ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのレビュー・感想・評価
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ブラピがカッコイイです。
貧困生活で暮らす人達の、気持ちを害するような、セレブ達の振る舞いにも問題ありだと思いました。ブルースは、あんなに弱くないと思うけど、ちょつと酷くないですか。
タランティーノ節全開のエンターテイメント作品
なぜかこの作品のウィキペディアにスリラー映画と書いてあったり、この作品の解説に‘’シャロン・テート殺人事件を元にした映画‘’と書いてあるのもあるが、シャロン・テート殺人事件の要素はありますが、なんと…そもそも殺人事件起きません(これも観ている人をいい意味で裏切ってくれるタランティーノらしい)タランティーノの趣味全開にしたエンターテイメント作品です。他のタランティーノ作品と同様に元ネタが分からないと楽しめない部分もあるが、60年代の雰囲気やその時代に活躍した役者が出てくる世界観がたまらなくいい。ブルース・リーの作品や、スティーブ・マックイーンの‘’大脱走‘’は観ておいた方が楽しめると思う(というか大脱走のネタは観てないと全く分からない)エンドロールでタランティーノの世界観全開の小ネタがあるのでお見逃しなく(今回タランティーノ本人は出てこなかったな?と思っていたが、エンドロールのCMを撮ってるのがタランティーノ?)
後半、タランティーノ色たっぷり。
落ち目のハリウッド俳優と専属のスタントマンの友情がテーマ。
落ち目とはいえ、多少のオファーはあり、その日常が淡々と進んでいく。
後半まではそれだけと言えばそれだけなのに、なぜか見入ってしまう。
スタントマンがヒッチハイクしていた女子を乗せていった先は怪しげな集団生活をしている元牧場。持ち主は盲目になっていてほぼ廃人状態。
スタントマンが帰ろうとしたら、集団の1人がタイヤをパンクさせていて、殴る。その復讐ともとれる行動として、深夜その中の3人が俳優宅に乗り込んでくるものの、スタントマンの飼い犬が警察犬並みに訓練されていて、2人を噛み殺し、もう1人は俳優の経験で使用した火炎放射器で殺される。
スタントマンだけに乱闘はお手の物だし、犬の訓練もしっかりしているという用意周到さと、俳優の我関せずの状況と隣人宅に飲みに行くというシュールさを持ち合わせたクライマックスはいろんな感情が生まれてくる。
タランティーノ流HIPHOP
TBSラジオ、アトロクでも宇多丸氏が評論していたように、確かにHIPHOPでの手法としての過去の偉大な楽曲を改めてリミックス、リアレンジしながら、一つの曲に集約、又は積算していくような内容であった。一見すると喩えが悪いが『歴史修正』の言葉が浮かぶのだが、いわゆる『もしも~だったら』というシリーズの引き出しにいれてしまいがちになってしまうところ、今作はラストのオチのところのみ並行世界、否、そもそも主人公二人自体が実在じゃないのだから、世界観だけは同一で主軸が創作という、二次創作モノといったジャンルであろう。そして、確かにどのサイトのレビューにでもあるマンソンファミリーの事件を知ってると知っていないとでは丸っきりこの作品の見方が180度変わってくることを体現した。タランティーノ自体は、知識が無くても面白く作ったつもりと答えてはいたが、アメリカ以外の国、ましてやアジア圏の国ではこの事件やその背景等をそれなりに深く考察していないと、単なる60~70年代の映画ビジネスの世界を紹介しただけの、後は監督流のハチャメチャ演出でクライマックスという別段何の引っかかりもない内容なのでないだろうか。勿論、随所にあの時代の音楽や映画、テレビやそれを含めたアメリカ文化というものを研究発表するという意味合いも存在はするのだが、それはオリジナルを知っていて初めてそのリミックスの妙に関心を抱くもので、原本が分らなければ本作を何処まで愉しめるか難しい。レオ様も、ブラピも確かに存在だけでオーラが目映いばかりのスター俳優であり、この共演そのものが奇跡と言ってしまえばその価値だけで作品なのであろう。でもならば、監督がタランティーノでなくても他に充分スター映画を撮る監督はいる筈。この二人の役どころそのものが映画文化の一つの歴史であり、光と影をお互い入れ替わりながら表現してみせている演出なのであろう。この二人は人間であって人間ではなく、その時代の“空気”そのものである。それを観客に容易に知らしめる為に、あのスター俳優を起用したのだろうと思う。圧倒的人気者だからこそ発するその雰囲気がそもそもカルフォルニアの太陽そのものなのである。バディものとしての出来も充分“ブロマンス”を表現していて良い。
で、本作そのものの本題は殆どラスト位でしか描かれない。そのラストの一点の為にだけ、後半までの話は冗長とも思える抑揚の少ないというか、琴線の引っかからない内容に始終するのである。多分、ここを丁寧に、やもするとしつこい位に説明しないとフリとして機能が劣ることになる筈と思ったからであろう。保険を掛けまくった訳だ。特にブラピがスパーン映画牧場へ乗り込むシーンは、ブラピの目を通しての観客へのイメージの刷り込みとして充分に演出されている。ベトナム戦争帰りの男の目から視るヒッピーのあの狂乱とキチガイじみた退廃は、自分の存在そのものの否定を頭に過ぎらせる程であるが、しかしだからといって自分の過去を否定しない力強さも又、アメリカの一つの顔でもある。
前述した“マンソンファミリー事件”の件は、事実を知れば知るほどその時代の闇をつぶさに垣間見せる。白眉はその主導者たるチャーリーマンソンはワンシーンしか出演していないこと。そしてそのワンシーンの意味が既知でなければ、何の意味もないことも又然りである。何故にシャロン・テートをポランスキー越しに確認したのか。そしてチャーリーはファミリーに殺害指示を出した先であるロマンポランスキー邸であるのに(本作であるように実際は以前の家主に文句があって訪問したのに引っ越してしまっていたのだが、映画音楽産業の連中自体に逆恨みを抱いていた事実)、実行犯達は間違えて隣の家に侵入したのか、それとも以前の牧場でのブラピへの復讐、又は安易にレオ様へのターゲット変更だったのか、その辺りの解釈の幅を持たせつつの世界の分かれ道を巧く作り上げた監督の高い狡猾さである。そしてそこからの圧巻の返り討ちのクライマックス、最後の火炎放射器は正にタランティーノ節の面目躍如であろう。かくしてシャロン・テートは殺されず、これからの映画産業に貢献する程の大女優になる可能性が残り、そして二人の主役も又、浮かばれるかもしれない。『日本が戦争に勝っていたら』的な話の流れではなく、ラストに分かれ道を設置する形はそのまま制作者達の一つの“愛”そのものであり、その表現方法として充分観客に伝わる方法であることを証明してみせた作品であろう。ファミリーの足の裏、シャロンの足の裏、両方とも汚れてはいるし、お互いは偏見のみで相手を理解しようとしない。そんな今の時代にも警報を鳴らすメッセージ性もさりげなく入れている部分も又ニクい演出である。ちなみに腋毛は個人的にはワイルドさをアピールしていて面白い演出だったけどねw
※完全に個人的な感想です。
タランティーノは今作でも善人を救ったね。
①シャロンテート
史実では亡くなってしまっている彼女を映画史の中だけでも生かしましたね。
②ロマンポランスキー
シャロンテートを彼の世界である映画史の中だけで生かすことで彼を救っています。
③レオナルドディカプリオ
監督の過去作であるジャンゴであれだけの怪演をしたにも関わらず、アカデミー賞を受賞することが出来なかったディカプリオですが、作中では同じくジャンゴのような悪人を演じて、ようやくブランクから脱することができ、さらには「これなら賞も狙えるぞ」と言われていたような…。タランティーノはこの映画を通してジャンゴでの彼の演技に賞を与えたような気がしてます。
④ブラットピット
作中では妻殺しとされていた彼。アンジーとの離婚を物語っているのでは…とこれは安直に考え過ぎました。
救いの映画だとわかっているので納得していますが、それでも今作は刺激が少なかったように感じる。いつもの"カルト感"も薄い。
シャロンテートを死なせないのは誰が見てもわかる展開。あのヒッピーをむちゃむちゃに殺すシーンが最高のカタルシスなんだろうけど、そこまでの浄化にはなってない気がするのです…。日本人が本事件とかけ離れた存在だからですかね…ひどい事件とはおもうけどね、この映画を見る限りでは、あのヒッピーたちは焼き殺されるほどの罪びとだとは思えないよね。事件知らん人は特に意味わからんのでは?(前知識ない私が悪かった)
ただね、泣いちゃうディカプリオの肩を抱くブラピ絵図は最高の一言だったし、やっぱり火炎放射は上がったよ。
自分の映画を確認しにくマーゴットロビーはほんとにキュートな天使だし、ブラピをヒッチハイクするあの子!!(名前忘れた)めちゃめちゃ無邪気でよかった!ブラピを見る目がすき。
あとあのヒッピー集団の中のダコタファニング、大御所感ありましたな。どんな使われ方してんねん…。あの辺の怖さとブラピの格好良さはさすがでした。
あと、タバコケースとか、マティーニ?作る機械とか、あの年代の小道具にも地味に惹かれています・・・。
映画好きではない10代の日本人には難しいかも?
アメリカ文化や60代以降の現代史が最低限わかる方には好き嫌いは別として楽しめる作品です。
時代の再現や名曲を使ったBGM、魅力的な登場人物と台詞。タランティーノ的なバイオレンスとブラックジョークに惹かれた10代の方には知識を掘っていってもらえる作品にもなるのかなとも思います。
映画とTV業界、ヒッピー文化の終焉期はテクノロジーの移り変わる今の時代と照らし合わせて見ると面白いかもしれません。
この映画の根底にあるのは映画と人生に対する愛です。
「映画」はこれでいいんだよ!!
もう最高でしたね。
まず完璧すぎるほど完璧な1969年。
ただのタイムスリップですよ。
シャロン・テート事件を知ってるのと知らないのとでは全然違います。
要するに、「虚構のヒーロー達が、現実をぶちのめす」っていう映画です。
ブラピとディカプリオ。映画のヒーロー。
凄いですよね。
映画を、虚構を、作り物を、全肯定してるんですよ。
愛しかないですよ。
シャロン・テートは生きてるんですよ!
泣くだろそんなん!!
タランティーノーー!!!最高かよ!!!
こんな他と比べる批評の仕方はふだん嫌いなんですけど…
山崎貴!!!全力で見習え!!!!!
2大スター共演というだけ
タランティーノ監督の独特の世界観ですね。万人にはなかなか・・・
ブラピ、レオの共演というだけの作品かな。確かに二人の演技はよかったが、
ストーリー展開が雑。終わり方がいきなりなので拍子抜け。
エンディング時には映画館中がえ!?っという声が聞こえてきました。
隣のカップルなんか顔を見合わせ、何が面白いの?と言ってました。
一番印象に残ってる場面があれなんて
話は良かった。ディカプリオが格好良かった。
でも最後の方のあの場面は過剰防衛が過ぎない?
突然のスプラッタな展開をもろに見てしまい頭痛が始まり、帰宅後は薬を飲んで寝るだけで、まだ内容を反芻できずにいる。
9割眠い、最後の1割で合格
実際にあったカルト教団による女優の殺害事件と、落ち目のテレビスターとそのスタントマンの相棒との掛け合いを軸にストーリーが進んでいく。
でも、60年代のカルチャーに詳しくも興味もない自分は延々と日常シーンが流れる中盤まではただただ眠い。
ただタランティーノ監督の作品とわかっていて観に行ったのだから自分が悪い。
そうこうしているうちに展開が変わっていき、
ディカプリオと子役との絡み、セリフが出てこなかった自分への怒り、そしてそこから出てきた一番の演技。
そこら辺から眠気も覚め、ブラッドピットが犯人のアジトに乗り込み、ヒッピーを叩きのめすところで集中力が出てきた。
そしてラスト。
実在の事件をネタにしながらそんなオチある?と思わせるのはさすがタランティーノ。
ウンザリするやつらをフィクションの世界で最高のカタルシスで返り討ちに!
火炎放射器のくだりでは笑ってしまいました。
豪華キャストはやっぱり最高
ディカ様ブラット・ピットにタランティーノは好き。この映画正直あきるまで何回でもホンマは観たいがなかなか正直それがむずかしいのが本音だが、この日の映画館はファーストデーもあって満員御礼。そんな中で観るディカプリオは一段と身が引き締まる思いで堪能できた。必見ムービーを観たらまたまたディカ様を好きになった。
昔昔ハリウッドに。。。。。。。。。。。。。。
このシリーズでやって欲しい。
ニューヨークとか。
ヒューストンとか。
フロリダとか。
結構いけるか、飽きられるか。
そこそこ低空飛行で。
個人的には悪くはなかったかなと。
最近中途半端な作品がすくなくて。
いい意味で中途半端。笑
あるいみおっさんラブでした。??!!
おすすめはしません。笑
DVDで早送りで十分かもしれません。笑
でも映画館で観て個人的にはよかったと思えてなりません。笑
個人的には星5??!!
けっこう昔の設定。
CGとかなくて。
ちょっとちーぶなアクションなど。
台詞が結構多くて。
デカプリオがいい味だしていて。
ブラッドピットはあいわらず。笑 笑
スーパーアクションコメディーヒーロー映画推しですが、
まあお口直し程度に。笑
個人的には好きです。一回で十分ですが。
人にはおすすめできません。笑
もっと俳優をいっぱいだしてほしい。
だしてほしかった。
長いはずだけど、最初うとうと。
あまり、それほど、長く感じなかったような。
まあ、ホラーチープアクション、昔話でしょうか??!!
この監督は、いい加減、過剰なファンサービスと露悪趣味の作風から卒業すべきだ。
この監督というより、現在の共和党率いるトランプ政権下で同監督が普通に演出する「マイノリティー」や「少数派のサブカルチャー」に対する不当な人種差別表現を容認又は黙認する風潮が現在のアメリカ社会で起きている事に驚きを通り越し、呆れてモノも言えない。
立ち返って、同監督の以前からの作品の作風を紐解けば、『ジャンゴ』や『ヘイトフル・エイト』でのアフリカ系アメリカ人に対する蔑称「ニガー」の多用、『イングロリア』でのドイツ人への逆差別、頭の皮をナイフで削ぐ等ネイティブ・アメリカンの文化への冒涜、加えて本作ではブルース・リーを筆頭とする東洋人への冒涜、終盤のヒッピーへの過剰防衛とも取れる当時の「ヒッピー」を筆頭とするサブカルチャーとそれに被れた女性への差別と枚挙にいとまがない。
監督が以前の作品のセリフの内容及び舞台設定での演出の必要性、特にマイノリティーや少数派のサブカルチャー嗜好派に対する容赦ない差別的セリフや演出描写に対しては固く口を閉ざすか「あれは架空のファンタジーだから別に気にすることはないよ。」とあまりにも無責任な対応がファンではない一般視聴者の目から見てあまりにも目に余るものがある。
ただ、本国アメリカでは君の発言が意外な所でマイノリティーに悪影響を及ぼしているという事実も知ってほしい。(英語が読めなくても、何となく記述されている事なら、このコメ欄を読まれている方ならわかる筈だ。)
https://www.houstonchronicle.com/local/gray-matters/article/Tarantino-and-the-n-word-Why-I-hated-The-6735878.php
上記リンクでは、実際にアフリカ系アメリカ人の人が路上で見知らぬ20代の白人グループの一人から「ニガー!元気かい!」と呼びかけられたらしいのだ。
他には、この作品中でも、ブルース・リー(しかも実名だ)を馬鹿にし、笑い物にし(これは立派な中国系アメリカ人差別だ)ひいては、ラスト12分中でいかにヒッピー(あの当時はあの髪型や服装は相当目上の世代から嫌われたらしいが。)とはいえど、女のコ(体の良いセクハラ・女性蔑視だ。)を火炎放射器で焼き殺すなど鬼の所業のような殺戮をエンターティメントにまで昇華させているこの監督の鬼畜ぶり、パワハラぶりには怒りをぬぐい切れない。
それが証拠に、同国内のこのサイト中でも、本作中で、やはり「悪役」としてマンソン・ファミリーの一員であるヒッピーガールへの同監督の扱い方が行き過ぎた「女性蔑視」ではないか、として、やはり、問題視されている。
https://www.hollywoodreporter.com/heat-vision/once-a-time-hollywood-quentin-tarantinos-violence-women-problem-1227406
また、これとは別件だが、以前キルビルに触発されてこういう事件が、やはり、アメリカのメリーランド州で起きている。
https://www.gizmodo.jp/2009/09/post_6203.html
正当防衛であるのだが、当時、リアルタイムで「キルビル」を見た自分としては、劇中のユマ・サーマンが中途半端に格好良かったので、いつか、何処かの国で、彼女に触発された刃傷沙汰の事件でも起きなければ良いのだがと内心、神に祈っていたのだが、実際に起きてしまった。
ましてや、それらの事件のどれもが監督のおひざ元の国で起きたという事だ。
劇中の外で作品から影響を受けたこうした実際のトラブルや事件が現に起きているのに、渦中のタランティーノ監督自身、「自分の作品の中でファンタジーとして扱っているだけなので、実生活では何も問題ない!」と、全く現実を見ようともしない。
何と無責任な事か!!
仮にも、自分が作った作品が世の中にどういう影響を受けるのか考えた事もないのか?
加えて、もう少し、君の劇中の演出描写で、マイノリティーへの扱い方を優しく丁寧に出来ないのか?
それとも、「少数派」はただただマジョリティーの人種から「イビられるだけ」の君のサディズムの優越感を満たすだけの奴隷かオモチャみたいな存在なのか??
ポリティカル・コレクトネス(政治的配慮)を知った上で、わざとそれを無視しているのか??
これでは、貴方は「レイシズム」(人種差別主義者)と勘繰られても文句は言えないよ。
現在、君が意図的に行っているバカげた「必要以上のマイノリティーいじり」がこのアメリカを分断し、人種間の信頼を揺らがせ、更なる中国資本経済の侵略に拍車をかけているという事がわからないのか!?
実際、上記のリンクのアフリカ系のように、「ヘイトフル・エイト」公開後、実際に既にトラブルが起きているではないか?
東洋系へのマナー違反に関しても言及するが、この映画を作る前にブルース・リーの遺族にも親族にも一言も連絡も断りも入れず、独断でリーのイメージを作ってしまったというから、さぞかしシャノンも怒った事だろうよ。
作品のテーマになっている「シャロン・テートさん」への哀悼に関しても、実名ではなく、シャロンさんをモデルにした別人の名で利用するべきだった。
遺族のポランスキーさんも実際のところ、事件があまりにもショッキングだった為、内心、そっとしておいてあげた方が良かったのかもしれない。
仮にもし、テートさんの事件を扱った映画を撮らせるにしても、タランティーノ監督ではなく、ドキュメンタリーには定評の「オリバー・ストーン監督」とか加害者犯人の内面の葛藤描写や心理描写では定評の「クリント・イーストウッド監督」にでも撮らせるべきだった。
そのくらい、このタランティーノ監督の作風が「不謹慎この上ない」「遺族の心に塩をなすりつける」ような「イエロー・ジャーナリズム」のような匂いや印象を見る者に与えているんだよね。
笑えないよ。 今回のテーマばかりは実際の事件があまりにも凄惨過ぎて笑えない。
これだったら、シャロンさんの哀悼を全面的に主題にするのでなく、あくまでも、1969年当時のハリウッドスタジオの街並みや風景を懐かしむロードムービーに特化し、その雰囲気を楽しむためだけに作られた「情景描写の単純な写実」を主題にしただけでも大いに十分客の入りは確保出来たはずだ。
むしろ、そういう「ロードムービー」の方に特化した方が万人受けするし、タランティーノのこれまでの悪行に近い悪ふざけ演出を贖罪(しょくざい)するためにも良い事だったのかもしれない。
このような綺麗で爽快感溢れる映像を撮っておきながら、果たして、必ずしも、シャロンさんをしかも実名として本編中に登場させる必要性があったのだろうか?
シャロンさんは美しい街並みの風景にあくまでも「花を添える」という形だけで、劇中劇の中だけで登場させただけで充分ではなかったのか?
君があくまでも「これは架空のファンタジーなんだ」「僕の頭の中で作ったイメージなんだ」と、とても大人のしかも映画の賞を取ったことのある「巨匠もどき」が遺族に対して言える弁明かね。
こういうのを「白々しい」というんだよ。
少なくとも、仮に架空のお話へ史実を混ぜて作るにしても、せめて、辻褄が合うように、最低限の歴史的考証とか関係者に話を聞いて裏を取る(確証を取る)という最低限のマナーすらも君はやっていないというのだから、これが「巨匠」のやる事かと聞いて呆れるよ。
君と同じ事を日本で行ったら、間違いなく遺族やそのエピソードを知る周辺関係者からバッシングを浴びせられ、「名誉棄損」で係争に持ち込まれるよ。
加えて、映画の本筋に戻るとしよう。
50年代のキャデラックやシボレーなどキューバで現在走行されているような夢のようなカーマニアには垂涎物の箱車を2,000台もチャーターし、本編で使ったそのエピソードがこの暗くよどんだシャロンさんの事件と一緒に本編で語られるような「節操のなさ」には耐えられないよ。
終盤まではまさしく夢物語、ハリウッドのおとぎ話で語られてきたのに、最悪なことに終盤の12分間で、君のその余計なお節介で「夢」を見事にぶち壊してくれたね。
まさしく、このラストのこの大殺戮シーンを撮りたいが為、シャロン・テートさんの事件を利用したかったのかい?
これだったら、別にシャロンさんを実名で登場させるだけの必要性がなかったではないのか?
しかも、勝手に事件そのものの歴史や経緯を捻じ曲げて。
これって、まがりなりにも、マスメディアにカテゴライズされる職業人が行って良い事か?
君は、こんな安っぽい歴史修正のファンタジーを遺族に見せる事で君がテートさんへ心から哀悼しているという意思表示を示せて、しかも感謝してくれるとでも思っているのか?
君は、中学生か???
この君のクレイジーなラスト12分間の演出では、いつも、君の作品を見慣れているコアなタランティーノファンにとっては「いつものタラちゃん」が帰って来てくれたと素直に「タランティーノ節」に同調し、歓喜にむせたようだけど、君の作品を普段見慣れていない一般のお客さんにとっては「この監督、頭がおかしいんじゃない?」と突き放され、愛想を付かさせた事だろうよ。
まず、このクライマックスまで引っ張ってくるまで異常に長いからね、観客もその冗長さにさぞや睡魔と闘うのを想像すると、果たして160分以上の尺の長さがこの作品に必要だったのかね?
もう、いい加減、露悪趣味とか過剰なファンサービスとか卒業して、普通の一般人のお客さんを唸らせれる、レーティングなんか全く関係もない、必要もないような爽快なアクション映画でも撮ってくれよ。
それとも、残酷描写を挿入しなければ、爽快なアクションは撮れないとでも言うのか!?
ただでさえ、現在のハリウッドの映画は暴力描写が溢れていて、客足が遠のいているのに、人種間の差別を助長する・正当化するような作品で質の悪いレイシズムや最下層のマナーやスラングをスクリーンを通して見る人々に洗脳して行くつもりか?
こんな中二病みたいな悪戯(いたずら)な真似事をずっと今後も続けているとしたら、一般のお客さんは君に本当に愛想を付かし、見向きもしなくなるよ。
ラスト凄い
対したストーリーなんて余り無いから、映画が長すぎる印象。
ただディカプリオの演技は必見、この人本当に上手い役者。
ブラピも最後に見せ場あり、二人の競演は必見です。
ラストのタランティーノの決定は、見終わった後、上手いなぁと思ったり、行って損はしないと思う映画。
ウェルメイド
手間暇、予算をふんだんに使って、、あんまり面白くない。映画的に。
家でゴロゴロしながら、好きな酒とタバコ片手に見るべき。
過去に生きる男クウェンティン。
デスプルーフpart2。
涙と笑いが同時に湧き出る
ブラピが格好良くて困るw
よい子の映画好きなので、事前にシャロン・テートについて調べてから映画を観た。
天使のようなシャロンが惨劇に巻き込まれてしまうのか、果たして!?と終盤までハラハラしながら見守った。犯人たちがブラピのいる隣宅に入った時には、よかったシャロンが救われた〜という安堵と、でも史実では…という複雑な気持ちで涙が溢れてきた。そして今まで抑えた分、サービスサービス!と言わんばかりの暴力描写と犯人の奇怪な動きに笑いがこみ上げてくる。火炎放射器まで出してきたよ!
人の死を悼みながら、同時に笑えるとは人間の心は複雑である…。
人によっては、「それで?」「監督の自己満足じゃん」と思うかもしれないが、監督が満足できない作品に意味はない。それでいいのだ。
昔々、ハリウッドで---
タランティーノ監督は、無垢な女優のシャロンテートの無念を晴らしたくて、レオとブラピに架空の人物として、マンソンファミリーを打ちのめしてやったんですね。最後のシャロンとレオが抱き合った時が、感動物ですね。しかし、ブラピは格好よいな。
何かトラブルが起こりそうで起こらない…?
この映画はタランティーノ作品の中でもスルメ版だと思った。
終始、何か起こりそうで結局何も起こらない!の展開がまず面白かった。
・その女の子とはやっちゃだめだ!危険なにおいがする!(車のシーン)
・牧場主は絶対無残な死体になっているはず…
・LSDが染みたタバコをディカプリオが吸って撮影現場で失敗するんだろうな…
・ブラピLSDトリップでバッドトリップしながら殺されるだろこれ
・ラストシーンでディカプリオがシャロンの家の門をくぐった後に…
などなど。
全くもって何も起こらなかったな!と後からじわじわ来ました。
そしてディカプリオとブラピの演技が本当によかった。
特にディカプリオの情緒不安定な感じとキレる演技がたまらない。
公開初日に観に行きましたが、今回は薄味で他の作品より落ちるかなぁ~と感じたものの日が経てば経つほどじわじわ効いてくる作品でした。
オマージュ元の映画には詳しくないのですが、映画愛(オタク的な)が満載で、終始にやにやしてしまう雰囲気はさすがタランティーノ。
シャロン・テート&チャールズ・マンソンについては知識ありで観ましたが、まーったくこの件を知らない人は情報を得てみた方がいい映画だと思った。私は何日に殺害されたのかまで覚えていなかったので、ちょっと悔しかった…。冒頭で日付が出た時点であちゃ~やっちゃったと思いました。
何も知らなくても面白いとは思うけれど、初見の衝撃って取り戻せないのでちょっと残念です…涙!
そしてエンドロールのレッドアップルのCMに痺れた…、ファンサービスをありがとう。
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