A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーのレビュー・感想・評価
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無念の昇華
Cはなぜ死後あの世へは行かずこの地にとどまったのだろう。彼の無念とは…。
それは独りになったMの身を案じてのこともあるでしょうが、彼女への単純な未練ではないのです。その理由は、実は最後まで観ないと分からないのだと気付きました。
小さい頃から引越しに慣れ、その度に小さなメモを家に隠すことで、戻って来た時のためにと自分の痕跡を残してきたM。そして今はCと暮らす家から引っ越したい様子。しかしCは乗り気でない。
M “What is it you like about this house so much?”
.....
C “Honey, we've got history.”
M “Not as much as you think.”
終盤、あの家に留まりたい理由を「2人の歴史が [この家に] あるから」と述べるCに対し、Mはそれほどの歴史なんてないと冷たく返します。その返事にCは少なからず傷ついたと思います(というか自分なら傷つく…)。彼の作詞作曲した歌からは、いずれ彼女が自分の元を去るのではないかと恐れる寂しさが含まれているようでした。
Cの死後、Mが悲しみに向き合う時間は長く割かれており、特に泣きながらパイをむさぼり食うシーンは延々と…延々と…続きます(これが結構長い(^_^;))。
しかし彼女が日に日に喪失感から立ち直り、ついには新しい人生を求めて引っ越しをする以降は急にテンポが速まります。
Mが悲嘆に暮れる時間の流れは、Cも同じであり、「生命体と同じ」時間感覚で尺を取ったのだろうと思いました。その後はCにとって部外者の生活を眺めているようなものなので、切り替わりが速くなるのかも知れません。
嫉妬し苛立つとポルターガイスト化するC。
彼にとってあの家は、Mと幸せな時間を過ごしたかけがえのない「宝物」なのです。それなのにMは予定通り引っ越して戻らない。Mにとって自分と過ごした時間は取るに足らないものだったのだろうか…。
あの家でCとMが仲良く暮らしたことや、CがMを愛したことを、まして記念碑がある訳でもなく、全く誰も覚えていない。
そしてCはパーティーでの悲観主義的うんちく野郎 (一応預言者らしい…) の話に聴き入るのです。
多くの人は、せめて子供ぐらいと、自分の生きた証を残したいと考えるでしょう。しかしたとえ子供を持っても、自分のDNAが未来永劫確実に受け継がれていく保証はない。大勢の名もなき人々は、結局この世に何も残すことなく旅立っていく。歴史に名を残す偉人ですらその「真意」がどれだけ正確に後世に伝わるか分かりません。曲解されることなどしばしばです。いずれ滅びるこの世界で、自分が生きた証を残す努力は全て無意味なのだろうか…。
預言者の話辺りから、Cは自分の拘りに疑問を持ち始め、Mのメモを取り出す前に「宝物」であった家は取り壊されてしまう…。Cは絶望して未来都市であのような行為に至るのではないでしょうか。
タイムスリップ?した先は19世紀(とのことです)。移住してきた家族は、家を建てる前に原住民に殺害されてしまい、女の子の遺体も朽ち果て地に帰ります。
そして一周して現代へ。
実はわずかにすれ違いのあるCとM。
Mの強い要望を受け入れる形でCが引越しを承諾した瞬間に、ピアノのポルターガイスト音。幽霊Cは何にショックを受けたのでしょうか?
もしこの時、自分が引越しに承諾してさえいなければ、Mは自分の死後もずっとこの家に居てくれたかも知れない、自分との思い出に浸ってくれたかも知れないのに、と後悔したのです。
突然の事故死によりMに感謝もお別れも言えなかった。引っ越ししたがっていたけれど、この家での自分との暮らしを彼女は正直どう思っていたのだろう?聞けずじまいになってしまった…。
せめてMが隠したメモを読みたい…。ようやく柱から取り出すと、読む瞬間に消え去るC。
文面は出て来ませんが、そこにはMの本心が書かれていたのだと思います。Mは勿論、Cを忘れるために/忘れたくてこの家を出て行ったのではない。MもCと一緒に過ごした時間を愛し、思い出の詰まったこの家に愛着があった…。自分への疑いようのない愛情が「あの頃間違いなく実在したこと」を確認し、無事無念が晴れてCは悔いなくこの世を去ったのです。もしMがメモを残していなかったら、隣人幽霊のように、何を探していたのかも忘れ現世で漂い続けることになってしまったかも知れません。
私の想像する文面はこんな感じ。
“C and M had a loving history here.”
もしくは歌詞に含まれる疑問に対する答えかも。
地縛霊となってまで(^_^;)愛着がある土地に残っても時代は移り変わり、自分が生きた痕跡など残らない。確かに預言者の言うように、結果が残せないなら人間の人生全ては無意味とも取れます。しかし、19世紀の女の子が口ずさむ歌は、Cの歌のような…。つまり、19世紀のメロディが、巡り巡って無意識下でCの制作過程に影響を与えている可能性を匂わせることにより、たとえ目に見えなくとも、人は何かしらこの世にかすかな波紋を残していくことを示唆しているのではないでしょうか。この辺は“Cloud Atlas”を思い出させました。
CとMには子供がいないけれど、Mの心にはCとの愛が間違いなく刻まれている。
ついでに言えば、無形のラブストーリーはこの2人に限ったことではないから、””A” Ghost Story”。
夫婦の愛も、家族で囲んだ食卓も、ささやかに祝ったクリスマスも、踊りまくったパーティも、歴史に残るようなことじゃない。でもそんな繰り返しがこの世界を今日まで作ってきた。別に偉業を成し遂げなくても、未来で誰も自分を覚えていなくても、気に病むことはない、とりあえず行ける所まで地球と一緒に回ってみないか…。
(住民が移り変わり、いずれ壊される家=地球)
よく言えば芸術的な詩のようで、悪く言えば退屈で意味不明です(^_^;)が、いろいろな解釈ができる作品です。特にCとMに関する重要な情報(会話)が、観客がまだ映画にのめり込めていない冒頭と、理解に苦しみながら迎える最後に持って来ているので、不親切というか余計難解にしている気がします。個人的にはVilhelm Hammershoiの絵のようで、きれいな映画だったなと思いました。
白い布一枚で表現される幽霊に低予算感が漂いますが、よーく観ていると、目の開き方が違っていたり、シワや汚れを付けることで、悲しんだり年老いてくたびれたりと、表情豊かになっていました。
男の子が幽霊におもちゃの銃を向けて立ち向かう姿が可愛らしかったです。
Ke$haが出ていましたね。
窮屈だけど幸せなラブストーリー
映画を観たときは、仮装のような主人公の姿になんだこれと素直に思ったけど、何の説明もなく夫を亡くしたヒロインの打ちひしがれる姿に現実を突きつけられる感じ。ああ、自分が死んでもし幽霊になってこの世にあらわれたらこんな感じなのかな…。とふと過る。
時代が移り変わり様々なシーンが登場するけど、いつの時代も終わりが切なく、ぼーっと画面を眺めてるだけの窮屈な作品だったけど、なんだかとても悲しくなってくる。転生輪廻というものが存在するのかわからないけど、存在も思い出も消えてなくなってもまたどこかで会えたらいいなぁとただ思い、そんな思いに幸せを感じた。
あなたは考える
死ぬって何?
時間って何??
生きているって何???
進化って何?
台詞や感情が少ない分、台詞には集中してしまう。
そして、長すぎると思える間が、実は生きている時間からしては短い
でも、本当に長いであろう時間は短く描かれる
人にすすめるには、どうしたらいいだろう
時間差両思い?
前半と後半でだいぶテイストが変わって混乱したけど、二人の男女のお話しなんだなと。
前半は彼女のパートで、間違いなく神。
無言でパイを食べるシーンがくそ長いんだけど、見ていて涙と鼻水が止まらなかった。
二人の愛を感じられるシーンが先にあっただけに、ひとりみになった彼女にあの大きさのパイを持ってくる不動産屋に怒りを覚えるし、悲しみに浸りたくても現実は進んでいく。(見積りが何だって!??)
あのパイ絶対味がしないんだろうな~と思ったら吐いてしまうし…。
夜ひとりで寝るシーンも切ない。
彼女は本当に彼を愛していたんだなと、観客の私は痛感したし、もしかしたら 彼 も幽霊になってあの場にいたことで初めて彼女の愛を本当に理解したのかもしれない。もう死んじゃってるけど。
でも彼女は時間をかけて立ち直っていくし、彼女の強さが美しいなと思った。
完
かと思ったら後半の彼パートが始まった!笑
色々考えて、たぶんこの彼は彼女に比べるとちょっと優柔不断で、付き合うふたりにありがちなちょっとした不満もあったのかなと思います。
ただ、自分が死んだことを嘆き悲しむ彼女を見て、彼女に対する愛しさが更に募ったとは思う。
でももう彼には何も伝える術はないし、
彼女は生きていて、彼の死を乗り越えていく。
だから彼は後悔?して、彼女がメモを残したときの気持ち(言葉)を手に入れたかったのかなーと。
その言葉が、彼にとっての永遠で真実になれば良いなと思います。
気持ちを伝えるって難しいね。
でも伝えたい相手がいるのは素晴らしいと思うよ。
ラブストーリー?
なんなんだこれは!?
個人的には面白いけど、人に勧めるかというと、どうかな。瞑想とかスピリチュアルなものに興味ある人には、良いのかも。静かで動きのない長いカットが多いので眠くはなるけど、興味深い。「2001年宇宙の旅」の終盤、ボウマン船長の年老いた自分との邂逅シーンのような眺めが、全編に渡って続く。
何故か角が丸く切れた 4:3くらいの箱から撮った画。ブラウン管テレビのイメージなのかな?
全編とても静かで、環境音や風の音、雨の音、家鳴りなどをBGMに、昔懐かしいシーツに目の位置に穴が空いた幽霊が、だまって元いた家をさまよい歩きます。
最初は最愛の妻を見つめるだけでしたが…。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」以来のケイシー・アフレックが良かった。印象そのままで、素朴な感じが良いですね。ま、ほとんどシーツ被ってましたが。ルーニーマーラは、「LION」以来。夫を弔った日に、知り合いが置いて行ったパイを、5分くらいひたすら食べ続けるシーンがあるのですが、悲しすぎて食べるしかない必死な感じが、素晴らしい演技でした。
でも、最後にあの紙何が書いてあるのか気になって気になって、仕方ない! 究極のラブストーリーだと思いたいけど、おーい、どうなんだー!?
愛と執着と幽霊と人間
米国テキサス州の片田舎。
郊外の小さな一軒家に住む若い夫(ケイシー・アフレック)と妻(ルーニー・マーラ)。
夫は、まだ芽が出ていない音楽家。
ふたりが暮らす家では、突然大きな音がするなどの不可思議な現象が起きていたが、幸せな日々を送っていた。
そんなある日、夫が自宅前で自動車事故に遭い、他界してしまう・・・
といったところからはじまる物語。
その後、他界した夫が霊安所の冷たい寝台から白いシーツもろともムックと起き上がり、自宅へ戻ってくる。
彼自身、死んだことがわかっているのかいないか、それはわからないが、ただもう一度、愛しいひとと一緒にいたい、妻と心を肌を交わしたいと願っているが、それは妻に届かない・・・と展開していきます。
で、こういう展開だと、ははぁん、どこかで妻が気づいて、再び愛おしかった日々の記憶が蘇り・・・というようになるだろうなぁ、なんておもっていたけれど、そんなことにはならない。
もう、ほんとにそんな安易な展開にはならない。
なので、ストーリー的には、ここいらあたりでギブアップするひとも出るだろうし、それ以前に、ワンシーンワンシーンが長い(ひとによっては、なんと無駄な描写かと思うほど長い)ので、開始早々、5分くらいでギブアップするひとも多いことと思います。
けれども、そんな長い長いカットは、生きていることの証のようなカットで、普段、わたしたちがおこなっていることに他ならず、この長い長いカットがないと後半の演出が活きてこないのです。
映画はその後、妻はゴーストとなった夫に気づくこともなく、家を出ていきます。
夫は家から出ていけない。
日本的な幽霊だと、宙を飛んでいけばいいんじゃない、とも思うが、なにしろ霊安所から「歩いて」戻ったのだから、自動車に乗った妻についても行けないし、妻がどこへ行ったなどは見当もつかない。
そういうわけで、夫は家にいるしかなくなってしまい、愛する人が戻ってくるのをひたすら、ただひたすら待つだけになる・・・
と、まぁ、なんともはや、切ない物語。
けれど、時は、時間は、ゴーストの夫を取り残したままま過ぎ去っていく・・・
住む人は変わり、家自体も変わってしまう。
しかし、途中、夫のゴーストは別のゴーストの姿を家の中でみてしまう。
そのゴーストが言うには、「誰かを待っている。でも、それが誰かも忘れた」と。
その別のゴーストは、家が解体されるときに、一緒に消えてしまう・・・
このシーン、結構、驚きました。
けれど、考えるに、それは、「執着」が何かによって消し去られてしまったから。
ここに至って、この映画の主題が出てきます。
さて、その後・・・
ここからはストーリーは書きません。
ビックリするような展開です。
時間は、さらにさらに早く流れていきます。
前半の長い長いカットが活かされます。
長い長い時間の旅、長い長い自分の思いだけを閉じ込めた旅の終わりにゴーストが見つけるもの。
それは画面には明らかに示されませんが、それは妻からの愛と感謝と別れの言葉だったのでしょう。
その言葉は、観るひとが「感じて」くれればよいのだと、監督のデヴィッド・ロウリーは言っているのだ思いました。
監督と主演ふたりは『セインツ 約束の果て』でも組んでいますが、今回も滋味深い味を出しています。
とても好みの映画でした。
ただし、終盤、この映画の枠組みの(ような)観念について話すシーンがあるのですが、ちょっと、説明しすぎな感があったことを付け加えておきます。
色んな、誰かのゴーストストーリー
若い夫婦に訪れた悲劇。
不慮の事故により、夫を亡くした妻と
愛する妻を残して、この世を去った夫
妻を演じる ルーニー・マーラの食事をする
シーンがとても素晴らしかった。
本編94分と短いながらも、時間の描き方や
妻を想う夫の気持ちの移り変わりが
素敵な作品でした。
ところどころ、少し長く感じてしまう
シーンもあったので、好き嫌いが
別れる作品かと思います。
無題
BGMが無い、セリフ少なめ、淡々と話が進む。
こういう状態で寝ないように頑張ってもきついわけで。
見る前にブラックのコーヒーやらエスタロンモカやら、待ち時間の間に目を休めておくとか、準備をしておかないと寝てしまうので注意。
オバケのQ太郎はこうして生まれた
不慮の事故で死んだ旦那がオバケのQ太郎となり、地縛霊化する物語でした。
向かいの家にもオバケのQ太郎が居たのは笑った。しかも、離れてるのに話せてるし。
エンディングで妻が柱の傷穴に差し込んだメモを読んで成仏したみたいだったが、何が書かれていたのか気になりました。
きっと、『I love you forever』だったんだろう。
不思議な後味の美しく切ない物語
一年くらい前出張の際時間があり、たまたま行ったAustin Film Societyという米オースチンのアートシアター的なところでたまたま見ました(壁一面昔のヨーロッパ映画のポスター貼ってあった)
小さな家を買って幸せに暮らしていた夫婦の夫が不慮の事故で亡くなってしまい、そのあと妻がその家を出た後も、その家に住むいろんな人たちを何代にもわたりずっと見守っているというような話だったと思います。静かで説明の少ないセリフも少ない色調の淡い映像の美しい映画でした
以下ネタバレあります———-
夫に先立たれて一人になってしまった妻が、かつて二人で選んで幸せに暮らしていた家を出て行く決断をするところはとても悲しい。といってそれは妻としてもどうすることができる訳でもない。何代かあとだか学生らし連中がパーティーで酔っ払って分かったようなニヒリズムを展開してるのは、その無くなった夫の情念を思うと白々しく感じます。映画の最後の方には急に開拓時代と思しき場面や、あるいは未来の開発のような場面もあり、話の視点をどのように理解すればいいのか混乱しました(見終わってから話す人もいなかったのでシアターの人にこれは最後はこうなったのか? って聞いたら、さあどうなんだろうって言ってた、そりゃ解釈聞く自分が悪かったですw)
不思議な話で、釈然としない面もあるので間違いなく万人受けはしませんが、自分には人の情念の切なさのようなものがとても強く印象に残りました
向かない人にはまったく向かないと思います
というか大多数には向かない
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