劇場公開日 2018年9月8日

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「身の回りのソビボル収容所」ヒトラーと戦った22日間 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0身の回りのソビボル収容所

2018年9月12日
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鑑賞方法:映画館

難しい

 大抵の人は、他人の人権を蹂躙することに躊躇いを覚える。他人が感じる苦痛を想像してしまうから、人に苦痛を与えることに抵抗を感じる。人を殺したり怪我をさせたりすることは、それをやった人の心にも傷を負わせるのだ。
 ところが、世の中には人を傷つけても殺しても平気な人間がいる。想像力が欠如していて他人の痛みがちっともわからない人間だ。血も涙もないというのは想像力の欠如のことを言う。そういう人間にはそもそも良心がないから、良心の呵責に悩むこともない。PTSDとは全く無縁のタイプの人間だ。ジョン・レノンがどれほど切々と歌っても、最初から想像力のない人間に、想像しろと言っても無理なのである。
 平気で人を殺せる人間は、しばしば人格障害と呼ばれ、犯罪者に多く見られるが、困ったことに、国や企業の指導者にも大変多くみられる。ヒトラーは当然ながら人格障害である。そして極東の小国でトリモロスと叫ぶ滑舌の悪い人も人格障害だ。
 人間は不安と恐怖に弱い上に、マゾヒスティックな生き物で、他人を平気で殴ったり怒鳴ったり殺したりする人間に抵抗できない。理屈で対抗できない暴力的な相手には心が折れてしまい、無条件に従ってしまうのだ。多くのブラック企業で天皇制を敷いている独裁経営者がつかまりもしないでいられるのは、人間が羊の群れと変わらないからだ。羊にとって暴力的な人間は狼である。自分は相手を殴れないが、相手は平気で自分を殴ってくる。いつか殺してやると思っていても、そのいつかは永遠にやって来ない。
 中には、逆に人格障害者の社長に媚を売ったりして、立場をよくしようとしたりする人間が現れる。虎の威を借りる狐である。狐は、立場が下の者を当然のように貶め、狼経営者の覚えがめでたくなるように努力する。最終的に割りを食うのは、黙って長時間労働をして体を壊す羊のような従業員たちである。こういう構図は日本全国に蔓延している。スポーツのパワハラが騒がれているが、同じことは全業種、全業界に亘って起きている。家庭内でも、学校の友達同士の間でも起きているだろう。
 75年前のソビボル収容所におけるナチスドイツの将校たちは、程度の差こそあれ、全員人格障害であった。息をするように平気で人を殺すことができないとナチスの将校にはなれないからだ。

 我々の周囲に、ナチスの将校はいないだろうか。ソビボル収容所はないだろうか。
 ドイツ人だけが残虐な訳ではない。南京で無防備の村人を襲って強かんし略奪し放火したのは我々の祖父や曾祖父たちだし、ベトナムでジェノサイドを繰り返したのは、米軍をはじめとする多くの国々の兵士たちである。その血は途絶えることなく受け継がれている。
 そして程度の差こそあれ、我々の周囲にもたくさんのソビボル収容所が存在している。羊たちが解放される日は来るのだろうか。

耶馬英彦