「秘密の時間」タリーと私の秘密の時間 filmpelonpaさんの映画レビュー(感想・評価)
秘密の時間
2人目子育て中の夫の立場で鑑賞。シャーリーズ・セロンではなく、これはどこにでもいるお母さんだと思ってみた。いや、おばばんだと思ってみた。みんな「おばはん」のこと想像しないでしょう。気持ちに余裕がなく、攻撃的で、体はたるみまくって、服も流行とは無縁。そんなおばはんのこと視界に入れようとしないでしょう。だって醜いもんね。タリーはそうしないと気持ちがもたないなら、誰も頼りたくない。でもそういう「おばはん」を誰も手の届かないところにやったのは、誰なのかなあと。醜いのは誰にとって? 「秘密」はどうして生まれたの?
ご機嫌を強要して、あるいは見ないフリにする男性社会がこしらえた「秘密」だったりして。休養が必要。助けがほしい。でも周りに誰も助けてくれないから、自分で作りあげてしまおう。毎日が辛い、でも「今の繰り返しの生活が子供たちにとっても幸福よ」と相棒が言う。これすらも自問自答と妄想と祈りが反響した自製の言葉だったんですよね。見ているこちらにとって救いなのは、外部への怒りではなく自己との対話によるセンチメンタルに消化している演出で、これはジェイソン・ラ イトマンの優しさでしょう。
旦那さん、「子守を呼ぶわ」て最初にちゃんと奥さんが言ってるよね。ここはひとつのサインでしたね。ただこの話、旦那さんのこと嫌いではない、ていう、不仲に原因を安易に作ろうとしないところがよかった。だからこそ誰にでも、どこにでも、(旦那からみて)幸せな家庭でも、向き合わないといけないストーリーなんすよね。
子ども放置して、ブルックリンに酒飲みに行って、事故に遭って死にそうになる。でも無理させてたんだね、と旦那は攻めない。ところで日本で1週間くらい子ども置き去りにして亡くなってた話ありましたが、彼女には秘密の人魚どころか、そんな旦那すらいなかった。全く次元の違う犯罪の話か、地続きの悲しみか、どうなんでしょうね。