「この監督は、いい加減、過剰なファンサービスと露悪趣味の作風から卒業すべきだ。」ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド jackyさんの映画レビュー(感想・評価)
この監督は、いい加減、過剰なファンサービスと露悪趣味の作風から卒業すべきだ。
この監督というより、現在の共和党率いるトランプ政権下で同監督が普通に演出する「マイノリティー」や「少数派のサブカルチャー」に対する不当な人種差別表現を容認又は黙認する風潮が現在のアメリカ社会で起きている事に驚きを通り越し、呆れてモノも言えない。
立ち返って、同監督の以前からの作品の作風を紐解けば、『ジャンゴ』や『ヘイトフル・エイト』でのアフリカ系アメリカ人に対する蔑称「ニガー」の多用、『イングロリア』でのドイツ人への逆差別、頭の皮をナイフで削ぐ等ネイティブ・アメリカンの文化への冒涜、加えて本作ではブルース・リーを筆頭とする東洋人への冒涜、終盤のヒッピーへの過剰防衛とも取れる当時の「ヒッピー」を筆頭とするサブカルチャーとそれに被れた女性への差別と枚挙にいとまがない。
監督が以前の作品のセリフの内容及び舞台設定での演出の必要性、特にマイノリティーや少数派のサブカルチャー嗜好派に対する容赦ない差別的セリフや演出描写に対しては固く口を閉ざすか「あれは架空のファンタジーだから別に気にすることはないよ。」とあまりにも無責任な対応がファンではない一般視聴者の目から見てあまりにも目に余るものがある。
ただ、本国アメリカでは君の発言が意外な所でマイノリティーに悪影響を及ぼしているという事実も知ってほしい。(英語が読めなくても、何となく記述されている事なら、このコメ欄を読まれている方ならわかる筈だ。)
https://www.houstonchronicle.com/local/gray-matters/article/Tarantino-and-the-n-word-Why-I-hated-The-6735878.php
上記リンクでは、実際にアフリカ系アメリカ人の人が路上で見知らぬ20代の白人グループの一人から「ニガー!元気かい!」と呼びかけられたらしいのだ。
他には、この作品中でも、ブルース・リー(しかも実名だ)を馬鹿にし、笑い物にし(これは立派な中国系アメリカ人差別だ)ひいては、ラスト12分中でいかにヒッピー(あの当時はあの髪型や服装は相当目上の世代から嫌われたらしいが。)とはいえど、女のコ(体の良いセクハラ・女性蔑視だ。)を火炎放射器で焼き殺すなど鬼の所業のような殺戮をエンターティメントにまで昇華させているこの監督の鬼畜ぶり、パワハラぶりには怒りをぬぐい切れない。
それが証拠に、同国内のこのサイト中でも、本作中で、やはり「悪役」としてマンソン・ファミリーの一員であるヒッピーガールへの同監督の扱い方が行き過ぎた「女性蔑視」ではないか、として、やはり、問題視されている。
https://www.hollywoodreporter.com/heat-vision/once-a-time-hollywood-quentin-tarantinos-violence-women-problem-1227406
また、これとは別件だが、以前キルビルに触発されてこういう事件が、やはり、アメリカのメリーランド州で起きている。
https://www.gizmodo.jp/2009/09/post_6203.html
正当防衛であるのだが、当時、リアルタイムで「キルビル」を見た自分としては、劇中のユマ・サーマンが中途半端に格好良かったので、いつか、何処かの国で、彼女に触発された刃傷沙汰の事件でも起きなければ良いのだがと内心、神に祈っていたのだが、実際に起きてしまった。
ましてや、それらの事件のどれもが監督のおひざ元の国で起きたという事だ。
劇中の外で作品から影響を受けたこうした実際のトラブルや事件が現に起きているのに、渦中のタランティーノ監督自身、「自分の作品の中でファンタジーとして扱っているだけなので、実生活では何も問題ない!」と、全く現実を見ようともしない。
何と無責任な事か!!
仮にも、自分が作った作品が世の中にどういう影響を受けるのか考えた事もないのか?
加えて、もう少し、君の劇中の演出描写で、マイノリティーへの扱い方を優しく丁寧に出来ないのか?
それとも、「少数派」はただただマジョリティーの人種から「イビられるだけ」の君のサディズムの優越感を満たすだけの奴隷かオモチャみたいな存在なのか??
ポリティカル・コレクトネス(政治的配慮)を知った上で、わざとそれを無視しているのか??
これでは、貴方は「レイシズム」(人種差別主義者)と勘繰られても文句は言えないよ。
現在、君が意図的に行っているバカげた「必要以上のマイノリティーいじり」がこのアメリカを分断し、人種間の信頼を揺らがせ、更なる中国資本経済の侵略に拍車をかけているという事がわからないのか!?
実際、上記のリンクのアフリカ系のように、「ヘイトフル・エイト」公開後、実際に既にトラブルが起きているではないか?
東洋系へのマナー違反に関しても言及するが、この映画を作る前にブルース・リーの遺族にも親族にも一言も連絡も断りも入れず、独断でリーのイメージを作ってしまったというから、さぞかしシャノンも怒った事だろうよ。
作品のテーマになっている「シャロン・テートさん」への哀悼に関しても、実名ではなく、シャロンさんをモデルにした別人の名で利用するべきだった。
遺族のポランスキーさんも実際のところ、事件があまりにもショッキングだった為、内心、そっとしておいてあげた方が良かったのかもしれない。
仮にもし、テートさんの事件を扱った映画を撮らせるにしても、タランティーノ監督ではなく、ドキュメンタリーには定評の「オリバー・ストーン監督」とか加害者犯人の内面の葛藤描写や心理描写では定評の「クリント・イーストウッド監督」にでも撮らせるべきだった。
そのくらい、このタランティーノ監督の作風が「不謹慎この上ない」「遺族の心に塩をなすりつける」ような「イエロー・ジャーナリズム」のような匂いや印象を見る者に与えているんだよね。
笑えないよ。 今回のテーマばかりは実際の事件があまりにも凄惨過ぎて笑えない。
これだったら、シャロンさんの哀悼を全面的に主題にするのでなく、あくまでも、1969年当時のハリウッドスタジオの街並みや風景を懐かしむロードムービーに特化し、その雰囲気を楽しむためだけに作られた「情景描写の単純な写実」を主題にしただけでも大いに十分客の入りは確保出来たはずだ。
むしろ、そういう「ロードムービー」の方に特化した方が万人受けするし、タランティーノのこれまでの悪行に近い悪ふざけ演出を贖罪(しょくざい)するためにも良い事だったのかもしれない。
このような綺麗で爽快感溢れる映像を撮っておきながら、果たして、必ずしも、シャロンさんをしかも実名として本編中に登場させる必要性があったのだろうか?
シャロンさんは美しい街並みの風景にあくまでも「花を添える」という形だけで、劇中劇の中だけで登場させただけで充分ではなかったのか?
君があくまでも「これは架空のファンタジーなんだ」「僕の頭の中で作ったイメージなんだ」と、とても大人のしかも映画の賞を取ったことのある「巨匠もどき」が遺族に対して言える弁明かね。
こういうのを「白々しい」というんだよ。
少なくとも、仮に架空のお話へ史実を混ぜて作るにしても、せめて、辻褄が合うように、最低限の歴史的考証とか関係者に話を聞いて裏を取る(確証を取る)という最低限のマナーすらも君はやっていないというのだから、これが「巨匠」のやる事かと聞いて呆れるよ。
君と同じ事を日本で行ったら、間違いなく遺族やそのエピソードを知る周辺関係者からバッシングを浴びせられ、「名誉棄損」で係争に持ち込まれるよ。
加えて、映画の本筋に戻るとしよう。
50年代のキャデラックやシボレーなどキューバで現在走行されているような夢のようなカーマニアには垂涎物の箱車を2,000台もチャーターし、本編で使ったそのエピソードがこの暗くよどんだシャロンさんの事件と一緒に本編で語られるような「節操のなさ」には耐えられないよ。
終盤まではまさしく夢物語、ハリウッドのおとぎ話で語られてきたのに、最悪なことに終盤の12分間で、君のその余計なお節介で「夢」を見事にぶち壊してくれたね。
まさしく、このラストのこの大殺戮シーンを撮りたいが為、シャロン・テートさんの事件を利用したかったのかい?
これだったら、別にシャロンさんを実名で登場させるだけの必要性がなかったではないのか?
しかも、勝手に事件そのものの歴史や経緯を捻じ曲げて。
これって、まがりなりにも、マスメディアにカテゴライズされる職業人が行って良い事か?
君は、こんな安っぽい歴史修正のファンタジーを遺族に見せる事で君がテートさんへ心から哀悼しているという意思表示を示せて、しかも感謝してくれるとでも思っているのか?
君は、中学生か???
この君のクレイジーなラスト12分間の演出では、いつも、君の作品を見慣れているコアなタランティーノファンにとっては「いつものタラちゃん」が帰って来てくれたと素直に「タランティーノ節」に同調し、歓喜にむせたようだけど、君の作品を普段見慣れていない一般のお客さんにとっては「この監督、頭がおかしいんじゃない?」と突き放され、愛想を付かさせた事だろうよ。
まず、このクライマックスまで引っ張ってくるまで異常に長いからね、観客もその冗長さにさぞや睡魔と闘うのを想像すると、果たして160分以上の尺の長さがこの作品に必要だったのかね?
もう、いい加減、露悪趣味とか過剰なファンサービスとか卒業して、普通の一般人のお客さんを唸らせれる、レーティングなんか全く関係もない、必要もないような爽快なアクション映画でも撮ってくれよ。
それとも、残酷描写を挿入しなければ、爽快なアクションは撮れないとでも言うのか!?
ただでさえ、現在のハリウッドの映画は暴力描写が溢れていて、客足が遠のいているのに、人種間の差別を助長する・正当化するような作品で質の悪いレイシズムや最下層のマナーやスラングをスクリーンを通して見る人々に洗脳して行くつもりか?
こんな中二病みたいな悪戯(いたずら)な真似事をずっと今後も続けているとしたら、一般のお客さんは君に本当に愛想を付かし、見向きもしなくなるよ。