ROMA ローマのレビュー・感想・評価
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「ROMA/ローマ」アルフォンソ・キュアロンの少年時代の家政婦への...
「ROMA/ローマ」アルフォンソ・キュアロンの少年時代の家政婦へのオマージュとして作られた作品。決してノスタルジックにならない各シーンの映像が素晴らしくて、やはりスクリーンで観るべき映画だよなと。ノスタルジックにならないという点はストーリーも勿論同じで、クレアがレイシズム、セクシズムによりいかに痛めつけられていたかが克明に描かれていて、監督のクレアへの贖罪の映画になっています。
浸る
ほんとに「凄い」撮影というのは、その凄さが決して先行せず、ただひたすら映像に没入出来るものなのだな。。そんなことを思いました。観るもの全てが子供達の無事のみを強く祈ったであろうクライマックス。後々考えると、どうやって撮影したんだろう??完全に溺れて(いるように見えて)いて苦しそうな子供達だったよね。。自然でありながら全てが整っている。うんこから水から何から全てに意味があるように思えてひたすら考え続けて疲れた。
どこかで味わった感覚。。これは想田和弘監督の一連の観察映画の世界だ。
決して特別でない、その時代を生きた家族の物語かも知れないが、素晴らしく豊かな映像はいとも簡単に自分の心の奥に入って来るような感覚を覚えた。
あいつ「や、今、リハーサル中だから」なんてアホな切り返しだろう!!
視覚と聴覚への文句のつけどころのない表現。 リアルな人の温かさを感じられるストーリー。
映画館にて鑑賞。
冒頭1分の素朴なシーンで視覚、聴覚、想像力をこのうえなく刺激してきた。
音が鳴ってる。
この音はなんだろうな。
カメラの水平移動に合わせて人が歩いてる。
先に何があるんだろうな。
映像を見てて自分のなかでの意識/心の根本的な動きが最初から最後まで心地よかったです。
視覚情報はグレイの映像が素晴らしい。
色が付いてたら意味が強くなりすぎてしまう。
色彩がないことで無駄な情報が省かれて画面に集中する。
向いている意識に応えるだけの美しいカット、面白い構図の数々。
音もまた素晴らしい。音楽でなく音。
人の歩く音。
水の流れる音。
草が揺れる音。
ラジオのノイズ
……現実的な音が鳴ってるだけ。
その耳への刺激がアンビエント・ドローンを聴いてるかのように心地よい。
日常の音がこうも面白いのか、と。
日々の聴覚への意識が変わりそう。
そして、ストーリーも味わい深い。
最初の方は穏やかな日々が延々と描かれて“音像/映像美による日常を眺める作品かな?”と思った。
でも後半は、あくまでも過度に盛り上げることなくじんわりと心に染みる話に。
出てくるのは基本的に良い人。そして人間味がある人。リアル。
だからこそ胸がキュっとなる。
だからこそ一人のゲスさが際立つ。
でもあの人も人間的なんだよなぁ。
ところどころ笑っていいのかわからないシュールなネタが炸裂してたのが奇妙だった;
先生;;;
視覚と聴覚への文句のつけどころのない表現。
そして、リアルな人の温かさを感じられるストーリー。
間違いなく良作でした!
P.S.
実際にROMAを見て素晴らしい作品だと実感しました。
でも自分の考えとしてはアカデミー賞は違和感があるんよなぁ。
Netflix発だから作品としての魅力が下がるとはまったく思わない。
でも映画館で上映されてる作品のレースに参加してしまうと、色んなモノが崩れていく気がする。
あらゆるディテールに隙がない。
とりあえず、忘れないうちに書いておきたかったので。
音の効果。
この映画の最大の魅力。他の要素も素晴らしいクオリティでしたが、音に関しては新次元だった。
映画館くらいの音響でないと聞こえないであろう音が、遠近大小あらゆる所から聞こえる。それによって、画面外の場所で何が起きているのか、どこに誰がいるのか、はてはモブシーンの人生や遠くの情景まで想像してしまう。
意図的に左右で違う音が聞こえ、右で激しい轟音が鳴り響いているのに左では小鳥のさえずりが聞こえたりする。世間では大変な出来事が起きていたとしても、個の家族の生活は日常規模の出来事が進む。隣同士なのに左右でお互い無関心な線引きを音を使って説明している。
劇中でBGMがなく、音をこだわり抜いた結果のような、実際この映画には不要だったと思う。とても潔い。
映像。
光、汚れ、煙草や炎の煙、砂煙、それぞれのディテールが美しく強調され、白黒映画ですがそれを忘れる程の彩りに満ちている。
決して輝度が強い訳でもないのに、暗闇でもそこにいる人が何をしているのか自然に解り、細かなこだわりを感じた。
モブシーンの服装や、動きがとても現実的で、国も時代も違うメキシコを身近に感じてしまえるほどリアルだった。音の部分との相乗効果もかなりあったと思う。
今回、映像にルベツキを起用してなかった訳なんですが、それによるマイナスが一切なく、ワンカットの長さも丁度良い。ルベツキが得意な人物を追うカメラワークも、キュアロンなりにとても自然だった。オープニングシーンなんか、ルベツキ使わなくてもできるんです!的なドヤりさえ感じた。
ストーリー。
メキシコの貧乏でも裕福という程でもない、とある一家の物語。凄く地味。それなのに全く退屈する事がないのは、ワンシーンワンシーンの中にある音や映像や隠喩などの、作り込まれた重量の賜物だと思う。「この世界の片隅に」を彷彿とさせる。
時代を言葉や文ではなく街中の雰囲気や人々で説明する巧みさは、とても自然に映されていて素晴らしい。何より個人的に好感が持てる。
派手な演出もなく、色々な出来事を凄く自然に見せているのだけど、そこに地味さはなく、ここにも他人の無関心さが漂う。それがあくまで嫌味ではなく現実味として感じれるのは、絶妙なバランスによるものだと思う。
主人公の彼氏の違和感。全体的に現実味のある登場人物が多いのだけど、彼氏とその周囲の空間だけ妙に作り物っぽく、奇妙で物凄い違和感を感じた。おそらくこれは監督の意図したものなのだろう。空っぽの正義感と陳腐な精神を持った彼は、作り物の象徴として、とても効果的だった。そこを確信できたのは、先生のポーズを周囲の人達は誰も出来なかったのに、主人公が出来たから。合気道の達人の動画みたいな感じ。ここはキュアロン自身がそういう特定の人達に対して、このような違和感を感じているという事を表している。
オマージュ。
タルコフスキーと、小津安二郎の色が濃い。
元々、キュアロンはルベツキと組むと極端な長回しをよくするので、以前からタルコフスキーの色がある印象だったが、タルコフスキーの隠喩をこれみよがしに使うイメージはなかった。今回は逆に極端な長回しを抑え、隠喩の部分をふんだんに盛り込んでいる。炎、水、風、漏れるミルク、マジックアワーなどなど、微妙なラインを入れるともっとある。事前にタルコフスキーの隠喩を知っておくと、この物語をより深く観る事ができると思う。
主にストーリーの部分で、小津安二郎の色を濃く感じる。家族、他人、関心と無関心などなど小津作品が基本的にテーマとしてきたものと酷似している。キュアロンの過去作でも日常会話の感じは以前から小津っぽかったが、ここまで色濃く感じたのは初めて。映像でも白黒やカメラワークの部分で小津安二郎から効果的に引用している。
強烈に感じた引用がこの二人というだけで、他にも沢山の監督や作品からの引用が盛込まれていると思う。
個人的な感想。とにかく良かった。本当に良かった。素晴らしく良かった。非常に異常に良かった。
関東ではもう、ほぼほぼ上映していなかったが、友人から本厚木にある「厚木の映画館」という映画館でギリギリやっていると教えられる。
音響も素晴らしく、清潔で良い映画館でした。
厚木の映画館には感謝しきれない。
広すぎる画面に拘りを感じる!!
ストーリーは家政婦が妊娠するというだけですが、自然な演出で、人々の生活や町並みを自由に観てくれと押し付けがましくないです。日本映画で70年代が舞台の映画を作るとしたら、とにかく画面を狭く狭くして現代で撮っているのを誤魔化すと思いますが、キュアロンはとにかく画面を広く広くして、これ以上ないくらい広くなっているという、凄まじい拘りを感じました。良く言えば、どのシーンもモノクロの長い絵葉書のような感じでした。日本人の時間の流れからすると退屈ですが、映画を作るならここまで拘れよ、という思いは感じました。
実は弱い女性を描いた作品。だが強くある必要もない
アルフォンソ・キュアロンの天才ぶりが発揮されてしまった作品。
演出面では、大衆を上手く利用するあたりは黒澤明を彷彿とさせ1シーン殆ど1カット長回しだが、飽きさせない。映像の中で何かしら起きている。
そもそもキュアロンは長回しを多用する監督であるが、今作はとても効果的だった。主人公が一人で何かと戦っているシーンでは孤独感が強調され、白人家族と一緒にテレビを観るシーンは対照的に家族団欒のゆっくりな時間が滲み出ている。
映像も去ることながら、録音がとても素晴らしい。洗濯物から落ちる水滴の音、遠くで聞こえる犬の鳴き声、空を飛ぶ飛行機、タイヤで踏まれる犬のフンの音、そしてあの波の轟音… 音がとにかく気持ちよく完璧。この音が作品にのめり込む大きな要素になっていたと思う。是非良いサウンド環境で観ることをお勧めします。
Me too運動などの影響で“強い女性”を描いた作品が好まれる昨今の映画業界では、今作も“強い女性の映画”として評価されるかもしれない。しかし僕はむしろ“弱い女性”を描いた作品だったと思う。その弱い女性が周りに助けられ、そして助け、人生の一幕が過ぎていく。強くある必要はない、弱くても彼女が生きている姿はそれだけで美しい。そう僕の目には写った作品だった。
僕はこの映画を絶賛しなければ、ならないのだろうか?
映画館ではなく、100円くらい払って、深夜の仕事場でブランデーでも飲みながら
ダラリと観るレベルの映画だった。
早い話、只の凡作だ。
高画質カメラを使い、白黒映画ではなく、セピアという色で演出しているので
一見新鮮にも見えるし、色を絞っているので、聴衆の集中力が増すが
白黒映画にしたら、この光の拘らなさからして、
うまく陰影が出せなかっただろう。
それでも冒頭の水の表現はうまいし、この映画に数回でてくる自由の象徴?である”飛行機”をうまく映していた。
CGでなければ、見事だ。
ゆっくりとしたテンポで話が進むが、これはかっての欧州・イタリア映画のようなリズム感ではなく、
時間制約を受けない
ネット映画だからこそできた余裕のダラケに過ぎず
トラック移動しか知らないのか?
カメラ移動も単調で変化がなく、移動の意味合いもなく、同じ動きを繰り返す。
小津監督のカメラ位置と間を勉強してもらいたい。
人間間の感情の描写がなく、とても希薄な薄べったい人間関係しか描かれていない。
これを芸術と呼ぶのか?
単なる”ネット映画”と言う新分野にあって、劇場映画を脅かすものにはなっておらず
短編ドラマの域をでていない。
「ROMA」いくら地名だからと言って、映画のタイトルにする意味はない
まるで「パイ」だ!
そしてメキシコの暴動について、無知な僕には、時代背景がよく解らん!
しかしその時代背景が本編に影響しているようにも思えない。
ただの時間の無駄づかいに過ぎない。
内容も何が言いたいか判らない映画
描かれている裕福な家族と家は
冒頭からでてくる、粗雑な家と人々は僕が育ったかっての家の様で、観ていて嬉しかった。
我家でも、犬のお土産がよく庭に潰れてありました。へへ
この映画を観たら、同じ邪道のムジナ「300(スリハンドレッド)」を観てみよう。
クソ! と素直に言えるだろう。
祖母を想う
控えめで自分のことは後回しで子供たちを大事にするクレオがおばあちゃんと重なった。たくさんの人がこういう優しさに守られてきた。
でも最後までクレオは他者だった気がする。彼女の本当のところは全然描かれてない。
フルチンの男がバカすぎて。。
医者と化学者夫婦で使用人3人ってどんだけ格差あるんだ。車ガンガンぶつける奥さん大雑把で好き。
ぺぺは何処から来たのかな?前に大きかったとき。
長回しなので酔ったよ。
血の木曜日事件、
政府が組織した民兵のロスアルコネス
飼ってた犬剥製にする感じわからない。メキシコの死生観は独特。
つながり
ここまで明確に、ここまで的確に、家族というものを描ききった作品を他に知らない。
右から左へ流れるカメラワークが多い中で、ラストの海岸でのカメラワークが意味するものは前進であり、成長であり、未来なのだと思う。
余談ですが、
本作を撮影するにあたってアルフォンソ・キュアロン監督は各映画会社に掛け合ったそうですが軒並み断られたそうです。
そんな監督に“うちで撮りなよ”と資金と場所を提供したのがNETFLIXだった、と。
それなのにスピル◯ーグ氏からは「ROMAは映画として認めない」と批判されました。
いやいや“映画を撮ろうと映画会社に駆け寄ったら断られた”から大手映画製作会社ではないNETFLIXで撮っただけですよ?
大手映画製作会社が撮って良いよと認めた物だけが映画だというのならば、あなたが理事を務めるアカデミー賞なんて茶番だと思いませんか?
モノクロの方が心にしみこむ映画
最初の映像は雨のリズムで物語の始まる。家政婦のクレアから見た上流階級の物語。妊娠したクレアを見捨てる男・4人も子供がいるのに愛人と逃げたご主人。男のだらしなさ感じます。その中で強い母と強いクレア。クレアが死産したシーンとおぼれそうな子供たちを助けるシーンは衝撃的でした。海辺のシーンは万引き家族でもありましたね。モノクロのクレアの顔が印象的でした。
美しいモノクロ映像
まず感じるのが、モノクロ映像の美しさと、構図も含めたカメラワークの素晴らしさ。
オープニングからそうだが、とにかく1カットが長い、所謂長回しのシーンが多い。
これを丁寧と感じるか、冗長に感じるは観る側次第だろう。
加えて効果的な音響には、ドキュメンタリー映画のようなリアルさがあって、まるで作り物のような感じを受けない。
ただ、内容的には、住み込みの家政婦の日常を、淡々と映し出しているにすぎず、いくつかのエピソードはあるが、あまりメリハリがなく、今ひとつ物足りなさを感じる。
それでも、いろいろあったが、最後は皆んなで明日に向かって、力強く生きて行こうみたいな感じのラストは、気持ちの良い終わり方だ。
芸術作品なのかも知れないが、万人受けする作品ではないと思うので、人には勧めにくい作品かな。
言葉がない
極めてプライベートな幼少の記憶を銀幕に焼き付けた私小説的叙情詩。
モノクロだからこそ記憶に残る、冒頭のタイルの形や、エンディングの屋根の向こうに飛び立つ飛行機の角度。
『東京物語』の汽車の煙と倉の屋根が記憶で重なる。
理屈では説明できない視覚的心地よさが全編に溢れる。
2ヶ月経ってもレビューが上手くまとまらない。
もう一度、ドルビーシネマで鑑賞したいと思う、超一流の美術作品である。
18、19、30
素晴らしいの一言。生と死、男と女、空、海、全てが美しい映像、迫力ある音響と一体になった映画。見終わった後で映画のレビューを見ると、様々な伏線があったことに驚く。内容は淡々としたものなのだが、それを、まるで親戚の家や自分にあった出来事のように思わせる(宇多丸の映画レビューより)キュアソン監督の力は凄い。しかも、母親以外は全て演技経験がなく、セリフも演技もその場のアドリブで行っていたとのことで、なんという監督なのだろう。宇多丸も言っていたが、ネトフリ配信だからといって、絶対にスマホやタブレットで見るべきではない。部屋を暗くし、良い音響システムがなければヘッドフォンで音響を聞くべき、でも映画館がベスト。
家族になる
日本のネットフェックスでやっとみられた映画。長い間みたかったけどチャンスが全くなかった。
クレオ (ヤリツァ・アパリシオ) という家政婦を中心に展開するメキシコ映画だが、最後のシーンで家政婦を含めて家族になっていくシーンに心を打たれる。
中南米では一般論だが白人が芸能界の中心であり、ヤリツァ・アパリシオ(ミシュテカ(Mixteca)はメソアメリカの先住民)が 主役になったことで芸能界の動きが変わっていく。
ROMAの愛の物語
既に、言い尽くされてることかもしれないが、ROMA地区に住むクレオと、ソフィアの家族のAMOR(愛してる)の物語だ。
社会情勢が緊迫化する中で、彼らは必死に前向きに生きようとする。
この時期のメキシコは大きく揺れていた。
68年のメキシコシティ オリンピックは光の部分だが、前後に大きな民衆弾圧の事件が2度発生し、多くの市民が殺害されている。
イデオロギーというより、白人が先住民を支配し、社会に不満が溜まりに溜まっていたためだろう。
そのような情勢下で、ソフィアの夫は家を出て、家族の元には戻らず、クレオは反政府運動を行うフェルミンの子供を妊娠してしまう。
クレオの子供は死産だったが…、
クレオは、ずっと、その子は「生まれてこなければ良い」と願っていたために、罪悪感や後悔の念に苛まれることになる。
メキシコは、多くの市民が敬虔なカトリック教徒で、そんな背景も、クレオの罪悪感を助長したのではないだろうか。
そして、皆で出かけた旅先の海で、クレオは泳げないにもかかわらず、高波にさらわれて溺れかけたソフィアの子供二人を必死に助け出す。
自分の子供を失ったことへの、贖罪のような気持ちもあったのだろうか。
その直後、正直に後悔の気持ちを話し始めたクレオを、ソフィアの家族は優しく、強く抱きしめ、皆の関係は更に深まっていく。
エンディングでは、高地で乾いた気候には特有の、天高い空が広がり、希望を感じさせる。
深読みしすぎかもしれないが、ROMAには、カトリックの権威でもあるバチカンがある。
一方、遠く離れたメキシコシティのROMAには、こうした助け合う家族の物語があったのだ。
人々を育み救うのは、権威や、宗教やイデオロギーではなく、助け合ったり、励ましあったりする人々の「愛」なのだということもメッセージとして内包してるのではないだろうか。
そんな事も感じさせる物語だった。
この映画のコメントをしたくて、会員登録しました。この感動をうまく言...
この映画のコメントをしたくて、会員登録しました。この感動をうまく言葉には出来ないのがもどかしい。
冒頭のシーンから監督の意図することが伝わる。主人公の家政婦が一生懸命に石の床をゴシゴシと洗い流す映像が続く。何度も流すが、うまく排水されない。これを見て、この映画が順風満帆な映画でなないのだと心づもりをした。
予想通り、まだ幼い主人公と舞台であるメキシコには幾多の難が訪れる。何度も訪れるのだが、前半はまるでドキュメンタリーを観ている様な感覚だ。なぜなら、この映画には、BGMもなければ、登場人物の表情のアップもない。画面もモノクロで主人公は俳優経験ゼロと言うのも良い。大袈裟な表現を敢えて避け、淡々と流れる映像に、ぐいぐいと引き込まれて行く。
予期せぬ妊娠に見舞われ、出産するも死産となった。息をしない赤ん坊を抱きながら涙する彼女。その涙は、実は懺悔の涙だったことが後になり分かる。本当は生まれてほしくなかった…と、初めて自分の心を吐露した主人公。
吐露したのは、一家で出掛けたビーチの荒海にて。泳ぐ事が出来ない主人公だか、毎日子守りをしている子ども2人が荒海にさらわれてしまったのだ。
この映像は怖かった。まさか3人とも溺れ死んでしまうのか!どうか助かってくれ!と心の中で叫んでいた。
泳げない人が、あの様な波の中へ入って行けるのか??主人公は大切な子ども達を助けたい一心だったのだろう。やっとの思いで助け出した2人と抱き合っている所へ、雇い主の母親や他の兄弟達も賭け寄り抱きしめ合った時に主人公が発した言葉が「本当は生みたくなかったの」だった。抱きしめ合いながら、一家は各々に泣いていた。クレオは懺悔の涙。子ども達は溺れた恐怖からの安堵。長男は父に捨てられた悲しさ。母親はこれから母子で生きて行く船出の不安だろうか。
が、しかし、このビーチへの旅行は主人公にとっても、一家にとっても良い幕開けとなった様だ。旅行から帰ると、留守番の祖母?が子ども達の部屋の模様替えを行っていた。末っ子が「うん、僕これ気に入った」と、この映画で初めての明るい言葉を発した。その後、予期せぬとはいえ出産を望まなかった赤子への懺悔から解き放たれた主人公。本当に守りたい命は、私でも守れるんだ!と自信を取り戻したのだろう。屋上へせんたく物を干しに行く、主人公の足音は何とも軽い足音だ。その階段は真っ青な青空へ続いている様な映像に、私も心から安堵した。冒頭の、何度流しても排水されない不快さはもうなかった。
この映画をつまらないと評価する人もいる様だが仕方がない。この映画は、観る人がどれだけの人生を経験してきたかにより、評価が分かれる映画である。
監督の伝えたい事をどれだけ受け取れたかは分からない。が、しかし、私はとても心を揺さぶられた。この映画に出会えた事に感謝したい。
ぜんぜんおもろない
さっぱり面白くない!つまらない映画!!!
これを素晴らしい♪とか評価してるマニアックな奴らの気持ちがさっぱりわからん!(ー。ー#)まず宣伝からしてつまらないし!
ダンボの方がずっと描き方が
キレイで素敵!(^^)
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