アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノールのレビュー・感想・評価
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人生は支えがあってこそ輝ける
トビーセバスチャン扮するアモスバルディは1958年に生まれたが先天性の緑内障であった。子供の頃倉庫に入るのが好きだったが、危険だと怒られた。音楽を聞くのも好きだったが、医師からは点字の勉強をするように言われた。両親は泣く泣く アモスを寄宿学校に入れた。アモスはオペラ歌手になりたいと思っていた。
目が悪い子を持った親は大変だ。本人以上に両親ら回りはたまらないだろうね。でも苦労してひとつずつ出来る様になると喜びもひとしおだね。優しく接してくれる友達もありがたいものだ。人生は支えがあってこそ輝ける。
アンドレア・ボチェッリの声の秘密
【Time To Say Goodbye 】
加山雄三が、
ラジオのインタビュー番組で大好きだというこの曲をリクエストしていました(数年前の話)。
そのときの彼の表現に僕は深く頷きました ―
「銀座の山野楽器の前でこの曲がかかると、通行人が足を止めて、何人もの人がその場に立ち止まってこの声に聞き入っているんです・・」
そうなんです。
銀座の歩行者だけでなく私たちも思い当たるふしがたくさんあると思います
ペンが止まる、皿洗いの手がふと止まる、アクセルが緩んで車のスピードが落ちてしまう(⇒実話、笑)。
彼アンドレア・ボチェッリの歌唱の魅力はどこから来るか?
どこに我々の心をここまでに惹き付けてしまうエッセンスがあるのか?
― このことを、僕は彼のブレーク以来何年も考えていました。
そしてたぶんこれなのだろうと見つけた答えは
【アンドレア・ボチェッリは微妙に音が不安定なのだ】、です。
・その歌唱力のひたむきではありつつもよくよく聴いてみれば未熟で力不足の弱さが見え隠れし、パーフェクトでない故にこそ聴衆の中に強力な無意識の傾聴を引き起こす。
・ひずみ、ゆがみ、小さな傷。限界の中であがく“完璧でない事の美しさ”、の再発見。
それだと思います。
これはコンピューター演奏では再現しきれません。人間の魂の切実さ・揺らぎ・一途さの一番良いところが彼の歌唱には真っ直ぐ表現されているんです。
(僕は邦楽を少しかじりました、楽譜には記せない外しがあります、そして人は外れている所に突然感情の横Gがかかるのですよ)。
サラ・ブライトマンとのデュエット、良いわー
イタリア語の響き。愛をささやくために生まれた言語なんだなぁ。
ネオオペラ、カンツォーネ、
ジャンル的にはフリオ・イグレシアスに寄ったオペラティック・ポップスか。
以上、
映画のストーリーとは別次元ですが、コメントしてみました。アンドレア・ボチェッリ大好きです。
愛に溢れた両親とおじさん
希望を与える作品
自然と涙が
今流行の(?)、「実話をもとに」という触れ込みで、ロマンチックに潤色したり、虚構まで史実と信じ込ませるタイプの映画ではない。
リアルで正直な話だと思った。
115分という長くはない尺で、現存する歌手の半生を見事に収めきっている。
地味なストーリーであり、決して涙を流すような“感動的”作品ではない。
にもかかわらず、自分の頬には、自然と涙が落ちていた。
音楽のパワーのせいである。
最高の音楽があれば、余計な潤色など不要だ。
あるがままに語りさえすれば、音楽がその想いを載せて、天駆けてくれるだろう。
最初の方で少年が合唱する
・「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」(歌劇「ナブッコ」)
で、既にウルウルしてしまう。ラストでは、
・「誰も寝てはならぬ」(歌劇「トゥーランドット」)
で泣かせてくれた。
公式サイトで、ミュージックリストを見ることができるが、乾杯の歌(歌劇「椿姫」)、「星は光りぬ」(歌劇「トスカ」)、そして「オー・ソレ・ミオ」まである。
シューベルトの「アヴェ・マリア」が結婚式で使われるというのは、意外だった。
選曲は、いわゆる“定番”が半数以上で、目新しいものではない。
しかし、シチュエーションを踏まえた上で音楽が使われている、立派な音楽映画であった。
素晴らしい☆
天国からの歌声
ご本人の素晴らしい歌声に感動♪
【ボチェッリに差し伸べられる温かき多くの手。ハンディに屈せず、美しい歌声で多くの人と”自ら”に幸せを齎した男の物語】
アモスは両親、親類の祝福の中、生を受けるが、直ぐに先天性緑内障が発覚する。弱視で生活する中、持って生まれた歌の才能を音楽教師に見い出される。
が、更なる悲劇が訪れ失明し、夢であったオペラ歌手の夢を諦めるアモス。泣き崩れる両親。普段はヤンチャなアモスに対し、きちんと躾をする二人の失意たるや、親であれば良く分かる場面である。
<差し伸べられる温かき手の数々>
1.ジョバンニ叔父さんはリゾート先でアモスを歌唱コンテストに誘う。彼は予選を通過し、見事に優勝し降り注ぐブラボー!のシャワーの中、歌う歓びに束の間浸る。
子供の頃の成功体験は貴重な物だと思う。彼が成人してからギリギリ夢を諦めなかったのは幼少時のこの体験が大きいのではないか。
2.夢を諦め、両親を安心させるために入学した法曹系の高校で出会った親友となる青年の一言。”君の歌、素晴らしかったよね。”と言い、アモスの背中に手を添える。
3.ナイトクラブで出会った美しい女性エレナ。彼女の誕生日が行われていたのだ。エレナは彼の歌声に恋をした。(ように私には見えた)その後、エレナはボチェッリが売れない時代に妻として、彼を献身的に支える。
4.アモスにピアノ調律士の青年は語り掛ける。”君の歌声、2年前に聴いたよ。素晴らしかった。良かったら、僕がピアノを調律している有名なオペラ歌手指導者を紹介しようか?”
ー マエストロ(アントニオ・バンデラス)のボチェッリへの指導は生活スタイルの矯正から始まる・・。”夜は10時に寝て、起床は7時””酒は慎め””沈黙を守れ、余計に喋るな”・・。懸命についていくボチェッリ。 -
パバロッティの代役として、有名なイタリアのシンガーソングライター”ズッケロ”とのツアーの話浮上し、喜ぶボチェッリと家族達。が、その話が延び延びになり、苛立ちを隠せないボチェッリ。
そこに一本の電話が掛かってくる・・・。
彼に何故、これほどまで温かき手が差し伸べられてきたのか?
<その理由は彼の幼いころからの類稀なる”歌声”の魅力だったのだろうと推察し、劇中に流れるボチェッリの歌声を聴いて、徐々に納得していった作品。>
懐かしく思える
素直、謙虚、そして、ちょい悪おじさん
トスカーナ地方の裕福な家庭の大らかさの中で育ったことも関係あると思いますが、基本的にとても素直な人です。
この物語の主人公は、視力の障害についてもそれほど自暴自棄にならずに受け止め(母親の取り乱した様子を冷静に観察したりしてました)、その上で肩肘はらず、比較的淡々と前を向いて、今できること(学生時代は勉強、卒業してからはバーの仕事)を真面目にこなしていきます。
だから、おじさんの励ましの行動(例えば、コンクールに連れ出す)やピアノ調律師の紹介にも、素直に従います。よくありがちな「余計なことはしないでくれ」とか「もう俺のことは放っておいてくれ」というひねくれた態度は取りません。
アントニオ師匠の教え(それこそが原題の作品タイトルに繋がるのです)にも素直です。タバコについては最初嘘ついてましたけど、ちゃんと禁煙したのだと思います。
素直な人に対しては、周囲の人たちも「何か彼の力になれないか」と割りと自然体で考えるようになり、気がつけば色々な物事が好回転していく。
自分の世界に存在する周りの人たちの好意は、たぶん始めからそこにあるものではなく、本人の素直さが引き寄せているのだということがよく分かります。
偶然のようでいて偶然ではない出会いやチャンス。
素直であることや他人の好意を感謝で受け止める(好意を受けたその時には気付けなくても後で分かれば十分)ことのできる謙虚さが暖かな気持ちで満たされた人間関係や空間を作る。そのことが良く伝わってきました。
現実では、この映画ほど出来過ぎなことはなかなか起きないかもしれませんが、比較的居心地の良い空間には、素直さや謙虚さを備えた人たちがいることは間違いありません。
【一家にひとり、寅さんが欲しい!】
いろんなところに書いてますが、少年の健全な成長のために、父親や母親の正攻法の立場とは違った、つまり、場合によっては強引なやり方や世間的には正しくはないかもしれない視点で、迷える少年を導くことのできるちょっと不良なおじさんがいるといいですね。
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