斬、のレビュー・感想・評価
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観客までも斬りつける
これは自分の意思とは関係なく、人が人ではなくなる様を音と共に斬りつけてくる作品。ただ元々その素質はあった人間。
同監督の『野火』のときもそう… どこまでも続く緑、木々、山、自然に相対するかのように生まれでる狂気。
なんとなくだけど消化しきれない凄い作品を観た感じ
それでも?
金属音を交え不穏に響く音楽、生々しい自然の風景と血生臭い斬り合いは、異様な迫力がありました。
暴力の結果としての流血描写も、やはり潔くグロテスクで良かったです。
主演の池松壮亮の身体能力の高さを見せつける殺陣や、蒼井優の演技の振り幅、塚本晋也監督の鬼気迫る執念の表情など、役者陣も素晴らしかったと思います。
舞台は、長い泰平の世が続いたものの開国に揺れる江戸末期ということで、戦争放棄の憲法で平和が続いたもののその憲法を変えるのか、という日本の現状をイメージしているそうです。
蒼井優の感情的に怒りを現す人物像は、さながら感情的で起伏の激しい現代の世論を象徴しているのかと感じられました。
対する池松壮亮の報復し合ってもきりがないという冷静な信念は、成る程と思いました。
しかし実際に暴力を目の前にした時、どうすべきか。
蒼井優が襲われる場面は、普通はここで斬るべきだろう、それでも斬らないのかよ!、と思いましたが、一般的な理解を超えたような信念は肯定も否定も出来ず、悩まされます。
報復による暴力の連鎖など、考えさせられます。
舞台挨拶のある上映を観ることが出来ましたが、ローカルな映画館に来てもらえるとは、ありがたかったです。
凄い迫力ある映画❗
人を斬れるようになりたい
先ず最初の音で驚かされる。当方も少し飛び上がった。効果音は全編を通してかなり大きく、重低音である。大太鼓やバスの男声合唱もあり、作品に重々しさを与えていると同時に、観客にとっては重苦しさも感じさせる。狙い通りなのだろうか。台詞回しも大仰ではない平易な言い方が日常感を強調し、芝居がかった言い方よりもリアリティがある。これは塚本監督の意図であろう。
テーマはわかりやすく、人を斬れるか斬れないかの分かれ目はどこにあるかということである。天下泰平の江戸時代にあって、人を斬る機会はあまりなかったはずだ。しかしそれでも武士は毎日稽古に励み、いざとなったときに戦えるように備えていた。今も昔も、人は他人に勝つために強くなりたいと思う生き物らしい。空手や柔道などの格闘技は、実際に人を相手に技を使うと傷害罪になってしまうにもかかわらず練習に励む人が多いのは、必ずしも大会で優勝するためばかりとは限らない。
しかしそうやって練習を重ねても、実際に人を相手に刀で斬りつけたり、または人中(じんちゅう)みたいな顔の真ん中の急所に正拳を叩き込んだりすることができるようになる訳ではない。人を斬ったり殴ったりできるようになるには、精神的な堰を超えなければならないのだ。
池松壮亮は、恒常性バイアスによってかろうじて守られている我々の日常が、如何に脆く崩れやすいものであるかを見せてくれるような俳優である。この作品はそういう点では彼にぴったりの映画である。腕は立つが人を斬ったことがない武士は、一生人を斬らないで生きていくか、どこかで一線を越えて人を斬るかのどちらかしかない。人を斬るためには、斬られた側の痛みとか、人生を終えることの後悔の念とか、そういった思念を全部捨て去らなければならない。甘っちょろい良心などは、ハナから捨て去るべきものだ。平穏無事を願う夢は失せなくてはならない。
一切合財を捨てて人を斬ることができるかを、塚本監督は池松壮亮演じる都筑杢之進だけでなく、観客全員に問いかける。人を斬れない杢之進を、映画は必ずしも否定していない。原始時代の人間は、欲望と本能のままに人を殺していたはずだ。想像力や罪悪感が生じて人を殺しづらくなったのは、文明の証である。人を殺せないのが文明人であり、人を簡単に殺せるのは野蛮人に他ならない。
理性ではそのように理解していても、人を殺したい衝動は誰しもが持っている。しかし殺したら自分もただでは済まない。その恐怖が衝動を押し留めているだけだ。デスノートのようなものがあって証拠が何も残らなかったら、誰もが自由に人を殺してしまうだろう。自分が殺したことを社会に知られることが恐ろしいのだ。
世の中には、人を簡単に殴る人間がいる。そういう人間は人を殴れない人間よりもずっと、人殺しに近いだろう。この頃はスポーツの団体をはじめとしてそういう人間がコーチや監督の中に大量に存在していることが次々に明らかになっているが、スポーツ界だけではないだろう。政界にも財界にも、あるいは官僚の中にも、人を殴っても屁とも思わない人間がいて、そういう人間たちがそれぞれの共同体の中で監督やコーチの立場にあるとすれば、人を殴れない、人を斬れない人間たちは一生スポイルされたままである。
どうだ、この辺で人を斬れるようになってみないか。塚本監督の皮肉な笑みが脳裏に浮かぶ。
ガッカリ感満載
耳で楽しむ。
冥土の土産
自慰映画
斬った後を問う話(但し答え無し)
刀を持つ者には覚悟が要る。
切れなければ、愛する者も自分の命も守れない。
そのジレンマには耐えられないよ。
やめて下さいと言われても、回り出したら止められない。
理想論は魅惑的に見えて現実社会では無力。
この状況下でマスターベーション?お前が絶えろ。
まぁ色んなモン、ぶっ込んでくれるわ。塚本監督。
愛するオンナを抱けもしない。腕は有るのに斬れない。博愛と理想論と自慰行為。全くの無駄でしかない剣術指南。責任転嫁体質。甘過ぎる現状認識と将来予測。
この無責任で自己矛盾に満ちた都築と、使い方の是非についての議論は有れども、斬る澤村。所詮、魂含めて幸せになれないのが同じなら、澤村の様に生きる日本人であって欲しい、いや勝手な言い分だが。
立場上、得られうる最大幸福を追求する源田さえも憎めなくなるくらいの、主役のポンコツ振りに、このキャラへの愛の無さを感じました。
一個。撮影は別人立てた方が良いと思う。監督自らがやらなければならないもんじゃないと、是枝作品の近藤龍人を見て思う次第です。脚本を書いた人とは、別人の視点も、要るんじゃないかなぁ。
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追記(12/4)
斬る理由はあっても、その後の事は考えていない澤村。覚悟も無いのに斬った都築。悪い奴しか斬らないと言いながら欲望の赴くままに斬っているだろう源田。その誰もを肯定しない物語の伝えたいことは、「一度斬る側に回れば底知れぬ泥沼にはまるだけ」。正しいと思うが、今の日本の置かれている立場は、そんな簡単なもんじゃ無いよ、ってのが。。。。
まぁ、刀だけは持っとけよ、腕は磨くにこしたこたぁないよ、ってことで。
迫力のない
塚本晋也が目指したものが何だったかイマイチ、ピンと来ない。
武士として剣技をあそこまで極めた男が切れないというのは違和感でしかない。そこに至る説明がない。夢を見いだせない現代の若者を被らせるには無理がある。手持ちのカメラワークも合ってない。制作費の無さが画面に滲み出すのに一役買ってしまっている。時代劇はファンタジーなのだから、世界観を作れなかったら入り込めない。塚本監督が目指したのはそういう時代劇ではないんだろうが、何がやりたいのかもよくわからない。
殺陣の場面も最悪だ。早すぎるカット変わりで、何をやっているのか全然わからない。既存の剣劇を避けたのかもしれないが、ただの混乱で迫力もない。
主人公のバックボーンを描いていないからこんなウジウジキャラは共感出来ない。共感させないことが狙いなのだろうか?こんな男に女が惚れるのもさっぱりわからない。
結局、何が狙いなのかさっぱりわからない。
もしかして…。虚無に生きるが現状を変えられない現代の若者が電車で優先席に座っている。老人が乗車してきて席を立つべきなのだが勇気がない。同じく乗ってきた大人に注意されて逆ギレして刺しちゃった…って話か?
斬る理由
静寂も、そして怒号も斬り裂く甲高い金属音が、頭の中に波打って消えない。
人を斬る理由とは何か。
生きるため、家族のため、大義のため、そして、自分自身が生き残るため。
しかし、斬った後に残るのは、悲しみや憎しみ、復讐心や絶望だ。
だが、刀は、これらの残されたものたちを断ち斬って無くすことは出来ないのだ。
武士の世が終わり、新しい時代に変わろうとするなか、多くの命が失われて、悲しみや憎しみも取り残された。
武士道が美化され語られる時代だが、150年ちょっと前の日本には、こんな光景がたくさんあったのかもしれない。
物語は、薄暗く小さな山村で、杢之進や、ゆう、市助、山賊の叫びは、まるで舞台で演じられてるかのように狭い空間に響き渡る。
日本刀で人を斬るということ
江戸時代末期、大きな戦もなく刀で人を斬ったことのない侍の時代。
杢ノ進は剣の達人ではあるのだが...
塚本監督作品に通底する破壊とエロス
拳銃で人を傷つけることとは違う、刀という武器で人を斬るということの緊迫感が映画全体に漂っている。
劇中、澤村が「良くなった」という時の狂った笑顔と、「人が斬れるようになりたい」と叫ぶ杢ノ進を観れただけでこの映画には価値がある。
散り椿のような様式美の殺陣ではなく、七人の侍のようなリアルな殺し合いが自分には好意的でした。
普通の時代劇映画とは明らかに違う
池松壮亮さんと蒼井優さんが好きなので、見ようか見ないか迷っていましたが、某早朝トーク番組見てやっぱり見てみたいと鑑賞です。
思っていた時代劇映画とはまったく違いました。迫力もスピード感もあって、美しさと狂気と不気味さが伝わりました。特に戦闘シーンは手持ちカメラでスピード感があって、音も良い意味で不快な音で、迫力がありました。
また、キャラの狂気に侵される感じもよく、とこがフランス映画のようなセクシーさもありました。
日本刀で人を斬るということなので、日本刀と美しさと重量感、恐ろしさのようなものが良かったです。
たた、、、終始、演出が過多気味で、こんなシーンも撮れる、こんか役者の演技もあると、胸焼け気味です。どのシーンも全力!となると、観ていると引き込まれるところもありますが、疲れてしまいました。
前半と後半の画の対比が凄過ぎ、大量の血しぶきに直視困難だった
本作では監督自ら製作の総てをこなして完成させた「野火」同様に、塚本晋也氏自身がまたも製作、監督、撮影、脚本、出演 編集と1度に何役も担当していることからも判る様に塚本節渾身の作品である。
森と農村の田植えのシーンが美しい、非常に自然の美が光を放っているのが、後半の眼を覆いたくなる残忍な事件との対比として強烈だ。
幕末の山村で農民の田植えを手伝いつつ、江戸へ出向く機会を見計らっている若浪人都築が主人公である本作では、この都築を池松壮亮が頑張って体当たりしていたのは素晴らしかった。
されど、今は浪人とは言っても、幕末の武士は、武道を修練する時には、武士としての心得を幼少の時より、武術よりも厳しく躾けられている筈だ。
本作のテーマである、塚本氏の武器に因る、殺戮の無意味さや、憎しみの連鎖しか生まない、争いを無くしたいと考えている事は充分理解出来るのだが、しかし恐らく人を切れないこんな浪人は存在していなかったと私には思えて、どうしても物語の中に入っていかれなかった。
実際この様に、当時も都築の様な武士が存在していたとしても、もしも都築自身が人を切れない事を自覚していたなら、そもそも江戸入りも考える事は無かったのではあるまいか?
所詮は映画でフィクションなのだから、本作は塚本ワールドなのだから何でもOKなのだろうが、この設定では無理がある様に感じてしまい、折角の監督の描きたかった、テーマが却って、伝わり難くなってしまった様に思えて残念だった。
都築は大義の為に人は斬れなくても、都築が好いていた、ゆうの弟である市助が殺され、弟の敵を討ってくれとゆうに哀願されても、それすらも出来ないばかりか、ゆう自身も都築の目の前でレイプされてしまう事に至っては、都築は只の負け犬ではあるまいか?
人は何故争い、殺し合い、何を護ろうとするのか? 何のために生きるのか?と言う事でも有るのだろう。色々考えさせられる作品だった。
斬れない苦悩をシンプルかつ力強く描く
塚本晋也監督の初の時代劇とのこと。幕末の農村を舞台に江戸から京へ出てひと花咲かせようとする二人の浪人を描く。
池松壮亮演じる若き浪人は、物腰が柔らかく、用心棒の体で農家に溶け込み、武術は達者だが「人を斬ること」に激しい抵抗がある。塚本晋也演じる壮年の浪人は「人を斬ること」に何の抵抗もない。
塚本との対峙を通じ、人を斬れない池松の苦悩をシンプルに描く。そして池松に想いを寄せる農家の娘(蒼井優)が彼らのすべてを見届ける。
激動の時代にいながら、その中心から遠く離れ、近づくことができない焦燥をもしっかりとらえた。
力強くもピュアで美しい作品。そのシンプルさゆえに物足りなさを感じる方もいると思うが、私は好きだ。
【追記】
上映後に塚本監督の舞台挨拶があった。時代劇との出会いは市川崑監督の「股旅」だったとのこと。黒澤明や小林正樹の作品がもつ様式美とは一線を画す、このカジュアルかつニューウェーブなATG作品が記憶の底にあったのだろう。
偽らざるもの
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