「『サブスタンス』そっくり!! リベンジ・ムービーを「魔改造」した狂ったフェミ映画に爆笑!」REVENGE リベンジ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
『サブスタンス』そっくり!! リベンジ・ムービーを「魔改造」した狂ったフェミ映画に爆笑!
やっべえ、アホすぎる(笑)
めちゃくちゃだけど、最高!!!!
すっげえ面白いのに、星3.2ってなんで???
あの『サブスタンス』の監督が撮った、と思わずに、ずぶの新人女性監督が撮ったヘンテコB級血みどろアクションだと思うと、ついつい点数が辛くなるってことかな?
『サブスタンス』でアゴが抜けるほど笑ったので、「おや、コラリー・ファルジャ監督の前作がリバイバル上映されてるじゃないか」ということで、『メイデン』からハシゴして、渋谷で観てきた。
いろいろ、マジでびっくりしたわ。
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びっくりポイントその1。
あまりに『サブスタンス』とノリがおんなじすぎて、びっくり。
これさあ、『サブスタンス』を観たことのある人に監督の名前伏せて見せたら、たぶん10人のうち8人か9人は、正しくコラリー・ファルジャの映画だって当ててくると思うんだよね。それくらい、やってることもノリもまるで一緒。
この監督、めちゃくちゃはっきり、「やりたいテーマ」と「やりたいテイスト」があって、そこから一切ぶれるところがないんだな(笑)。
エッロい男性目線を象徴する、股間回りをねめまわすようなカメラ。
男根的男性優位社会を寓意化したような性欲旺盛で暴力的な男たち。
そのなかで男に媚びる魅力を自覚してそれを振り回す若い超絶美女。
男性社会の成員は徹底的にヒロインを食い物にし、しゃぶりつくす。
それに対してヒロインは文字通り「血みどろ」の逆襲に打って出る。
プレイメイトのような外見の超絶ボディのヒロイン、女体をまわりこむようなエロい撮り方、舌で体表を舐め上げるようなアップの使い方、バスト以上にヒップに拘泥するフェティシズム、でもなぜかこちらの性欲をまったく刺激しないスポーティな感覚。
これらは、すべて『リベンジ』と『サブスタンス』で100%共通する撮影方針だ。
途中から話が完全に脱線して、ボディ・ホラー的な「肉体変容」「肉体改造」「内臓幻想」へと暴走していく感覚も、両作で完全に一致している。
数十メートルはありそうな崖から突き落とされたヒロイン。
腹のど真ん中を見事なまでに貫通する枯れ木。
エビぞりで動かなくなる哀れなヒロイン。
これって『食人族』の原住民少女や『ブレインデッド』の神父なみに、1000%死んでおかしくないシチュエーションだ。
考えても見よ、ショーケン演じるマカロニなんて、ナイフでぷすっと刺されただけで死んじゃったのだ。人間は基本、腹を刺されたら死ぬように出来ている。
ところが!!
ヒロインはなんと生きていた!!!(笑)
5リットルくらい血を流しながら、串刺しのまま1キロくらい移動して洞穴のなかまでたどり着き、ペヨーテの強烈な幻覚で気を紛らわせつつ、自分でナイフの刃を火で焼いて、それを使って傷口を切り開き、そこから丸太を引きずり出し、焼いた鉄板を押し付けて、腹の穴を閉じてしまうのだ!!! 強い! おい、背中の穴はどうした???
ようするに、これは銃で撃たれたガンマンが、ウイスキーで消毒してから焼いたナイフで弾丸をほじくり出し、傷口を焼いて治療したり、矢で射られた侍が、焼酎で消毒してから炎で傷口をあぶって治療するといったクリシェの「パロディ」なわけだ。
完全に、ふざけている。
全くもって、まともじゃない。
だが、コラリー・ファルジャは、真剣だ。
これは、「人の背中が割れて別人がセミのように出てくる」のと同じくらい、大真面目なシリアスネタなのだ。
ここでのルールでは、この程度で女は殺せない。
女は意思の力で、再生する。何度でも。
女性は、血と痛みに強い存在だから。
大量の出血と、壮絶な痛みを代償に、女はよみがえる。
これは、そういうルールの「ボディ・ホラー」なのだ。
デイヴィッド・クローネンバーグ印のSF的仮想世界。
肉体損傷と臓物幻想に供された不滅の女性性の神話。
自らフェニックスの焼き印を腹に刻んだ復讐の女神は、
自身を蹂躙した野獣たちを次々と血祭にあげていくのだ。
観ているうちに、横滑りしていくように物語が「常識」のくびきから外れて「寓話」化していく感覚は、まさに両作に共通するものだ。
あんなひどい重傷なのになんで死なないんだ?というだけでなく、ヨレヨレだった主人公が時間の経過に従って、どんどんパワーアップしてピンピンしていく展開は、本作のヒロインと『サブスタンス』の老婆化したエリザベスにおいて完全に一致する。
言い換えれば、コラリー・ファルジャは、敢えて物語の理屈を「壊して」、「御伽噺」に変えてしまう、ということだ。
他にも、
●印象的かつ簡潔なオープニング(奇妙な形に組まれた奇岩は終盤に再登場して、ヒロインのいる場所を教えてくれる)
●赤と青を基調としたショッキングな色彩感覚(窓に貼られた赤と青のフィルターは、女性と男性を象徴しているのか?)
●男たちのきったない食べ方、「食」を徹底的に卑しく下品に描くセンス
●生殖器を想起させる突起物(♂)や傷口(♀)の形状のオンパレード
●「やりすぎ」の力で全てを有無を言わさず説得していくバッド・テイスト
など、二つの映画の共通点は他にもいろいろ挙げられる。
要するに、コラリー・ファルジャが生み出した二つの映画は、同じ組成物の「異なる断面」に過ぎない。
表面上見える形はリベンジ・アクションだったり、ボディ・ホラー風医療SFだったりとジャンルの皮をかぶっていても、彼女には一貫して「やりたいこと」と「やりたい表現」があって、それは寸分もズレていない。
そう、これこそが、まさに「作家性」というやつだ。
で、僕は、作家性の強い監督は大好物である。
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この映画を観てびっくりしたこと、その2。
なにこれ、『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』(1985)の丸パクリじゃん!!(笑)
いや、本作と同趣向のジャンル映画――『発情アニマル(=悪魔のえじき)』(1978) に代表されるいわゆる「レイプ・リベンジ・ムービー」のなかに、もっと似た映画があっても一向におかしくないのだが、少なくとも僕の知っている範囲では、『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』に一番近い。
●舞台は人家から孤絶した荒野の砂漠地帯
●半裸で裸足でブロンドのエロいヒロイン
●敵のもともとの目的が動物のハンティング
●敵がイケメン、バカ、デブの三人組
(とくにデブキャラは、見た目もそっくり)
●最初はヒロインが三人を性的に魅了する
●理不尽な暴力と性加害、執拗な追跡劇
●死んだ動物を車に仕掛けて相手を脅す
●一番まともかと思ったハンサムが最悪男
●敵は車とバイクで探索して追ってくる
●ヒロインが洞窟で野営しつつ逆襲に出る
●最後は男根主義の権化のイケメンと対決
これだけ要素がかぶっていれば、少なくとも「似ている」と言ってもバチはあたらないでしょう(笑)。
『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』は、それこそ『マッドマックス』(1979)の強烈な影響下に、『発情アニマル』を土台に作られた、オーストラリア産のリベンジ・ムービーだ。
この映画はクエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)の元ネタとしても知られ、一部ではカルト的人気があるという。昨年、新宿のK’sシネマの「奇想天外映画祭」で上映され、それを僕も観たのだった。実際はいろいろとゆるんゆるんの映画だが、そこそこ楽しめたのもたしかだった。
で、ここで重要なのは、どれくらいコラリー・ファルジャが『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』から影響を受けたかという話ではない。
臆面もなく、リメイクと見まがうような丸パクリの体で、旧来のレイプ・リベンジ・ムービーから「いただいて」くる、彼女のスタンスが重要なのだ。
彼女にとって、ジャンル映画を撮ること自体は、それ自体がパロディであり、オマージュであり、恥じることでもなんでもない。
昔の作品からそのまま持ってきたところで、本人にはまったく気にしている様子がない。
彼女は、そういった「エクスプロイテーション映画」の枠を用いて、「びっくりポイントその1」で指摘した「強烈な個性」をもって自分の色に染め上げたうえで、「フェミニストとしての苛烈な主張」を食らわせてくる。
そういったエクスプロイテーション・ムービーを成立させていた男性優位社会と男根主義的価値観を根こそぎ叩き潰したいという憎悪と攻撃性を、やり過ぎと笑いのバッド・テイストで緩和させながら、観客にストレートにぶつけてくる。
彼女にとっては、おそらく「そこ」が重要なのであって、その「題材」にいくら過去の面白映画を引っ張ってきても一向に構わないと考えているのではないか。
男性の性欲と攻撃性と支配欲にまみれたエクスプロイテーション・ムービーを、女性ならではの身体性と政治的怨念によってボディ・ホラーの形態に「魔改造」する「過程」(「実験」)こそが、彼女にとっての創作の真の核心なのではないか。
僕は、基本的に政治的な映画も、フェミニズム的映画も、ポリコレ映画も、吐き気がするほど嫌いだし、「女性映画」の皮をかぶせて提示されるそういった「たくらみ」の数々に、もはや心底うんざりしている人間だ。
だが、なぜかコラリー・ファルジャの二作を観ても、まったく不愉快な気分にはならない。
むしろ、馬鹿笑いしてしまう。心底愉しめてしまう。
おそらくそれは、コラリー・ファルジャが、そういったフェミニズム的挑戦を自分のなかで「客体化」できているからであり、バッド・テイストで笑いのめすという変わった「調理法」で卓上に並べてくれるからであり、「正義」を殊更に主張したり振り回したりはしないからだろう。
そしておそらく、僕が腹を抱えて笑って観てきた「同じような作品群」を心底愉しんで育ってきた「同好の士」だから。
同志愛というのは、容易に政治的主張を超えるものなのである(笑)。
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その他、雑感を。
●ヒロインが「ジェニファー」っていうのって、やっぱり『発情アニマル』へのリスペクトなんだろうか(笑)。
●冒頭のヘリコプターがだんだん認識されてくる「水平方向」に凝視させる試みと、『サブスタンス』における真上から割った生卵&ウォーク・オブ・フェイムの星の標識を凝視させる試みは、パラレルだ。
●サングラスに映り込む風景の美しさ! 監督の美的センスは、どんなグロテスクなシーンにも入り込み、絵画的な美観を漂わせる。サングラスをかけたイケメンの見た目がなんとなくトム・クルーズ似で、外すとヴァル・キルマーが混じるのも笑う。
●ヘリコプター、サングラス、プール&サンルーフ、通販番組、I LOVE L.A.のTシャツ、ヒロインのアメリカデビューへのこだわり……冒頭で強烈に漂う「アメリカ(ハリウッド)的なるものへの切なる憧れ」は、『サブスタンス』でさらに発展を見せ、ついに「仮想のハリウッド」を構築するまでに至る。
それは、コラリー・ファルジャのなかに渦巻く、「ハリウッド的なるもの」への憧れと憎悪の反映でもあるだろう。
●ヘリでしか来られない隔絶された場所での男女間の壮絶な争いという意味では、『ハンガー・ゲーム』に代表されるデスゲームものの要素も意識して作っているといえる。
●「セックス相手としては優しいが家庭を捨てる気はなく、そこに踏み込むと人が変わったように切れまくるヤンエグ」「“昨日は俺に気があったじゃないか”と笑顔で迫って、拒絶されるとレイプしてくるゴロツキ」「エロい目線は向けつつ手を出しては来ない奥手だが、実は相当にこじらせている暴力性を秘めたデブ」。コラリー・ファルジャの考える「典型的なダメ男三態」なんだろうな……。
●最後の右回りでグルグル戦うやつ、クッソ笑う。『トムとジェリー』みたいなスラップスティックの笑いの再現を考えているんだろうね。
●今回の上映では男性の陰部にぼかしが入っていたが、「男根主義を駆逐するのが目的の」映画のラストバトルで敵が全裸なのにはそれなりに意味があるはずなわけで、あそこを隠しちゃうのはテーマ的にも無粋なんじゃないのかなあ。