劇場公開日 2019年3月9日

「棒は棒で棒にすぎない」ROMA ローマ ipxqiさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5棒は棒で棒にすぎない

2019年3月30日
iPhoneアプリから投稿

シネスイッチ銀座で鑑賞。
期せずして昭和感漂うスクリーンでその時代を描いた作品を観ることに。
二階席まである大空間、とてもいい雰囲気だったな…

Netflix会員ですが、これこそ劇場で観た方がいいのでは? という複数筋から情報により温存し、初見。
懸案の棒ブルンブルン場面は一片のごまかしもなく大画面で披露されて、興行主の心意気に感激しました。

戻れない過去への郷愁(は当然として)、に止まらず、これは現代でも形を変えて残る問題への告発を、自分の過去への落とし前として描いているのだと思います。
ただのノスタルジーに耽溺するのではなく、無知で無力な子供であった監督自身の贖罪にも似た思いを強く感じました。
その意図は、ファーストカットのカメラワークから、対をなすラストまで、決然と貫かれています。
なぜなら監督の分身である子供の立場からでなく、一家の外側にいる彼女の視点を通じて描かれているからです。

実は家で観なかったのには、日頃アート志向の作品を観ないため途中で飽きるではないか? 退屈するではないか? という危惧もあったのですが、どのシーンも意図が明確で、その心配は杞憂でした。
とくに登場シーン一発で父親の人間性を伝える演出が見事でした。
とはいえ背景となる70年代初頭のメキシコの政治状況などは、画面の端々からぼんやりとしか推察できなかったので、予備知識があればより深く理解できたかとは思います。

でも、それを抜きにしても、作品の核となるところは理解できたと思っています。
「棒」はただの棒でしかないのに、その体面を保つために弱い立場の者を踏みにじることは罪ではないのか?
むしろ、いたずらに棒を振りかざすことこそ弱さの表れではないのか? というところまで。
さすが「2018年の」アカデミー監督賞は伊達じゃないぜ、という。

過去作のセルフパロディなど、ところどころでクスリともさせられ、また終盤、クライマックスの場面では泣かされもしました。
モノクロ画面に映る情景はどう見ても往時のものにしか思えず、スピルバーグはじめ毀誉褒貶かまびすしいNetflixですが、この作品に予算を投じたことを評価しないわけにはいかないな…と思わされました。

追記
ラジオ番組でコンバットRECさんが恋人のお師匠のトレーニング場面の意味がわからないと述べられていましたが、あれはたぶん、お師匠以下、訓練された弟子たちにも持てない強さを(文字通り「ブレない芯を持つ」ことによって)彼女が体得している、というこでは?
まああそこまで長い必要あるかと言われるとわかりませんが…

ipxqi