「再生とは...」凪待ち everglazeさんの映画レビュー(感想・評価)
再生とは...
死んでいたものが生き返ること
まともな生活に戻ること
再び生まれること
…などと辞書にありますが...
ギャンブル依存症から抜け出せずにもがき苦しむ郁男が「再び生きる」までを描いた作品でした。
当たった時の高揚感、負けても次こそ取り返してみせるという根拠のない自信と焦りによって、賭け事という名の砂地獄へとはまって行くのが見てとれました。
鑑賞しながら何度もダメダメ〜!と思いましたが、善意で頂いたお金すら競輪に注ぎ込んでしまう郁男。魔が指す時の演出が分かりやすかったです。
亜弓が殺されるまではありきたりなホームドラマでしたが、そこからどんどん堕ちていく郁男の姿は痛々しいものでした。自暴自棄になる辺りは、ダダをこねる子供のようにも見えました。
紙切れ一枚で他人同士が家族になれる婚姻。
その紙がなければ「関係ない」赤の他人か。
どうしようもない奴なら見捨てるか。
では「無関係で遠い所の」被災地の爪跡を、もうどうしようもない惨状だからと諦めて見捨てるのか。
津波で流され海底を覆い尽くす遺品の山を見ると、そう戒められているようでした。
しかしながら、東日本大震災と亜弓の死というそれぞれ予期せぬ悲劇から立ち直る過程において、福島と郁男の再起をかけていると考えると、少し福島県に失礼だなと思いました。というのも、郁男の魅力がほとんど描かれていないからです。人気者の亜弓が好いたんだからと言われても、引っ越し前から覇気のない口調で、内縁関係にけじめもつけず、元々だらしない男に見えました。南の島のエピソードだけではキュンとしません。結局毎回ダメ男に引っかかる亜弓も見る目がないのかなと。もちろん「見捨て(るべきで)ない」対象者は、郁男だけでなく元同僚の渡辺や、末期癌の勝美、不登校だった美波でもあるので、福島=郁男ではありませんが、郁男の長所を盛り込んでくれればもっと同情したでしょう。その一方、震災前の福島県は問答無用で美しかったはずです。
また、被害を拡大させた原因が、福島の場合原発ならば、郁男の場合はその短気で血の気の多い性格と依存症です。原子力発電所や人格それ自体は悪ではありませんが、依存症は病です。なぜ依存していったのかという所まで描いていたら尚良かったと思います。
犯人がいるとすればこの人だろうと容易に検討はつきますが、郁男の堕落のきっかけと再出発の希望を与えるのが同一人物というのが残酷です。特に祭りでチンピラの暴行から郁男に救いの手を差し伸べるシーンでは涙が出ましたから…。
何度救われても堕ちてしまうギャンブル依存症。破滅を防ぐのは人情しかないようでした。