ブレッドウィナーのレビュー・感想・評価
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気高く生きる〜聡明な少女パヴァーナ
タリバンにより男性を伴わない外出を禁止されているアフガニスタンの首都カブールに住む少女パヴァーナ。理不尽な理由で元教師の父親がタリバンに連行されてしまい、生活の担い手となって懸命に生きる姿を描く。
「お母さんを心配させないで。」と妹パヴァーナを制する姉ソラヤの心の内、娘が父の、母が娘の無事を願う、その姿が切ない。
映像や色彩の美しさが、少女の気高さ、アフガニスタンて生きる人々の哀しみを一層際立たせる。
エンドロールで流れた美しい歌声が沁みる。多くの人に観て頂きたい作品。
映画館での鑑賞
家族を救ったのはお兄ちゃんなのでは
作中で名前だけが出て来たお兄ちゃん。
彼を失ったから、母は娘を見捨てる選択が出来ずに待つことができたし
娘もタリバン政権下でも兄が付き添っていたから最初のうちに学校に通うことができた。
彼のお下がりを着て外に出ることができた。
そうしてラストの物語の英雄と本当のお兄ちゃんが名前だけでなく繋がる場面。
何だかこの世界の片隅にの鬼いちゃんの挿話を思い出しました。
逞しく生きることの美しさ
恵比寿ガーデンシネマで他の作品を鑑賞する際に予告を見て気になっていたが、中々時間が合わずNetflixにて鑑賞。
Netflixだとタイトルが「生きのびるために」で配信されている。
話が多少違うのか、タイトルだけが違うのか詳しくはわからないがネットで調べる限りはストーリー変わらないとのことなのでレビュー。
ターリバーン政権下のアフガニスタンの姿を描いた作品。女性は不当な扱いを受け、女性だけで外を歩いたり目立つ事をしてはならない。
それらを破る事があれば容赦なく暴力を受ける。また女性を庇うような事があれば男性も容赦なく収監される。
主人公のパヴァーナは父を不当に収監され家族が女性しかいない(正確には小さい弟はいるが)ため町に食料すら買いに行けず苦しい生活を強いられる。
その為髪を切り男としてその場を凌ぐことを決断する。
初めて一人で街に出かけ買い物に行くときには喜びを感じたが、同時に街中で不当な扱いをうける女性の姿を見るたびに心を痛めることもあった。
しかし男として街に出かけ社会に溶け込み生きていくことで一人の人間として逞しく育っていく。
この作品背景はそう遠くない時代の事なのに日本で生きる自分にとってはすごく昔の話のように思える。
それほど時代に逆行したことが行われており心が痛む。
ストーリー性やメッセージ性はとても共感し心に染みる。
ただ映画作品としては少し見づらさがあったかな。
アニメーションとしては見づらいのか時折退屈に思えてしまった。
いつでも見られる作品なのでまた時間がある時にでも見たいと思う。
人間の尊厳の存在しない世界
数十年前、タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にしたアニメーション作品。
タリバンは、イスラム教義の極端な解釈により、女性の権利や行動を厳しく制限し、逆らう者を激しく弾圧した。
教師であった父親がタリバンに拉致され、家族に男性は幼い弟のみ。
女だけでは、仕事も、食料の調達も、ただ外を出歩く事さえできない。
追い詰められた家族を救う為、年若い少女パーヴァナは、髪を切り、少年のふりをして仕事や買い物に出始める。
平行して、パーヴァナが語る少年の冒険物語が、現実世界の苦難を重ね合わせ、望みを託すように、影絵のような幻想的な色彩で綴られていく。
女というだけで服従を強いられ、殴られ、未来を奪われる。厳しい男尊女卑が描写の中心となるが、不条理はそれに止まらない。少年は暴力に洗脳され、人々はそこここに埋まる地雷で愛する人を亡くし、恐怖に怯えて良心を押し潰す。戦闘機が空を飛び交い、容易に銃が人に向けられ、いつ命が奪われてもおかしくない。
何処にも逃げ道が見出だせない状況に胸が詰まる。
少年の冒険は終わりを告げるが、現実は何も変わらない。お伽噺のような救いは訪れない。家族はバラバラに、先も見えず、助けてくれた男の命の保証も無く、街は空襲で焼かれたかも知れない。
その中で、パーヴァナは祈るように物語を口にする。何時でも物語が心の支えであったから、そして物語の少年は、言葉で怪物に立ち向かったからだ。
「怒りではなく言葉を伝えて。花は雷てなく、雨で育つから」
異常な結末
やっと日本語版が見られるようになったのは喜ばしい。
しかし、傑作である原作の「生きのびるために」と比べると、残念な出来栄えだ。
原作の素晴らしさは、作者デボラ・エリスの豊富な取材に基づき、
・リアルを追求している
・11歳の少女の目線で描かれる
ところにある。
しかし本作品では、パヴァーナは、少し大人びた女の子のイメージで描かれ、“少女らしい心の動き”を感じ取ることができない。
山がそびえる土地の斜面に住んでいる様子や、相次ぐ戦争で荒廃し切ったカブールの風景は、繊細に描かれており素晴らしい。
しかし原作では、爆撃で半分ぶっ壊れた建物に住んだり、人骨を掘り起こして金を稼いだりと、もっとすさまじい光景が描写されている。
ストーリーは省略され、原作が持つリアルな味わいが損なわれているが、ある程度はやむを得ない。
しかし、ストーリーの改変が後半になるほど目立ってきて、特にラストは“異常”だった。
パヴァーナと父、母と姉と弟(と原作では妹も)の、2つに家族が離ればなれになるのは、原作と同じだ。
しかし、空爆の中で刑務所から父を強奪したり、弟が人さらいのように連れて行かれるなど、原作とは無関係の別の物語になっている。
何のために、このような緊迫感のある、不自然な展開にする必要があったのだろうか?
また、亡くなった兄の名前をもつ少年が、「種」を取り返しに行くという“英雄伝説”が挿入され、現実の話と同時並行的に進む。
原作にはない伝説だが、ここで「カートゥーン・サルーン」らしい、美しいアニメーションを見ることができる。
しかし、自分には結末がよく分からず、何のための挿話なのか意味不明だった。
なぜ、兄の“爆死”の事実を認めて向き合うことが、「ゾウ」をなだめることになるのか?
「ゾウ」は一体、何を象徴しているのか?
現実の展開と空想の英雄伝説が、奇妙に相互作用し合う、自分には理解不能な“異常な結末”だった。
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