「この作品の1番大事なところは、あえて分からないように作られている。」海獣の子供 虹孔雀さんの映画レビュー(感想・評価)
この作品の1番大事なところは、あえて分からないように作られている。
結論でルカが「1番大切なことは言葉では伝えない」と言うところが、この物語の最も重要な鍵を握っている。
観た人の99.9%は、「鯨に飲み込まれた辺りから『意味不明』になる」と思う。
でも、それで良いのだというのが、この作品だと思う。
重要なのは、ルカが鯨に飲み込まれた後に体験する「何か」であり、それは表現することができないと、言い切っているのだから、観る人たちは「感じとる」しかできない、というのが主張なのだと思う。
もちろん、頑張れば解釈の仕方も出てくるのだが、私としては作者は、宇宙の一部である私たちは「そのあなたで良い(老婆の言葉)」というメッセージを伝えたかったのだろうと思う。
ラストシーンでは、ずっと心を閉ざしていた人との和解が印象的だが、恐らく「『何か』という体験」を通して、ルカは「自分は全ての存在と繋がっているんだ」という「実感」を得ることができたのだと思う。
ゆえに、最後に相手を許せた。
なぜなら、相手も自分と繋がった宇宙の一部だって思えたから。
宗教的な考えには「世界樹(イグドラシル)」というものが出てくるのだが、これは多次元宇宙は神仏という大樹から分かれ出てきた幹や枝が現象として現れており、「私たちはその先にある葉っぱの一枚一枚なのだ。ゆえに隣の葉っぱを傷つけたりすることは、自分自身を傷つけているのと同じなんだ。だから愛し合いなさい」という思想がある。この世界の一端を、船の帆が風の一部を感じとるように、私たちもまたそうした宗教的な思想から、この世界の一端を感じ取ることができる。
作者は、そうした世界の不思議や疑問を様々な思想から選び抜いて、ルカやソラ、ウミ、老婆の言葉を通して「表現はできないけど、大切な宇宙の普遍的なルールが世界を支配しているんだ。だから人間は謙虚でなければいけないよ。この世界のことを全て知った気になって傲慢になってはいけない。ほら、私の作ったこの作品ですら理解不能じゃないか。」という、人間の無知さを真正面からぶつけてくれたのかも知れない。 実際に言葉では伝えきれない感情なんて山ほどある。
また、「人はどこから来て、どこへ行くのか」という命題もこの作品ではつねに問いかけられている。
この作品では明確に答えてはくれていないが、恐らく仏教の「転生輪廻(輪廻転生)」の思想からだと思う。
人は永遠の生命を持っていて、何度もあの世とこの世を生まれ変わりながら、経験を積んでいく存在なのだという思想だ。
作品としては、そうした生まれ変わりの思想を匂わせながらも、実際は「何か」という体験(神秘体験とでも言おうか)を通して、人は新生できるという希望を乗せてくれているのかも知れない。
例えば、サウロ(後の聖パウロ)はキリスト教を迫害し、弟子たちを次々に処刑していたが、道中すさまじい光で目が見えなくなった。町に入ると、イエスの弟子の一人が、サウロの目を神秘的な力で治すという
奇跡を経験して、それからというもの今までの人生をひっくり返すがごとく、熱烈なキリスト教の伝道師へと新生したのだ。(ダマスコの回心)
このように、人は神秘的な経験を通して人生を大転回することがあるのだ。
また最後にソラとウミの解釈は、私は仏教の「空海」を元に考えているものと思う。
鯨に飲み込まれた後のシーンで、宇宙大にルカの体が広がっていたが、あれは空海の体験を表していると思われる。
幽体離脱をして、自分自身の魂が宇宙大に広がり、明けの明星が巨大になった空海の口に入って来たという神秘的な体験だ。
その宇宙大に広がった自分が見た空と海のイメージをもとに、「空海」と名乗るようになったと言われている。
とにもかくにも、言葉で表そうと頑張れば頑張るほど、お経を読み上げてるような感じになり、より理解は難しい。
だから、映画では理解しようとするのではなく、自分には理解できない世界が厳然として存在してて、その世界のなかで互いに生かし生かされて人生を歩んでいるんだ。ということを感じ取れたら、この映画を観た意味もあるのではないかと思う。