ROMA ローマのレビュー・感想・評価
全167件中、101~120件目を表示
家政婦が見た1970年のメキシコの中産階級
本作品は、第91回アカデミー賞にて、外国語映画賞、監督賞、撮影賞の見事3冠に輝いた作品ですが、動画配信サービスのNetflix独占配信の映画でしたので、私にはおそらく縁がない映画だと思っていましたが、アカデミー賞受賞効果なのか、有り難い事に、急遽、3/9(土)より全国のイオンシネマの48館にて、配給会社を介さずに、直接に劇場で公開される事が決定し、その中でも、イオンシネマ京都桂川では、3/14(木)までは、ちょうどULTIRAスクリーンの音響設備の良い劇場で公開していましたので急いで鑑賞に赴いてきました。
イオンシネマさんには、感謝の気持ちでいっぱいです!
尚、その後、イオンシネマの他の劇場を含め、全国で全77館での拡大上映が決定したらしいです。
※京都府内では、イオンシネマ京都桂川、イオンシネマ久御山、イオンシネマ高の原の他、今月末より、出町座でも上映が決定しました。
いきなり長い廊下のタイル張りの床の排水口に水が流れていく様子をただひたすら映し続けるオープニングで始まったので、これは、作家性に富んだ芸術作品かと、やや身構えてしまいましたが、結論から言いますと、好みは分かれるかも知れないですが、押し付けがましさもなく、決して難解な映画でもなく、メキシコシティのローマ地区の中産階級の白人家庭に住み込みの家政婦として働く主人公クレオの1970年からの激動の1年間を切り抜いた様な作品で、彼女の心の動きを、静かに丁寧に活写した、実に、心に染み入る作品でした。
また、作品内に登場する男達が皆、薄情な人物像ばかりで、そういった男性からの女性蔑視もさることながら、舞台は1970年ながらもメキシコ人の中における先住民族に対するマイノリティ差別の側面をも盛り込んだ今日的なテーマも内包した作品でした。
劇場のULTIRAスクリーンの音響が良かった事も奏功したのでしょうが、何よりも、何気ない生活音・環境音の使い方が秀逸でした。
カメラワークにつきましても、アルフォンソ・キュアロン監督自ら脚本も撮影も行ったらしく、ほぼ基礎的な古典的な長回しの撮影手法で撮っていたようでしたが、その中でも、山火事・病院内での地震のシーン。また学生デモのシーンや海辺の波打ち際のシーンでの横移動の長回し撮影には感嘆しましたが、あれは最近流行りのドローンを使った撮影手法だったのでしょうか。
デジタルでいくらでも鮮やかに仕上げられるこの時代に、あえてモノクロで表現していましたが、色が着いていたらグロテスクな表現もあったし、約半世紀前という懐かしい風情を感じさせる点でも、モノクロ映画にしたのは実に効果的な手法にも思えました。
また光の射し方をも考え抜いたカメラワークによって観る側に色の想像力をかき立ててくれていて、逆にカラフルにも感じましたね。
作品中に登場する、いろんな意味合いで自らの棒を振り回していたフェルミンという青年の薄情さが腹立たしくて仕方なかったでした。
あのボカシのない全裸での棒術の披露シーンがあるからR15指定になっていた映画なんでしょうけれど、別にあのシーンはパンツ一丁でも違和感なかった様な気もしましたが、あえて全裸にさせるのには、やはりアルフォンソ・キュアロン監督なりの強い拘りなのでしょうね。
ソフィアの夫であり雇用主のアントニオも薄情な人物像でしたが、登場する男性陣が全てクソッタレなのにも困りました。
因みに、同じクソでも、犬の糞も半端なく出てきますので、Netflixの動画配信サービスなどでお家でご覧になられる際には、お食事中の鑑賞には不向きなので要注意。
映しているものは犬の糞など汚い物も多かったですが、撮影賞も相応しいほど構図や映し方が綺麗な映画でした。
辛い場面もありますが、クスクスと笑える場面も多く、フォードのあの年式の大型車ギャラクシーの車庫入れや荒っぽい運転に笑いを誘い、またアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラビティ』のセルフパロディの劇中映画『宇宙からの脱出』には思わずニヤリとさせられました。
ただ、そんな中、この作品のポスター写真にもなっている、クライマックスの浜辺の場面には思わず胸が詰まりました。
子供たちを必死で助けたクレオが、不意に漏らした言葉。何故、急に今に言うのか、と一瞬驚きますが、子供たちの命が危険にさらされる中、恐怖と共に、湧き上がってきた感情だったのだと分かります。
監督は、誰にも台本を渡さず、撮影の前に台詞を伝えていたらしく、主演のクレオ役のヤリッツァ・アパリシオは、これまで演技未経験だというから驚かされましたね。
生活音・環境音の使い方などが凄く上手かったので、思わず1970年代のラテン音楽を19曲収録した、この映画『ROMA/ローマ』のオリジナルサントラ盤も購入してしまった次第です。
私が観たイオンシネマ京都桂川の劇場は、8番ULTIRAスクリーンの音響設備が凄く良い箱での上映でしたので、動画配信サービスでなく、細やかな音まで再現してくれて、且つ、迫力ある映像美を劇場で堪能出来て本当に良かったです。
私的な評価としましては、
昨今のアカデミー賞には、実に合った作品だとは思いましたが、実話ベースの社会派作品が作品賞を受賞する傾向にある中、Netflixが配給権を持つ映画と言う点で、不利な上に、更に、実話ベースの、あの天才黒人ピアニストとイタリア系白人の用心棒のロードムービー『グリーンブック』に比較するとエンタメ性に欠ける点で、作品賞は逃したのかなとも思ってしまいましたが、個人的な好みの問題もあるかと思いますが、実にアルフォンソ・キュアロン監督の私小説的な作品でもあり私は良かったと思いました。
また、撮影賞については、ずっとシネマスコープの横長の画面を活かした映像が続いた後に、冒頭のシーンとリンクする最後の場面では、広い空に向かっていく階段の縦方向の演出を巧みに使っていて、とても印象に残るシーンでしたし、順当な受賞だったかなとも思いました。
従いまして、五つ星評価的には、ほぼ満点の四つ星半★★★★☆の(90点)の高評価も相応しい映画だとも思いました。
もしもお近くに上映館があれば出来る限り劇場でご覧になられる事をオススメします。
けっこうよかった
イタリアのローマが舞台だとずっと思っていて、様子がちがってどうやらメキシコらしいと思ったのが最後の方だった。
主人公の妊娠が発覚するまでは、日常のスケッチ的な構成で退屈だなーと思っていたのだが、妊娠が分かってからは何を描いていても常にお腹に赤ん坊がいるし、彼氏はいないし、みたいな心細い思いを抱えている描写に感じられて、飽きなかった。
暴動の場面はすごかった。海の場面は聖書でそんなエピソードがありそうな感じがした。
妊娠させて逃げが彼氏がひどかった。
意味不明のタイトル。
確かにモノクロの画面は美しいし、カメラの移動も滑らか。脚本もまあまあ。しかし、このタイトルは何? 劇中、「ローマ」の「ロ」の字も出てきません。もしかして、現代美術でしばしば見受けられる「メタモルフォーゼ」って、やつですか? うろ覚えですが、ボリス・ヴィアンの小説「北京の秋」は「北京も秋も関係ない。だから、「北京の秋」」という理由でタイトルが付けられた(と記憶しています)のです。観終わった後、もう頭の中はこの謎のタイトルで一杯でした。期待して、近くのイオンシネマ海老名まで観に出かけたのですが、当然のことながらプログラムは販売しおらず、なんだか詐欺に遭遇したような妙な気分になりました。
後日談、
謎のタイトルはwikiを見て、半分、納得。メキシコシティ近郊のコロニア・ローマが舞台とは・・・。せめて、字幕で表示してくれたなら・・・、という思いでいっぱいです。
私には…ちょっと…
アカデミー賞ノミネートで「外国語映画賞と作品賞?…で、アルフォンソ・キュアロン?どゆこと?」と気になって、受賞式前に焦って観賞。
一つ一つのカットが長い…割に、起きることはあまりなく、むしろ観客がそこに表現された「何か」を見出さなくてはならない気持ちにさせられる。
家の中で繰り広げられる他愛もない日常が、1歩外に出るといろいろな試練や壁が待っている。それを示す様々な「不穏」の兆し。
屋内で始まった子供達の兄弟ゲンカで入り口扉のガラスに穴が開くと、境界が崩れ、外の現実が彼らに忍び寄ってくる。
…なんて、分かった様に書いてみたが、私には正直、難度レベルが高くて十分楽しめなかった。
映画館で観ていたらまた感想は違ってたかも。(…ま、言い訳ですね。)
※ここから先は私の個人的なこと書いてます。
まず、Netflixでは私の集中力が保てない。
映画をDVDなどで観ることも苦手。
他の事が気になって、すぐ止めてしまう。
もう年寄りの部類に入る私にとって、映画ってやっぱり、上映時間に合わせてその日のスケジュールを調整し、予約チケットを購入、劇場へ足を運んで、トイレを済ませ、荷物や隣席の客に気を遣い、スマホの電源…と、様々なコンディションをクリアして迎える大きなイベント。
だからこそ、本編が始まったら一点集中逃げ場なし。すべてを見逃すまいと神経をスクリーンに向ける。
私には、配信やDVDでそれができない。
だから私は口が裂けても「映画好き」などと公言できません。
映画の感想から離れてしまったけど、個人的にはやはり映画は劇場公開して欲しいですね。
制作費の面とか、いろんなしがらみがあるのは承知しているものの、引きこもりがちの私を外に連れ出し、映画以外にも都市部のいろんな動きや商品に触れる機会をくれる大事なエンターテインメントなので。
★を付ける以上、劇場で観たものでないと他の作品と比較できないと思ってレビューはやめていたけど、書いてみました。
ねえ、死んでるの好き
日常録かと思いきや、心揺さぶるドラマ。
普遍的かつ確かな希望と愛を感じる。
鑑賞後、強い安堵感と心にじんわり染み渡り広がる水のような余韻がとても気持ち良い。
遠く離れた場所の50年近く前の物語だけど、すぐそこに在るように思える描き方。
家族と家政婦の生活がそのままポンと示され、彼らに十分に心を寄せたところで突如現れる不安要素。
穏やかな空気と不穏な出来事が繰り返されて、地味にドキドキした。
「召使いめ。」か…。キツイな。
立場や身分の差から何かゴタつくのかと思っていたけど、家族と家政婦の間にはきちんと愛があることに心底安心。
それでもソフィアから八つ当たりのようにキレられたり祖母がクレオについて何も知らなかったことに傷付いた。
知らないことに疑問すら持っていなかったのか。
仕方ないんだけども。そういうものだから。
掃除の水の波と海の波が重なる。
小さい波も大きい波も起こるし飲まれ揉まれて溺れそうになるけど、生きてる。
「たぶん大丈夫」くらいの心意気で飛行機のように飛んだり落ちたりしながら進んで生きていきたい。
みんなクレオが大好き。その通り。私も大好き。アリガトゴザイマス。
全編モノクロの映像から色を想像しながら観るのが楽しかった。
デートする時のクレオの唇は紅く染まっているかなとか、子ども部屋は色数が多いだろうなとか、パーティーに集まる人々の華やかな装いだとか。
映像におけるKの数の差についてはよく分からないけど、写真的なカットや長回しなど印象的で、その美しさはよく伝わってきた。
確かに劇場で観られてよかった
最初と最後のカットの対比がとても印象的。確かに劇場で観られてよかった。とても綺麗で丁寧な映像だったけど家で観てたらちょっと飽きそう。Netflixしかお金を出さなかったのもわかる。淡々とした映像を丁寧に積み上げていった結果、メッセージが浮かび上がってくる感じは、映画としてとてもお洒落。
評価が難しい…
限定公開のイオンシネマ港北ニュータウンにて。
とにかくモノクロの画面は美しい。そこで繰り広げられる物語は女性の受難を描くものだったとしても。ただ、少なくとも、配信でテレビで観るよりは劇場で観るべきものだとは思う。
メキシコの歴史的な出来事が織り込まれているようだが、あくまでも背景であり、全面に浮上するのはごく僅か。
映画としてどこを評価するか、というのは非常に難しいと思う。私としてはあまり響かなかった…
贅沢な映画?
私小説のような、ゆったりとした美しい映像の映画(映画館で見たので映画!)でした。この監督らしくとても考えられた作品。ですが、クレアが非常に控えめな性格なのと、あまりにリアルな描写で若干眠気が来たのは事実です。メジャースタジオが金を出さないのも理解できる。
しかし、この作品を映画館という環境で見る事が出来たのはとても幸せに感じました。この作品を評価して投票しちゃうアカデミー会員ってすごい。
あのチン○野郎マジでムカつく。武道語るなよ!
画面に釘付けでした
1970年前後のメキシコ情勢の知識もなく、映画に詳しい訳でもなく、普通の家庭(上流階級)のシーンが淡々と描かれるだけなのに、何故か目を離せませんでした。これが映像の力なのか?、モノクロだからこその映像美に溢れています。まだ消化できていませんが、間違いなく見て良かったと思える映画でした。個人的には重要な場面で登場する“水”がすごく気になりました。当時のメキシコでは自らは何かの象徴なのかな?
【1970年代の、メキシコの市井の人々の生活を、豊かな視点で映像化したモノクローム作品。”N"の作品を劇場で公開してくれるイオンシネマには、感謝しかない・・。】
ー アルフォンソ・キュアロン監督で、特にモノクロ映画でアカデミー撮影賞を受賞している事実を確認したく、鑑賞。ー
■1970年代メキシコを舞台に、男に捨てられた家政婦と旦那に捨てられた主婦と子供達の関係を様々なエピソードを盛り込みながら描いている。
光の陰翳が美しく130分があっという間に過ぎた。
私は面白かったが、多くの方が書かれているようにエンタメ要素は少ないし(ゼロ・グラビティのパロディもちょっとだけだし。)、寝不足だとあっという間に寝落ちするのも分かる気がする。
<だが、矢張りクライマックスの家族で寄り添う海岸での美しきシーンは忘れられない。(R15指定になった変な場面もかな・・。)>
横の流れ、縦の流れ
最初は分からなかったけどコレは「死」と「生」の映画だったのか
異色の映画のような気もしますがどこか懐かしさをおぼえるのは何故なんだろう、白黒だけじゃないような気がします。
画面の中の情報が多すぎて一度に処理しきれず見るのにかなり時間がかかってしまいました
映画館ではストップや巻き戻しができないから少々難しいかも
何年間かの記憶がこの映画に圧縮されているとの事らしいですからね
小学生の頃、知り合いの子が目の前で事故死したのを思い出しました
お爺さんやお婆さんのお葬式や同僚の事故、知り合いの自殺
今まで私の人生でいくつもの「死」があり長く悩んだこともありました。
結局答えなんか出ずに今も私は生きてます
責任を感じた時もあるし逃げ出したくなった時もあります。
誰かに聞いて欲しい時もあったし触れてほしくない時もありました。
けっきょく自分の気持ちは自分がどうにかするしかないし立ち止まっていてもどうしようもない
助かる命、諦めなきゃならない命
誰が選ぶわけじゃないけど仕方がない時もあるよね
テーマを真剣に考えると辛くなりますよ。
この映画の女性はみんな優しい❗
星🌟🌟🌟🌟家政婦の日常を描いた作品ですがこの作品に出てくる男性は悪く描かれているのに対し女性はみんな優しい❗主人が愛人を作って出ていった奥さんも家政婦にあたることはなく、その母親も家政婦の子供のためにベビーベッドを買ってあげようとする❗こんな優しい人達あんまりいないと思う❗同じアカデミー賞で話題になった女王陛下のお気に入りの女性の妬みひがみ悪口陰謀は一つも有りません❗作品に出てくる女性達はまさに男性から見た理想の女性像じゃないでしょうか?モノクロの凄く綺麗な作品になっていますがカラーだとまた全然印象が変わったと思います❗モノクロだと犬のふんもそんなに汚く見えないけどカラーだと流石に…汚いものも綺麗に写す撮り方が上手い監督さんだと思います❗評価が分かれる作品かも知れないですが私は好きな作品です❗
監督こだわり再び
「ゼログラビティ」のアルフォンソキュアロン監督。
ゼログラビティの時も撮影にこだわった話は有名だが、今回もやってくれてます。
白黒なのに6k高画質カメラって、、。
撮影アングルも独特、演出も独特。
芸術的要素に引き寄せられる人も居るだろう。
1970年代メキシコにて白人中流階級家庭の家政婦をしていた田舎村出身メキシコ人女性クレオの物語。
序盤からガレージ清掃を5分弱ぐらい観せられ、その後も彼女の行動を淡々と見せつけられる訳だから、淡々と映画を語る小津監督作品に似ていると言われるのには無理も無い。
話的に「地球と言う歴史の中では、これは些細なイチ女性の物語です。」的。それをイチドラマとして描いたから読み取れ!みたいな。
文学小説を読み取れるか取れないかに似ています。
内容的には残念な部分が私にはあります。
1.周りは喜び自分らは哀しむ等、対比構図が多過ぎ。
2.淡々とした話なのに、「ココは是非グッと来て下さい」的な部分が。
家具屋にて狙った様ないきなり暴動シーン。
赤ん坊の鼓動が聴こえない!と連呼する流産シーン。
海のシーン、私なら「助かって良かった」だけにする。
見せ場なのは分かりますよ。
しかし私にはそれまでの演出の良さが霞んでしまう。
いきなりハンドル切られた感じ。
素人の役者集まりなんだから逆に演技演出に走るとシラケる。
これじゃ今までの監督の立ち位置が分からなくなるよ。
何故かココに監督の欲が出てしまった感があり作品的には残念。ここまで淡々さを出したのだから貫いて頂きたかった。
3.お馬鹿なフェルミン君。バカチン過ぎる。3回クレオに交わるシーンはあるのだが、2回目は要らないかな。
4.お馬鹿な男が多過ぎなので、1人ぐらいはクレオに恋愛感情無しの身近な男性が欲しかったな。と。
例えば同じ雇われの運転手をいい感じに使うとか。
どこの国にも外国語映画賞として好かれそうだなというのは納得。
米アカデミー作品賞はアメリカの面目を保って「グリーンブック」にしたのかなと。
世界的ですが、あれはアメリカの賞ですからね。
私もどちらかを選ぶならグリーンブックかな。
芸術的要素があれば高評価だとは個人的に思って無くこの評価。申し訳ない。
二度目は観ないと思います。
追記:余談ですが、
「万引き家族」しかり、「カメラは止めるな!」しかり、「ROMA」しかり。オスカー等の主要映画賞の前の、国際映画祭の受賞煽りっぷりは辞めて頂きたい。
今の国際映画祭は客寄せパンダだ。
一般公開前の作品が多く時期的にも早すぎるし、更にそれに頼った煽り劇場予告を作りたがる。
軽薄な人達は寄りたがる。
ベルリン国際映画祭?ヴェネチア国際映画祭?
通ぶってこれらの映画祭の何を知っているの?
映画祭の受賞は無しにして頂きたい。
これ程つまらない煽りは無い。
3月11日に観る意義
奇しくも東日本大震災から8年、たまたま月曜ということで本来ならばネットフィックスでしか観れない本作をイオンが配給という形で映画館上映を鑑賞した。テレビ画面では未鑑賞だから比較は出来ないが、明らかに本作はシネマスコープ、そしてモノクローム撮影故、大きなスクリーンでの投影がベストだと、鑑賞中でもはっきりと合点がいく。カメラのパンのダイナミズム、何よりも横長の利点を盛り込む奥行きの深さ。これは特に主人公と男が映画館での妊娠を告げるシーンの背景の内部や、後半の家族旅行での離婚を告げた直後の野外のアイスクリームを食すシーンでのバックの蟹のオブジェの鋏の大きさ等、存分に画角を計算されている。鮮やかな白黒が観たこともない色彩を創り出し、例えば主人公の破水での下血は白黒だとあんなにも白が濃い色をしていることに驚く。そんな映像をキュアロン監督は自身の思い出として70年代のメキシコを切り取った内容となっている。
そして、本作でも病院での地震のシーンがあることもまた偶然とは言え、今日という日の意義があるのではないだろうかと感じる。
かなり、宗教観の強い作品であることは、主人公をマグダラのマリアに似せること、だからこそ何か他人と違うエピソードを散りばめることでその得体の知れない存在感を醸し出す演出も、如実に判明している。普段の生活の中に小さい奇跡が起こることで人生は彩られていることを気付かされる作りである。
ただ、本作は前情報を得なければ多分、退屈な作品だと感じてしまうことだろう。そもそも海で溺れかける、死産をする、その出来事も作品としてはそれ程強烈なインパクトはない、比較的薄いフックである。それをアート作品としての昇華に成功させた監督の手腕は天才的である。否、アートだからそれを観る人がそれぞれの価値観を抱いての評価だろうから、かなり二分されることは想像に難くない。かくゆう自分も本作をどれだけ理解し、咀嚼し、理論的に論じられはしない。何で主人公は本当は子供が欲しくなかったと呟いたのかが、その中でも最大の謎であり、解釈が難しい。そんな解釈を必要とする作品は、それでも惹き付けて止まない出来映えであろう事は疑いようもない、かなり頭を使う内容であった。犬の糞の異様な多さも意味があるんだろうなぁ。。。
美しい映像
エンタメ性は無いけど淡々とした日常を映像化したモノが好きな自分にとっては大好物な作品!
一見裕福で幸せそうに見える家族でも、夫が浮気続きの離婚寸前で金に余裕がなかったり
経済的急成長中のメキシコでも内部紛争を起こしていてボロボロだったり
光と影
モノクロの白と黒を象徴する
しかし…
それでも陽はまた登り沈む
日々繰り返すあの雲や波のように…
日々この家族と共に暮らし、子供達もクレオに懐いてる(夫が帰って来て家族みんなでテレビを見ながら全員で笑ってるシーン等)
母親は夫の浮気などで何度か八つ当たりするが、でもクレオが妊娠した時はちゃんと向き合って一緒に喜んでくれるイイ奴
子供達もクレオがいると和むし彼女自身も幸せだ
クレオは泣きながら「本当は産みたくなかった」とだけ最後に初めて自分の心情を言う
妊娠して「クビ」になる事を心配する位だから、この家族との暮らしを壊したくない程に自分の居場所を見つけてただろうし、家族とクレオはお互いに認め合い、固い絆があったのだと思う
モノクロ映像は、余計なモノを削ぎ落とした結果、内容とか心情を読み取って欲しくての表現だと思います
しかしながら…
犬は何度言ってもウンチをやめない
子供達は何度言っても騒々しい
男は何度言っても浮気をする(笑)
日々繰り返すあの…
水に流す
発展途上国で白人宅の家政婦として過ごす少女に焦点をあてた本作。
とにかく静かで、淡々と物語が進んでいくため、合わない人にはまったく合わない作品だと思います。答えは各々で見つけるタイプの映画でした。
ストーリーの展開は、当時のスペインにおける家政婦の生活をリアルに描いた感じで、とても地味でした。
テーマらしいテーマもないのではないか、と思えてしまうくらいの内容に感じましたが、自分としては、
辛かったことや悔しかったこともすべて水に流して生きていこう、というメッセージが込められているのかな、と。
陽
昨年仕事の関係で3回メキシコに行きました。仕事で訪れたその場所には、私自身観光で訪れた時には見えなかったものがありました。それは先住民か非先住民かという線です。
クレアの様な先住民とは、ホテルの掃除をお願いする時、屋台で食べ物を買う時、工場のラインで挨拶する時に会いました。私の様な日本人相手にビジネスをする経営者やホワイトカラーは、決まって白人しかいませんでした。メキシコは2019年になっても今作で描れる風景そのままの階層社会だと感じます。
また、クレアもソフィアも社会階層は違えど男性から虐げられている事が共通しています。現代でも未だマチズモが根強いているかどうかは分かりませんが、男性優位が女性にとって住みやすくない事は明らかです。クレアが「子供が産まれないで欲しかった」と吐露する場面は女性、特に先住民の女性が置かれた厳しい立場を物語っていると思います。
クレアは自分の子供を死産しましたが、ソフィアの子供達を助けました。この海水浴の出来事は、クレアの様な先住民達が身体を張って白人達を支えている事を表している象徴的なシーンだと思います。だからこそ私はこの出来事を美しいとは思えませんでしたし、逆に白人による略奪の歴史を思い出してしまいました。
監督は普段は全く陽が当たらないメキシコ先住民の女性に一筋の光を当てました。クレアを観てると私が出会った先住民の女性達を思い出します。彼女達が少しでも良い方向へ、時代が少しでも良い方向へ動く事はあるのでしょうか。
女性の逞しさ
メキシコの中流白人家庭が舞台。
父親が医師、母親が教師という共働き、子ども4人。
主人公はそこに住み込みで勤める、若いメキシコ人家政婦。
1970~71年の約1年間に、この家庭と家政婦自身の身に、ショックな事が立て続けに起こる。
この話は、人種や地位を超えて「家族」とは何かを考えさせてくれると同時に。
ダメ人間に振り回されて傷ついた女性たちの、魂の再生の物語でもあった。
なるほど、『トゥモロー・ワールド』『(ゼロ・)グラビティ』で見せたような、丁寧な画面作りをしている。
デジタルでいくらでも鮮やかに仕上げられるこの時代に、あえてモノクロームで表現していたが、色がついていたらグロテスクなものもあったし、約49年前という懐かしさを感じさせる点もあったし、実に効果的な手法に思えた。
また、光を考え抜かれたカメラワークによって観る者の色の想像を喚起してくれ、かえってカラフルに感じた。
今のアカデミー賞には、実に合った作品であると思う。
個人的好みとしては悪くないが、エンタメ的ではない。
文芸的といおうか。
私小説のようといおうか。
劇場で集中して観るにはよいが、テレビ画面で観たら、眠くなるのも当然だった。
未だ、小津や木下の映画は、スクリーンじゃないと最後まで観る自信がないのに似て。
それにしても、白人からメキシコ人に至るまで、出てくる男性が全てクソ。
人間のクズの見本市状態なのは困った。
ちなみに犬の糞も出てきます。
対して、女性たちの繊細ながらも、なんと強くて逞しい姿が輝かしいのか。
(男女性差を口にするのはあまり好きじゃないですが、)女性を尊く感じさせてくれる映画でしたね。
一つ付け加えるなら、本作は紛れもなく映画。
調べてみたら、どの配給会社や映画制作会社も、本作に出資せず、監督がどうにか資金を集めて撮り終えた作品をNetflixが買い劇場配給とネット配信したというもの。
ネット配信前提のテレビドラマとは一線を画しています。
全167件中、101~120件目を表示