな。と。
例えば同じ雇われの運転手をいい感じに使うとか。
どこの国にも外国語映画賞として好かれそうだなというのは納得。
米アカデミー作品賞はアメリカの面目を保って「グリーンブック」にしたのかなと。
世界的ですが、あれはアメリカの賞ですからね。
私もどちらかを選ぶならグリーンブックかな。
芸術的要素があれば高評価だとは個人的に思って無くこの評価。申し訳ない。
二度目は観ないと思います。
追記:余談ですが、
「万引き家族」しかり、「カメラは止めるな!」しかり、「ROMA」しかり。オスカー等の主要映画賞の前の、国際映画祭の受賞煽りっぷりは辞めて頂きたい。
今の国際映画祭は客寄せパンダだ。
一般公開前の作品が多く時期的にも早すぎるし、更にそれに頼った煽り劇場予告を作りたがる。
軽薄な人達は寄りたがる。
ベルリン国際映画祭?ヴェネチア国際映画祭?
通ぶってこれらの映画祭の何を知っているの?
映画祭の受賞は無しにして頂きたい。
これ程つまらない煽りは無い。
3月11日に観る意義
奇しくも東日本大震災から8年、たまたま月曜ということで本来ならばネットフィックスでしか観れない本作をイオンが配給という形で映画館上映を鑑賞した。テレビ画面では未鑑賞だから比較は出来ないが、明らかに本作はシネマスコープ、そしてモノクローム撮影故、大きなスクリーンでの投影がベストだと、鑑賞中でもはっきりと合点がいく。カメラのパンのダイナミズム、何よりも横長の利点を盛り込む奥行きの深さ。これは特に主人公と男が映画館での妊娠を告げるシーンの背景の内部や、後半の家族旅行での離婚を告げた直後の野外のアイスクリームを食すシーンでのバックの蟹のオブジェの鋏の大きさ等、存分に画角を計算されている。鮮やかな白黒が観たこともない色彩を創り出し、例えば主人公の破水での下血は白黒だとあんなにも白が濃い色をしていることに驚く。そんな映像をキュアロン監督は自身の思い出として70年代のメキシコを切り取った内容となっている。
そして、本作でも病院での地震のシーンがあることもまた偶然とは言え、今日という日の意義があるのではないだろうかと感じる。
かなり、宗教観の強い作品であることは、主人公をマグダラのマリアに似せること、だからこそ何か他人と違うエピソードを散りばめることでその得体の知れない存在感を醸し出す演出も、如実に判明している。普段の生活の中に小さい奇跡が起こることで人生は彩られていることを気付かされる作りである。
ただ、本作は前情報を得なければ多分、退屈な作品だと感じてしまうことだろう。そもそも海で溺れかける、死産をする、その出来事も作品としてはそれ程強烈なインパクトはない、比較的薄いフックである。それをアート作品としての昇華に成功させた監督の手腕は天才的である。否、アートだからそれを観る人がそれぞれの価値観を抱いての評価だろうから、かなり二分されることは想像に難くない。かくゆう自分も本作をどれだけ理解し、咀嚼し、理論的に論じられはしない。何で主人公は本当は子供が欲しくなかったと呟いたのかが、その中でも最大の謎であり、解釈が難しい。そんな解釈を必要とする作品は、それでも惹き付けて止まない出来映えであろう事は疑いようもない、かなり頭を使う内容であった。犬の糞の異様な多さも意味があるんだろうなぁ。。。
陽
昨年仕事の関係で3回メキシコに行きました。仕事で訪れたその場所には、私自身観光で訪れた時には見えなかったものがありました。それは先住民か非先住民かという線です。
クレアの様な先住民とは、ホテルの掃除をお願いする時、屋台で食べ物を買う時、工場のラインで挨拶する時に会いました。私の様な日本人相手にビジネスをする経営者やホワイトカラーは、決まって白人しかいませんでした。メキシコは2019年になっても今作で描れる風景そのままの階層社会だと感じます。
また、クレアもソフィアも社会階層は違えど男性から虐げられている事が共通しています。現代でも未だマチズモが根強いているかどうかは分かりませんが、男性優位が女性にとって住みやすくない事は明らかです。クレアが「子供が産まれないで欲しかった」と吐露する場面は女性、特に先住民の女性が置かれた厳しい立場を物語っていると思います。
クレアは自分の子供を死産しましたが、ソフィアの子供達を助けました。この海水浴の出来事は、クレアの様な先住民達が身体を張って白人達を支えている事を表している象徴的なシーンだと思います。だからこそ私はこの出来事を美しいとは思えませんでしたし、逆に白人による略奪の歴史を思い出してしまいました。
監督は普段は全く陽が当たらないメキシコ先住民の女性に一筋の光を当てました。クレアを観てると私が出会った先住民の女性達を思い出します。彼女達が少しでも良い方向へ、時代が少しでも良い方向へ動く事はあるのでしょうか。
我々一人一人の物語。これは、映画である
昨今話題と注目留まらぬネット配信映画。
今年は特に象徴する出来事が。
アカデミー賞に於いてアルフォンソ・キュアロン監督作『ROMA ローマ』が監督賞含む3部門で受賞。
今後さらにネット配信映画の勢いは加速するだろう。
ネット配信映画を見れる環境ではない故、見たくても見れなかった『ROMA ローマ』。
そしたら、アカデミー賞が追い風になったか、全国のイオンシネマとの提携で劇場公開が決定!
隣町にイオンシネマがあり、調べてみたら、上映するではないか!
イヤッホ~!…とばかりに、急遽地元の映画館でも上映が決まった『グリーンブック』より先に観に行って来ました。
1970年代、メキシコシティにある“ローマ地区”。
そこで暮らす中流家庭と、仕える家政婦の日常。
これはもう、小津安二郎の世界だ!
大事件や劇的な出来事は一切起こらない。少なからず当時のメキシコの出来事や事件にも触れられているが、あくまで背景で、平凡な営みを、静かに、淡々と。
一見そうでないように見えて、実は相当の技術力が掛けられている。
白黒の映像美。流麗なカメラワーク。映像の美しさ、見事さは神がかり的!
生活感のある家の中の装飾、雰囲気満点の町並み。ああいう昔も今も変わらない風景って、どの国にもあるんだね。
何気ない日常生活の音。町中の喧騒。地震や森火事や暴動や押し寄せる波の音響などはハイクオリティー。
それらを創り上げ、まとめたキュアロンの手腕は芸術の域。こりゃ監督賞は当然。
確かに玄人好みの作品で、合わない人は合わないかもしれない。
こういう作品を作る時、必ずしも劇的な出来事や歴史的事件を描かなければならないのか。
否!
時代も違う。国も違う。
でも我々は、我々と変わらぬ人々の営みを通じて、その時代、その国、そこで生きた人々の息遣いを見知る事が出来る。
それも映画の在り方、映画を見る醍醐味の一つである。
映画らしい山場/見せ場は無いが、しかしこの一家と家政婦にとっては、平穏だった日常の中に“劇的な”出来事が起きる。
家政婦の恋。妊娠。失恋。破水し、赤ん坊は…。
不満も不自由も無いような家族。が、父の“出張”をきっかけに…。
それぞれの喜怒哀楽。
我が子を亡くし、塞ぎ込む家政婦を、一家は旅行に連れて行く。
海で子供たちが溺れかけ、助ける家政婦。
我が子は助からなかった。胸の内を吐露する。
そんな家政婦を、一家は愛で包み込む。
本作のハイライトと言えよう。
キュアロンの半自伝的物語。
キュアロンの実際の生い立ちとは違うようだが、根底に繋がるものは同じ。
あの時代、あの日、あの家、あの場所、家族や周囲のあの人たち…。
今も目を閉じると、瞼に思い出す。
異国の昔の他人の物語などではない。
我々一人一人の物語。
先日、映画史上屈指のフィルムメイカーが、ネット配信映画は映画じゃないと発言。
はっきり言ってこれは、偏見であり暴言である。
『ROMA ローマ』も元々は劇場公開映画として作られた。しかし映画会社が、こんな映画に金を出せるかと門前払い。そんな時製作の場を与えてくれたのが、たまたまネット配信の会社であっただけ。
映画会社に断られた映画が絶賛され、栄えある賞も受賞し、映画会社の見る目の無さ、ネット配信会社の評価を高めた結果になった。
映画の製作/スタイル/公開法なんて時代によって変わる。
VHSが普及した時も似たような意見があっただろう。DVDやBDへ移り変わる時だって。
それが今は当たり前になった。ネット配信の映画だって、いつかは…。
劇場公開とかネット配信とかでなくとも、本作は紛れもなく一級品の作品。
これは、映画である。
名画である。
美しさに打たれる
とにかく映像が美しい映画でした。
音響も素晴らしかったです。
まるで目の前で起きているかの様なストーリーで、本当に嘘がなく自然でした。
淡々と流している様ですが、目が離せない緻密な脚本だったと思います。
久しぶりに映画を観て泣きました。
厳しい生活とその中に光る人間性をありのままに描いて、この上なく感情を揺さぶられました。
武道の達人のポーズを難なくこなしていたシーンは面白かったです。
凄い映画です。間違いなく劇場で鑑賞する価値のある作品だと感じます。なんなら映画祭などでかかる様な映画でした。
イオンシネマさんありがとうございます。
女は強し…
1970年代の激動のメキシコ。
そこに住む中産階級の一家と
仕えるクレオの物語。
タイルとブラシで掃く音、流される水。
冒頭のシーンでモノクロの世界へ
引き込まれていきました。
一家の主人は女をつくり、4人の子供を
置いて出て行き、クレオの恋人は妊娠を
告げられるとデート中、彼女を置き去りに
姿を消すという始末。
奧さんは自暴自棄になりながらも、
必死に子供達のために踏ん張り、
クレオの妊娠もこんな時だから、
怒り狂うかと思いきや、
まるで家族の事のように受け入れる。
思わず心の中で、ブラボー!(笑)
クレオもただ仕えるという立場ではなく、
愛情を一家に注ぐ。荒れ狂う社会情勢と
重なるように一家にも荒波が打ち寄せる。
最後に一家は海辺へ旅行に出かけ、
奧さんは子供達に、パパは帰らない。
これからは冒険よ!と吹っ切れたように告げる。
冒険、なんてチャーミングな表現かと感嘆。
子供達の悲しみも不安もきっと半分に
なったのではないかと。
クレオは浜辺で、赤ちゃんを産みたくなかったと
家族に吐露し、皆で抱き合うシーンは涙が溢れました。ここで、一家とクレオはほんとうの意味で家族になったと確信をしたのです。…
血の繋がりがある本来の家族は容易に
家族を捨て去り、素性の何一つ知らない
家政婦のクレオが
家族の繋がりを超えた、絆で結ばれる。
万引き家族と同様、家族ってなんなんだ?と
深く問われたし、また人生どん底であっても、
太陽は登り、必ず明日が来る。
生きる、ということを教えられ、
もがきながら前を向こうと挑めるのは、
奥さんもクレオも心豊かな持ち主だったに
違いない。
家族=血の繋がり、という一辺倒な概念は
そろそろ捨てた方がいい、と思えた
感慨深い作品でした。
傑作
波と空と飛行機
まぎれもない傑作。
監督の子供の頃の思い出のはずなのに、家政婦さんの視点で描かれる。
ただし、あくまで子供の頃に知り得たことに敢えて限定して描いているらしく、主人公が置かれた境遇は、空と飛行機(石川啄木の詩を思い出す)という風景に託されている。ここも巧みなところ。
はじめすごくフェリー二っぽいと思って見ていると、いつも間にか小津になり、笑いもスリルもあり、そして女性として生きることも突きつけてくる。
そして、モチーフの使い方の印象深さ。
冒頭の、水に映った窓を飛行機が横切るシーンで一気に心をつかまれました。
その水が波になりますが、ラスト近くのシーンと対応しています。
彼女の先住民としての社会的な立場と、彼女自身の内面をそのシーンだけで象徴していたことが後からわかり、唸らされました。
2019/3/20 イオンシネマ浦和美園にて再鑑賞。やはり素晴らしかった。
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