カランコエの花のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
先日、アウティングという言葉を初めて知った。LGBTという言葉も、あるということは知っている。そこにQが加わっていることもあるがそれが何を指すのかよく知らない。
そんな状況で見たけれど、俺ってどう対応するのだろうか。
今田美桜圧倒的にかわいいな。
価値観について普遍性のある傑作級作品
すごく短い作品だったけれど、今年のベスト級に面白かった。
繊細で巧妙な脚本は、LGBTを扱った作品という枠を超えた普遍性を内包しているところが素晴らしい。
LGBTの当事者であるさくらはそのことを自ら黒板に書きカミングアウトしようとした。周りの人間、特に恋する相手である今田美桜演じる主人公に受け入れてもらおうとしたからだ。
しかしその事実を知らない主人公は、さくらは違う。さくらはレズビアンじゃないと言ってしまう。
主人公はその前にさくらが辛そうにしているという話を聞いていたので、もちろん良かれと思って言ったのだ。
しかし、本当のさくらの気持ちに照らし合わせれば、さくらは自分を否定されたことになってしまう。
主人公は何かを間違えたのだ。では一体何を間違えたのだろうか。それは当人ではない人間から聞いた話を鵜呑みにしてしまったことであり、しかもそれを自分の解釈で理解しようとしてしまったことだ。
さくらが辛そうにしているという情報。辛そうにしているならば隠したいはずだという間違った理解。
極めつけはエンドロールと同時に始まる、一週間遡った7月1日。保険の先生とさくらが話している場面を目撃してしまうところ。
目撃してしまった女学生は「辛そう」と主人公に言った。本当にさくらは辛そうだったか?ものすごく明るく楽しそうに恋バナをしていただけにしか見えない。相手が同性なので慎重にという以外、普通の恋する女の子でしかなかった。恋していることを楽しいと思える普通の女の子。
しかし、目撃してしまった女学生はさくらが同性愛者だから辛いに決まっていると思い込んだのだ。
勝手にさくらを理解したつもりになって「辛そうにしている」と自分も涙を流す。
主人公が最初に受け取った情報すら間違いだったことになる。そしてこの間違った情報から勝手にさくらを理解したつもりになって、一番言ってはいけない「さくらはレズビアンじゃない」を言ってしまうことになるのだ。
つまりこれはコミュニケーションと理解についての物語で、LGBTとか関係ない普遍性がある。
相手の話をちゃんと聞かず、勝手に思い込んで、決めつけて、理解したつもりになることの危険性。
ジェンダーについてだけでなく多様な「考え方」が存在する近年において、自身の価値観だけで物事を判断してしまう危険性と、相手をよく知ろうとしなければならないという相互理解について、よく描かれている。
注意しなければいけないのは、本作が道徳の授業で観られるような作品だといい、LGBTの人は誰もが受け入れてもらいたいと願っていると「決めつけて」しまうことだろう。
人は一人ひとり違う。そのことをよく理解しなければならない。
色々と衝撃!役者が美しく描かれた作品!
色々と衝撃を受けました...!
「このクラスの誰かがLGBTかもしれない」
ある日、突然始まる謎の犯人探し。
結論はどうなるんだろうと、一気に引き込まれました。
他愛もない学校生活や家庭の日常が、
上品かつ自然に描かれているのが好きです。
また、役者陣が全員美しく、
今や最前線で活躍する今田美桜や笠松将らを
若手の段階から起用していることも驚きました。
無駄なシーンが一切なく、
セリフでも語りすぎない点など
40分に魅力が詰まりすぎていました。
タイトルなし(ネタバレ)
つま(千里?)ちゃん(女の子のお友達)が悪い。
サクラちゃんもメソメソするな。って僕は思う。
僕自身の高2の当時、僕はゲイでは無いが、男にも女にも余り相手にされていなかったので、異性に興味はあったが、高校時代はいつも一人だった。
LGBTよりも、ロリコンって言われる方が嫌だった。でも、僕が特別と思わなかったけど。
まぁ、大学へ進学して、咲かぬ花も少しは咲いたが、相変わらず、一人でいるほうが良かった。引き続き、僕が特別と思わなかったけどね。
高校時代に思いをうちあけて、相手が男でも女でも、花が咲く(恋が実る)なんてほとんど無いと思う。サクラちゃんには言いたい。『もう少し我慢して、高校を卒業してからでも、間に合う♥君はまだ若い♥』って言いたい。あてにらない俯瞰した教師なんかに相談すべきではない。そう言った経験の無い教師に相談すると、寧ろ被害に合う事もある。
さて、僕の知り合いの女性で、Bの人を知っているが、僕はその人を凄く尊敬していた。65歳のジジイを相手にして、酒を飲みに行った事もある。Bと分かっていたが、全く異性を感じさせない人だった。教師見たいなインテリ女性だったが。俯瞰していなかったので、教わる事は沢山あった。また、メソメソなんてしてないし、堂々としていた。そんなんでいいんじゃないかなぁ。僕は天地天命に誓って、ゲイではないが、カポーティも宮沢賢治も、その人柄も含めて好きである。
でも、この映画の様に、
高校二年生位の『はなたれ小僧』に『LGBTを理解しろ』って、言う事の方が大変に難しい事だと思う。
この映画は残念ながら男目線な話だと思うが。相手の思いに答えられなくても、責任を感じて泣くことは無いと思うのだが。
今年1番衝撃を受けた。最も衝撃を受けた場面と、LGBTに関する7年前からの変化について(追記 舞台挨拶で監督が7年前からの変化が感じられるかもと言ってたので)
残念なことを始めに言ってしまうと、LGBTで悩んでる者の悩みは7年前も今も全く変わらないと思う。回り(LGBTで悩んでいない者)は僅かだが変化したかも。
1番衝撃を受けたのは黒板の場面だ。
「桜ちゃんはレズビアンなんかじゃない」と叫ぶ月乃 (今田美桜)。 「うわ、桜ちゃんを守るつもりで桜ちゃんを否定しちゃったヨ」 と一瞬ボーゼンとなった ( ° 。° )。
そのあと黒板に書かれた「小牧桜はレズビアン」の文字を消しちゃうとこなんか、桜の存在そのものを消しちゃう行動に見えたヨ。 桜がレズビアンであることは決して桜と切り離せない。それは桜の尊厳に関わることだ。大好きな月乃に桜自身を否定され消されてしまう場面なんて凄いショックで声も出ないよ。しかも桜はそれを目の前で聞いて見てるんだぜ。オレの心はズタズタだよ。悲しすぎて涙も出ない。
2人乗りでの夕暮れの無言の告白(?)の場面と、鏡台の前で母親からカラコンエの花言葉を聞いて桜を守ろうと(?)決意する場面も好きだ。
LGBTに対する理解が遅々として進まないように思える。変化が実感できず、何も変わってないのではとさえ思えてしまう。
しかし、この映画を見ると7年前の2016年(公開は2018)よりは、回り(LGBTで悩んでいない者)に多少の変化・進展があったのかもしれないと思った。「わずかに」というより「かすかに」と言った方がよい変化ではある。
というのは、今もし映画と同じことが起きたとしても、回りの反応がもう少し穏やかになるのではないかと思ったからだ。
最初に級友の秘密を知った生徒も主人公も悩みはするが、もう少し軽いものになったのではと思った。1人でかかえて思いわずらわずに、友だちや花ちゃん(保健のセンセ)、母親に相談したのではないかと思う。
もし7年後の今この映画が作られたら、高校生の月乃もバス停で、「桜ちゃん、あなたが私を好きなのは嬉しいけど、それに応えることはできないゼ。あーたがレズビアンでも私たちの友情は変わらない、ずっとマブダチだぜ。友情のシルシにこのカラエンコのシュシュをあげるよ。花コトバは ”あなたを守る” さ。アタイだと思って大事にしてくんね」なんて笑顔で言えたかもしれない。
花ちゃん(保健のセンセ)の対応も、気負ってアレコレするのではなく、本人の話を聞くにとどめるみたいなことになったのではと思う。
私が7年前の映画を見て感じた「微かな」変化なんてのはこんなもんだ。
私も7年前は、LGBTという言葉を知っていたかどうかさえも怪しい
私は映画館と地上波でしか映画を見れないから、立川シネマシティさんが 「少女は卒業しない」公開記念で上映してくれて嬉しかった。
感想
レズビアンの女の子がバスの中で1人泣くところ
今田美桜ちゃんが黒板に書かれた文字を必死で消す姿
がぶっ刺さった。
周囲に隠していた自分の本当の姿。嘘をついていた仮の姿。嘘がバレ、その嘘に対してどう感情をコントロールすればいいのかわからないという主人公。
「好き」という感情をレズビアンという状況だけで好きな子から否定される。周囲からも否定される。
自分を押し殺して生きるということの辛さ。
タイトルなし(ネタバレ)
笠松将演じる、場と空気を乱す絶妙な加減のトリックスター。存在そのものがまさに不条理の権化。
最後に事の経緯が明らかになる、音声のみのエンドロール。そこで明かされる教師の身勝手なアウティング。全ては浅はかな括弧付きの「配慮」から始まっていた。
観客は時系列で先に起きた事を知ってしまっているので、純粋な恋心の独白に、この世の地獄を思い知らされることとなる。
39分という短さながら、残酷な人間の闇に静かに飲み込まれる。
守りたかった、救われたかった
40分程度の短めながら表現、構成がすごく上手い。
若干説明チックではあるが後半が強烈
あるあるの思春期の悩みにLGBTQの話、視点がストレート側からなのも移入しやすい
全員それぞれ欠けながら相手を考えている
知らないから掛け違うわけでミスに気付くと手遅れ
まぁ死んでないんだからその日から話し合い持てば良いとは思う
「次のあるミスは失敗ではない」
あなたを守るカランコエがいいアクセントになってます
カランコエの花言葉は〈あなたを守る〉
LGBTを題材とした39分のショートフィルム。
無料配信していたので鑑賞。
保健教師がLGBTについて授業を行ったことで、クラス内にLGBTの人がいるのではないかという波紋が広がっていく。
傑作でした。
短編ともあってかなり観やすい上、短編とは思えないほどのメッセージ性。
これはすごかった。
皆さんのレビューにもありますが、保健教師のデリカシーの無さが気になりましたね。
“LGBTを差別するのはダメです”
口ではいくらでも言える。
これではただの主観的意見。
もっと間接的にアクション出来なかったのか?
この問題は本当にデリケートで難しい問題。
今のご時世、差別的発言はすぐ叩かれる。
かといってLGBT差別だと言って特別視するのもどうかと思いますし、だから放置・無視していい訳でもない。
自分も差別はしないものの(していないと信じている)、自分の中での恋愛と切り離して考えがちなところはどうしてもあります。
人種や障害、病気など何にしても、心のどこかで自分とは違うと冷ややかな立場を取っちゃうことって、気づかないだけで誰しもあるんじゃないでしょうか。
気づかないうちに誰かを傷つけているかもしれない、身の回りの人も知らないところで悩み苦しんでいるかもしれない。
劇中の桜も女子の中でイケメンの話とか上がるたびに辛かったんだろうなと。
そもそも、自分もLGBTではないとは言い切れない。
途中で目覚める、気付くこともあると聞くし。
桜が「何で庇うの?」と言っていましたが、彼女としては普通に扱って欲しかったのかな。
まるで腫れ物に触るみたいに、レズビアンが悪であるかのように。
月乃が「違うよ、桜がレズビアンなわけないじゃん」っていっていたのも、彼女なりの優しさだろうけど、自分が桜の立場だったらちょっと傷つく。
LGBTという言葉がある以上、社会的にマジョリティである恋愛とマイノリティである恋愛を分けなくてはいけないのか。
男子の犯人捜しやどうしていいかわからない友達、クラス内に広がっていく空気感がやけにリアルで、観ていて辛かった。
この問題について正しい答えは出ないけれど、この映画が一つの解決策、考え方の選択肢になれば良いですね。
これがLGBTへの普通の反応なのかな。
ある日突然LGBTの授業を受けたことからクラスの中にLGBTの人がいるんじゃないかっていう噂が広まってく。
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私は映画で結構LGBTへの知識ついてる方だと思うし、なにせ女子校という特殊な環境にいたから周りにLGBTの子もいた。だから正直普通の人ってこういう反応になるんだってちょっと意外だった。
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結局、先生がLGBTの授業したのってほんとにクラスにLGBTの子がいてその子に相談されてたから。正直先生のつめの甘さにイラついた。
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正直生徒たちの反応は素直な反応だと思う。大人の理解が足りてなくて中途半端な対応をして余計波紋を広げてしまうことの方が問題。
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透き通った空気に織り混ざる残酷さ
周りの人たちの、「守るつもりの優しさ」が逆に本人を傷つけていき、えっ、ここで終わるの?!という、見ている側にとって一番苦しいタイミングでエンドロールへ。ある意味救いの無い区切り方で、だから観た人はいったいどうすればよかったのかと自分でモヤモヤ考えるしかない。それがとてもよかった。
生徒たちの様子がわざとらしくなくとても自然に撮られていて、透き通った素敵な空気を醸し出していた。その空気感と、なんてことない日常の中で表れる残酷さが織り混ざっているところもとてもいいなと思った。
40分で気付かされたこと
この映画では、マジョリティ視点で描かれている。
序盤ではクラスの誰かがLGBTである事だけ噂が流れ、発覚した時には、間違った配慮で本人を傷つけてしまう…
さくら自身が、純粋に月乃を想い、幸せそうに保健医に恋バナをするシーンは、女同士だと言う事で罪悪感をもって恋愛をしているわけではない。
LGBTの違いで悩んでいるとかそういう事ではなく、さくら自身もふつうに、好きの気持ちを抱いているだけ。
そこに何の意義を唱えるものかと、苦しくなりました。
月乃は、次の日学校に来なくなったさくらを思い、後悔と苦しさで涙を流します。
大事な友達なのに、「守る」つもりで発した言葉が、彼女ごと否定をして「守れなかった」。
この絶望感と、暗転からのエンドロールの保健室の会話の対比が、非常に考えさせられる演出でした。
これを観る時、友人にゲイやトランスジェンダーが多く、自分には理解があるものと考えていました。
LGBTに偏見を持っていないつもりでも、マイノリティの人々は辛い思いをたくさんしているだろう、といった部分にフォーカスしすぎて、下手にフォローをし過ぎたり、やたら持ち上げたり、結局ネガティブな受け取りとなる事はありがちなのかと。
保健の先生の授業も、自己満足になってしまっていたり…
いい意味で、LGBTに敢えて着目しなくなる社会になっていけたらいいのかなと思います。
クラスメイトの男の子がさくらを好きで、最後に茶化す男友達と喧嘩をするシーンが好きです。
ここで何が問題だったのかを、彼が学び、さくらを「守る」(守りたい)というところが見えたのがとても良かったです…何度も観ました。
見えない配慮をする自分を見つめなおす
"カランコエを止めるな!"というハッシュタグも現れた(笑)、今年もうひとつのロングランヒット映画である。「カメラを止めるな!」と同時期(7月)公開で規模は小さいながらも、クチコミが広がり、静かなロングランを続けている。
ただ本作は短編映画(39分)である。コメディでもない。大幅な拡大上映となることはないかもしれない。
LGBT映画である。2017年・第26回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)のコンペティションでグランプリを受賞している。
ある日、高校のクラスで休講した授業の代わりに、「LGBTについて」 の授業が行われる。あまりに突然であったのと、ほかのクラスでは同様の授業が行われなかったことをきっかけに、"クラスにLGBTの当事者がいるのではないか"というウワサが広まっていく。
思春期の子供たちが、それぞれに行動をとる。騒いで茶化す男子もいれば、どうやって守るべきかにひとり悩む女子もいる。
高評価のポイントは、LGBT当事者の視点や立場ではなく、周囲の人の目線から描いていることである。主人公も一般の女子高生。身も蓋もない言い方になってしまうが、LGBTいじめが発生した学級のようすをそのまんまカメラは捉えた、道徳教育のビデオのようである。
しかし、いわゆるLGBT映画のように、当事者が悩んだり、苦しんだり、泣いたりすることで、差別を認識させるのではなく、周囲の人々のとまどい、不安といった空気感をとらえ、コミュニティとしてどうするべきかを考えさせる作品になっている。
タイトルの、"カランコエ"の花言葉は、"あなたを守る"、"おおらかな心"。主人公の月乃が髪を束ねているシュシュがカランコエの花に見えるということから、そのシュシュを頭につけてあえて登校するようになる。
本作を観たのは恥ずかしながら、そういったメッセージ性ではなく、今田美桜(いまだ みおう・21歳)が主演しているから。そして、この名作に出会った。今年、ドラマ「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」でメジャー人気になり、これからの出演映画は増えていくであろう女優である。
中川駿監督は、あえてLGBTについて意識的な準備をせずに本作に取り組んでいる。インタビューで、"偏見を持っているつもりはなくとも、距離を置いている"、"特別な配慮をすることがおかしい"と語る。
男の監督が、女優を主役にするときは何も構えないのに、LGBTを主役にする映画に特別な準備をするとしたら、それこそが差別であると。
そうはいっても、見えない配慮をする周囲のひとりかもしれない。
(2018/10/26/UPLINK渋谷/シネスコ)
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