「0が目に見えないからといってその概念を馬鹿にする白人には難しい話である。」機動戦士ガンダムNT 角心さんの映画レビュー(感想・評価)
0が目に見えないからといってその概念を馬鹿にする白人には難しい話である。
本作はガンダム史における「ニュータイプとは何か?」という極めて繊細で触れづらいにも関わらず、我々のガンダムに対して込み上げる思いの棘のような部分について、焦点を当てかつ、あえて、その議論に明確な答えを出さず批判を受ける立場になることを分かっていながらこの作品を世に送り出した親中を察するに。。。やれ「プラモの宣伝だ」だの「宇宙世紀で金鉱を掘り当てるまでの過程」だの、よく自らの思考の上限を恥じられないものか。ソクラテスの言う「無知の知」の如く我々いわゆるこちら側の読者はニュータイプがなにかですらわかっていないにも関わらず、先の映像化作品にはニュータイプは存在しない、サイコフレームも一切語られないなどとほざけるものだ。たかが二十年や三十年。ニュータイプに言わせれば、いやニュータイプを超えたニュータイプ、それこそ次元の違うレベルのニュータイプを超えた【何者】や【どこそこ】だのに言わせれば、「時間ですが概念のたかが一つに過ぎない」ということに関して、丁寧にも本作で明言されているのに。
本作の言葉を借りるのならば、あくまで我々、物語の登場人物たちも、これを作品として視聴している我々も「ようやく門にたどり着いた。」それだけである。門を開けたのかすら明言されておらず、まだそれが門なのかすら解明されてもないのに。
決めつけ、暴論に至る。この他のレビューを読んだ汚れなき幼子たちを外科的に解剖するが如く。心なんて、メスで目に見えるようなものでもないのに。。。
よって目に見えないものを小馬鹿にする信念にも似た固定観念の持ち主たちには、論理的に目に見えないものを馬鹿にする習性があるものたちには、まだ自分の知らない論理がこの宇宙にはあまたあるにもかかわらず、現代科学がここまでさまざまなものを方程式化し、便利にし、豊かにし、その上で未だ我々が知らないものが無数に、無限にあるにも関わらず、知らない、説明されていない、明確に定義されていないとわめき主張し、そして偉そうに語る者たちには、本作はあまりにも。もったいないと切に思う