「アルフォンソ・キュアロン監督の子供時代の追憶」ROMA ローマ 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
アルフォンソ・キュアロン監督の子供時代の追憶
モノクロの画面が美しい映画でした。
物語よりも映像で語る映画。
アート系の映画です。
ファースト・シーンで、
タイルの床に水が流される。
大きなバケツで汲みきれないほどの大量の水。
そこはキュアロン監督が子供の頃を過ごした家の床面。
美しいタイルですが、犬の糞が転がっていて、避けて歩くのは難しそう。
1970年メキシコシティの中産階級居住地区コロニア・ローマの
広大な邸宅の家政婦のクレア。
その雇い主のアントニオとソフィアと4人の子供と祖母の家庭の
1年間が描かれる。
この映画の後にキュアロン監督の制作ドキュメンタリー映画
「ROMA/ローマ完成までの道のり」を観ました。
監督の意気込みが伝わってきました。
商業映画ではない本当に自分が撮りたかった映画を撮れた喜び。
ぼくが本当に創り出した【初作品】なんです。
そう熱く語ります。
監督の過ごした子供時代の思い出。
若い家政婦のクレア。
医師の父親と科学者の母親と祖母。
父親はカナダのケベックへ出張と度々家を留守にします。
夫婦仲はどうも微妙な様子。
一番の印象的なのは家族と家政婦2人が住む【瀟洒な邸宅】
1階から2階は吹き抜けで、居室には仕切りが無い。
1階の車庫。
間口ギリギリにやっとこさで駐車されるバカでかいフォード・ギャラクシー。
そこは飼い犬の遊び場と共有で犬の糞が点々と落ちている。
そして屋上が洗濯干し場。
(中産階級といっても、上流階級のようです)
若い家政婦のクレア。
洗濯・掃除・炊事と忙しく働くクレア。
子供たちがとても懐いていて、クレアを大好きなのが分かる。
クレアの初体験の日のエピソード。
クレアの妊娠。
不実な恋人フェルミン。
(妊娠を告げると映画館から逃げ出します)
遠方の仕事場まで訪ねるクレアに、
「2度と来るな!!本当に俺の子か?」
とひどい仕打ち。
そして暴動の日に破水。
(それは不実なフェルミンが抗議団体の民衆に銃を突きつけた直後)
そして出産。
ストーリーより映像。
子供の時の記憶の心象風景がまず初めにあって、
台詞はその場で監督が指示していましたし、
その場面で自然に生まれる言葉が台詞でした。
クレアを演じたヤリッツア・アパリシオはオーディションで選ばれた
先住民族の女性で、ミシュテカ語が話せます。
もう1人の家政婦のアデラとの秘密の会話はミシュテカ語。
アカデミー賞の監督賞・撮影賞・外国語映画賞を受賞。
Netflix作品は監督の撮りたい作品を実現するのに力を貸す。
そう感じます。
2のシーンが心に残りました。
《クレアの出産》
クレアが産気づき破水して出産するシーン。
実は演じているヤリッツアに、秘密にされていた事があり、
役に没入したヤリッツアは驚きで感極まって泣き出します。
このシーンは演技ではない。
そこでクレアになりきり、彼女はクレアとして生きていた。
(満足の出来に感激症のキャメロン監督は何度も何度もヤリッツアを抱きしめる)
《ラストのビーチのシーン》
波打ち際で遊んでいた子供2人が大きな波にさらわれそうになる。
泳げないクレアが必死になって波に逆らって沖の方へ進む。
特別なCGやVFXや特撮はないと思います。
ごく自然な緊迫感。スリル。
見事なシーンです。
ラスト。
クレアと一家が帰宅する。
アントニオとソフィアは離婚を前提に別居が決まり、
アントニオが荷物を運び去って、ガラーンとした一階。
クレアはアデルに、
“いっぱい話があるの“
と告げる。
きっとミシュテカ語のお喋りは盛り上がるのでしょう。
今も交流があると言うクレアのモデルの家政婦さん、
暴動も地震も大火事もあるけれど、
何処か郷愁に満ちたキュアロン監督の優しい眼差しを感じます。
すばらしい映画でしたね。クライマックスのシーンは本当に心が揺さぶられました。
短い期間の映画館での上映を見ることができ、本当に幸せでした。
私にとっては、「肉弾」と並んで、生涯一番の作品です。