A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーのレビュー・感想・評価
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意味がわからなかった。退屈すぎました。
ケイシー・アフレックはいつも暗い役ですね。
展開がなくとにかく退屈で…
正直、どこがいいのかわからない映画。
ちなみに私は霊の存在は信じる人間です。
「わかりそうでわからない」感がいいかも
これは・・・
「地縛霊となった男が成仏する話」
・・・に見えますが、いろいろな場面やセリフに含みを持たせていて
観る人によって受け取り方や感じ方が異なるので
どのようにでも解釈できる話だと思います
幽霊となった男の妻は、家からいなくなって死んでしまうので、
解説の「幽霊が妻を見守る」部分は映画全体の一部です
これはこういう話、と断ずることが出来ないし
感想も書き辛い
長回しのカメラと必要最小限の会話(一部除く
じっと映像観ているうちに、いろいろな思いが頭をよぎって
観る人それぞれが、自分補正をかけて話に膨らみを持たせていって
しまう・・・
ひとりよがりになりそうでギリギリ踏みとどまっている
不思議な作品
(古典的な「シーツを被ったオバケ」のビジュアルは最初、
なんて安っぽいんだろうと思いましたが、表情が見えず
微妙な仕草がわかり辛いので、映画そのものと同じく
観た人がそれぞれ思いを上乗せできるし、ラストにも
繋がっていくいい設定かと)
自分補正をかけると・・・
夫が死んだ後の、妻の様子を見ていて
「なんて自分は可哀想なんだろう」と全力で表現「しない」
抑えた演技の中から、しみじみ悲しさが伝わってきて
ぽろぽろ涙がこぼれてきました・・・
妻は引っ越してしまい、その後死んだとわかるのですが
地縛霊となった男は、妻の最期を看取る事もできず
他の家族が住むようになったり、家が壊されたり
その後高層ビルが建つと、身投げして時を遡り
また時間軸が変わって
最初の場面に戻るのですが
ラストについて、成仏したのかエンドレスか
一緒に観ていた夫と小一時間ほど話したのですけど結論は出ず
そういう話(どのようにでも解釈できる話)なんだなぁきっと
・・・なら私は、エンドレスが好みかな
それはそれで悲しいかもしれないけれど
成仏したと考える方が、オチがついてすっきりした気分になれるし
話として、まとまっているように感じられると思うので
監督があちこちに引いた伏線の意味を考えなければ
そう結論づけた方が鑑賞後の気分はいいかもしれない
けれど何かこの「わかりそうでわからない」感が
もやもやと残る・・・この感じも悪くないなぁ、と
思った映画でした
シーツを被った霊の彷徨
WOWOWシネマ「W座からの招待状」で鑑賞。
かなり退屈な映画やなぁ、と…。セリフも殆ど無し。ルーニー・マーラは半分経過したくらいに姿を消してしまった…。あとはシーツを被って、目のところだけくりぬいた夫の幽霊が、地縛霊のように妻が去った家に留まり、辛い悲しみに打ちひしがれながら、その場所の変遷を見つめていく…。
欠伸を噛み殺しながら観ていると、ビルから飛び降りて(幽霊の自殺とはこれまた斬新だなぁ、と思いました)その場所の歴史を俯瞰し始めたところから、一気に目が覚めて、画面に引き付けられました。面白い試みと視点だなと思いました。時間も空間も超越して、人間の生活に土地を絡めながら、人生の意味と自分が生きた痕跡についての考察を深めていく―。
あのメモには何が書いてあったのか?
夫の問いに対する妻の回答だろうか?
はたまた、愛の言葉だろうか?
しかし、それは些末なことなのかも…。
内容云々より、成仏したということが、重要なのかも?
未練が浄化され、己を昇華させた…。
自分がいなくなっても、世界は回る―。
切ないけれど、きっと自分が生きていた証はどこかにある。
それが例え、かなりミクロなものであっても…。
それが例え、大事なもので無くても…。
そう信じたいなと思いました。
アメリカ版成仏出来ない地縛霊
子供の学芸会に出てくるオバケ👻の様で、なんか変!て思った。ぜんぜん怖く無いしすっごくアナログだし。でもだんだんとあの姿が逆に切なく感じる。
言葉も少なく、感情表現も少なく、名前すらわからない。パイをひたすら食べるだけのシーンが5分程あった。座り込んで黙々と食べ続ける(おそらく泣いている)妻と立ち尽くすゴースト、淡々と長いシーンだけど、凄くリアルで悲しみが伝わってくる。
妻が引っ越してもあの場に居続け、解体されても居続ける。何年も居続け、タイムスリップして過去に戻って、また自分たちの生活の場に、、、。妻の隠したメモを読んでやっと成仏出来た。(成仏の仕方はあまりにも潔い!)あのメモにはなんで書いてあったんだろう💦気になって私は成仏出来ないなあ😥
ゴースト、あの姿で正解です。発想がすごいです。この映画は良いと思うかつまらないと思うか別れるだろうけど、私には想像以上の映画でした。
【”魂魄は時空を超えて、愛した人、一緒に過ごした場所を見守り続ける”】
ー”アンビエント・ホラー” 静謐な雰囲気が印象的な作品。-
美しい妻(ルーニー・マーラ)と男(ケイシー・アフレック)は仲良さそうに、一つのベッドに横たわって、会話をしている。突然起こる”異音”に驚く妻の心臓の鼓動が劇中静かに流れる。
ー”魂魄”は強い想いがある場所に、”時空を超えて留まる”と巷間では屡々囁かれる。-
ある日、男は自宅の前で交通事故で命を失う。男の”魂魄”は病院を抜け出し、家に戻る・・。
妻は、”家の柱にメモを挟み込み”家を出る・・。
男がいた家には、新しい家族が入居するが、男の”魂魄”はポルターガイスト現象を起こし、ミルクを零したり、皿を割ったりする・・。
ー隣家の”魂魄”との会話シーンも印象的である。”何でここにいるのか、もう分からない・・”-
時代は、アメリカ開拓時代に遡ったり、(で、そこの家族に起こった悲劇を見つめる男の”魂魄”)現代に戻り、男が生きていた時代も映し出す・・。あの”異音”の意味が分かる・・。
男の家は隣家と共に、ブルドーザーで壊され、隣家の”魂魄”は消滅する。
ー最早、執着するモノが分からなくなっていたから・・-
そして、男の”魂魄”は柱に挟まれた妻のメモを見つけ、開き、読み、”消滅”する・・。
<「A24」の製作するホラー作品の幅と奥深さに驚くとともに、今作が醸し出す不思議な余韻に浸れる作品。
アーティスティックな作品なので、(「A24」制作ですから・・)ストーリー性を求める方は事前チェックをした方が良いかと思います。
私は、今作の静謐な雰囲気が、ルーニー・マーラとケイシー・アフレックが身に纏う雰囲気とマッチングしていて、面白く観れました。>
ゴーストの形の発想が秀逸
目に見えない、ハッキリとした感情もない魂だけの存在としてのゴーストを、シーツを被ったハロウィンの扮装みたいな形にしたアイデアが素晴らしい。この発想がこの作品をファンタジックに切なくしている。セリフもなくただ行き過ぎる時間の中でエモーションを感じる表現方法で、魂のあり方というテーマを素晴らしく体現できてる。8?16?mmのフレーミングも面白いと思った。
シュール
久しぶりにシュールなお化けを見た👻
ルーニーマーラがくっそ可愛い❤️
ルーニーマーラ観たさに観たが眠気が眠気が...
これを面白いといった人が信の映画好きでしょうか
回想シーンの時系列がよく分からなかった
大昔からビル建設の時代まで?
地縛霊
あのメモ📝はなんだろう
わたしには理解できなかった笑笑
まだまだ私が「映画好き」と言える日はほど遠いな
おばけ時間の追体験
静かな映画という印象、生活音や会話などもどこか遠くからぼんやりと聞こえてくる、正にシーツ一枚隔てた幽霊の見ている世界を追体験しているようだ
自分が認識されないぼんやりとした世界で時は瞬く間に過ぎてゆく、
それでいて技法的には長回しを多様して長時間の集中を強いるかなり疲れる仕様
このおかげで幽霊たちが感じている目的も半ば忘れ、しかし未練も捨て去れずに苦痛に満ちた膨大な時間を共有するとこになる
長い時間を経て、未練を残した土地の記憶と自我が溶け合いその土地の始まりの記憶からやり直す、自分が納得できる、探し物が見つかるその一点まで
だからラストでメモを開いた瞬間にシーツの中身が霧散するシーンは美しく開放的だ
作中での会話に宇宙の熱的死の話が出てくる、宇宙は膨張し続け、エントロピーは際限なく増加し、最後にはもう星は産まれない、いかなるエネルギーも取り出し得ない時間的死が待っている
その絶対的な全ての終わりの前では歴史に残る名曲や、人間の存在したことすら無意味だと語られる
個人の思い出や出来事などもっと些末なことだろう、1回目は家の解体で間に合わなかった、だからこそその瞬間は絶望ではなく奇跡だ
大したことは起こらない話のようでいて、けっこう教訓的な生活の糧になる作品だった
50点
映像、撮り方、音楽の
雰囲気はよかったが
インターステラーの様な伏線
ゴーストの様な切なさ
時空越えて学ぶ
最後メモ見て成仏はよめてしまった。
定点の異常な長さ
長いのは流れを伝えたいやろな
とは思うが、イライラする長さ
眠たくもなった
ショートムービーならより○
傑作
この作品は、耳を澄まして聞こえてくる目覚めの「音」から始まる。目には見えないけれど、耳を澄ました向こうから聞こえてくる者たちの物語。
死者となった彼は、肉体の代わりにシーツで魂を包んで戻ってきた。シーツに空いた二つの穴から辿る視線のせつなさに、私は胸を掻きむしられた。
曖昧だけどどうしようもなく離れたくない場所を「原郷」と呼ぶ。愛する人が去って行っても、家が壊されても、決して離れられない。作品の舞台が具体的にどこかは私にはわからないが、「ああ、ここは彼の原郷かもしれない」と思えるところを監督は映像で綴った。
始めのうちは、過ぎ去ったものへの追憶が色濃く残っているが、徐々に追憶することすら失われていくようだ。
過去と未来の時空との対話において、離れたくない原郷が失われていくことをめぐる感情が丁寧に描かれている。
「原郷」に縛られた魂がそこから離れるには「何か」が必要なのだ。
生者でも死者でもなくなった魂が、シーツを脱ぎ捨て高次元の世界へ向かえる根拠とは。
メモを手にしたことで、彼女と同じ夢想で結ばれた彼の魂は旅立った。
ミニマムな物語だが「火の鳥」にも通じる壮大なテーマ
地縛霊になった主人公の視点で描かれる物語。
物語自体はとてもミニマムだけど、手塚治虫の「火の鳥」にも通じる壮大なテーマが描かれている。
物語を進めるセリフは一つもなく、まるで無声映画のように映像でストーリーが紡がれていく。
一つのシーンをじっくり長回しで観せたあと、いきなりジャンプカットで大胆に時間を省略したり、お化けになった主人公が未来から過去へ戻ったりするので混乱するかもだけど、ラストシーンで「あぁ、そういう物語だったのか」と納得すると思う。
西洋だけど日本的?
2019-017@アップリンク吉祥寺パルコ
言ってみれば地縛霊の話。
見た感じもシーツをかぶって目の位置に2つ丸い穴が空いているだけだったり(日本以外にもそんなお化けの表現あるんだなぁ)、お隣さんのゴーストもいたりしてものすごくシュールなのだが、話が進むとスケールがどんどん大きくなっていってやがては輪廻転生とかそういった類の話にもなっていく。
ただ、輪廻転生はキリスト教には無いらしく、自分も全く詳しくは無いので間違ってたら申し訳ないのだけど仏教寄りなノリに感じられて、明らかに西洋人が作ってるのになんか面白いなぁと感じた。
ラストに関しては、あぁー、良かったねと言ったところ。
文字通り多くを語らない
所謂見えないからこそ切ないオバケモノ。
静かに進む幾つかの時代に全てではないですが、オバケ側に感情移入してぎゃーっと苦しくなる瞬間が多々あります。
自分が死んだあとのことを考えがら、ゆっくり観れる映画でした。
時折思い出して、あの雰囲気に浸りたくなり不定期で観ています。
外国の幽霊は何故シーツをかぶるのか?
幽霊になるシーンで、なるほど納得でした。
お隣さんの幽霊は花柄だったけど、あれは自宅の寝具だっあたのかしら?
ともあれ、ストーリーは多分2行もあればすんでしまう内容かもしれないけれど、それを語るための行間な映画なわけで。
私は死んだらその瞬間、神さまの一部になるので、どこへでもいけるし、過去も未来ま全てをみとおせる存在になれる気でいます。だから楽しみにしてるのですがね。
長回しは幽霊のテンポ
幽霊視点で描かれる〜な前評判から気になり、
観に行ってきました。
主役の男性が事故で命を落としてしまうまで、
これは冒頭ですが、すでにその段階で長回しのシーンが多く、
当然ワザとだよなあ〜監督がこういう撮り方が好きってだけじゃないよなあ〜、、
とヤキモキするところではありましたが、
男性がそういうペースな性格でありそうな、
そして幽霊に時間の流れというものがあるのならば、
長くカメラを回して撮るのもわかる演出でした。
セリフがホントに少なく、このまま最小限のセリフで終わればそれはそれで新鮮に感じたところではありますが、、、
途中、舞台であるところの「家」のある時代において、
生命論〜宇宙論をまくし立てるハゲ頭のオッサンが登場し、
ちょいシラけちゃいました。
アレ、語らせたかったのか語りたかったのか、
「家」が立つ前〜「家」が壊され開発が進みビルが立ち〜
の描写を当てはめるための理屈をブチたかったんでしょうが、
オッサン1人に論じさせなくても別の演出があった気が。
残された妻が「家」を出る前に柱に挟んでいったメモ、
何が書いてあったかぐらい明かしてくれてもよさそうなもんだけど、、、
終始落ち着いた映像はとても好きでした。
向かいの「家」にいた花柄シーツの幽霊もツボでした。
その部分込みでのポイントです(ΦωΦ)/
オカルトチックな映画だが…
ちょっと前から気になっていた作品だったので鑑賞。今まで見たことないような映画でかなり驚いた。
事故で死亡した男が幽霊となって自分の妻を見守るというシンプルなストーリー。
演出も抑制が効いており、長尺のカットに音楽もほとんど使わず、セリフも少ない。キャラクターの動作から読み取る部分が多い。それらが成り立っていたのは緻密な脚本があったからであろう。少ないセリフから感じられる人間や幽霊の存在する意味、それは決してオカルトチックではなく普遍的なものである。
鑑賞後にジワジワと押し寄せてくるこの静かな感動は今まで映画から味わったことはなかったかもしれない。どこか文学的な気もする。ユーモアに溢れ不思議な映画ではあるが、その細やかな機微に心打たれる。
すべては消えてゆく…それでも…
余白の多い映画だ。論理的解答を用意していないが故の豊かさがある。存在論、認識論、時間論として見てもいい。時間の持続、圧縮、飛躍、反復がある。最後に重層的で厚みのある時間・空間に到達したとき少し泣いてしまった。エクリチュールの痕跡、消滅、見事な幕切れ。
時間芸術という小説の側面をうまく活用したトーマス・マン『魔の山』を思い出してもいい。序文にこれは時間論だと書いてあるしな。主人公がサナトリウムに行く1日目は精密な描写で非常に長い。それが2日目からはだんだん短くなり、1週間続くとその後2年間くらいがあっという間に過ぎ去ってしまう。
この作品でも、アフレック(ゴースト)とマーラの家での時間が最も長く、ゆっくりとした感覚で描かれている。その後は少しずつ短くなり、あっという間に時間が飛ぶ。冒頭と劇中に引用されるヴァージニア・ウルフ小説の如き"意識の流れ"にも通ずる時間感覚と言ってもいい。
(余談だが、この映画で引用されてるヴァージニア・ウルフの「幽霊屋敷」は4〜5ページくらいしかない短編で不思議な後味を残す。ぜひ読んでもらいたい。)
(更に余談だが、『魔の山』では舞台のサナトリウムが時代のフィジカルな側面から断絶した場所、時間が静止した場所として描かれていたけど、登場人物がそこから下山し、時間へと回帰するには、病状回復よりむしろ自ら成すべきことへの意志が熟すことが必要条件であるかのように描かれていて風立ちぬ〜)
この作品で最も言及の多いパイを食べ続ける5分弱の固定カメラ長回し。「悲しみが伝わってきた」という肯定的意見、あるいは「退屈で苦痛だった」という否定的意見、どちらにせよ、あの気の遠くなるような時間こそを共有しろよ、立ち会えよ、凝視しろよ、ということだろう。時間的持続の中に我々を静かに巻き込み、彼女を凝視するゴーストとの共犯関係を結ばせる。
最愛の人を亡くすという飲み込むことが不可能な巨大な喪失感。その代替を果たすかのように、手元の小さなパイをひたすら機械的に飲み込むという行為。本来は生命維持に不可欠であり、文化的な楽しみも含んでいる「食べる」という行為を通して、飲み込めない悲痛さを表現したこの場面は素晴らしいものだと私は思う。
この場面の音にも注意を払ってほしい。ルーニー・マーラの鼻をすする音や、フォークと食器のぶつかる音の他に、外から子供の声や車のエンジン音が聴こえてくる。つまり、外の世界は昨日と連続した変わらないものであるのに、夫を失ってしまったこの家・この私は昨日とは決定的に変わってしまった…という対比として立ち現れてくる。
(またまた余談だが、ルーニー・マーラはヴィーガンなので、あのパイはヴィーガン用に味付けされたものらしく、味がめっちゃ不味かったらしい…。泣きながら食べてたのは不味すぎてだったのかもしれない…。)
ルーニー・マーラがパイ食べる前に洗い物したり、ゴミ箱を見て一瞬の間があったり、ベッドシーツ洗濯しようとして泣いちゃったりとか、あれも説明はないけど夫が死んでからシーツ洗ってないしゴミもそのままで何も手がつけられなかったってことだから台詞なくても映像で十二分に語られてる。
この映画のフレームは四隅が丸く切り取られたスタンダード・サイズ。プライベートフィルムを覗き見るような懐かしさと親密さがある。この狭いフレームによって、2人が寄り添って同じ枠に収まる距離の近さを保証するし、逆にゴーストが家・土地から出て行けない閉じた牢獄として象徴的に機能しているように思う。
個人的にはルーニー・マーラの線の細さと、幽霊のシーツのふわっとしたシルエットが同じフレームに同居するルックだけで満足してしまったところはある。
あと、あの時間跳躍で「アメリカの起源にまで遡ってその歴史的記憶(原罪)をも総括するつもりなのか!それはいくらなんでも超大すぎるだろ!」と一瞬びっくりした…。当然そんなことはなく、慎ましくも感動的、あくまでパーソナルなとこに回帰してくれて良かったよね。少しテレンス・マリックっぽさあるけど。
あの時・あの瞬間を理解するためには長大な時間的飛躍、スケールが必要だったっていうのはロジックではなく感覚的にスッと理解できるというか、過去の誤ちをずっと後になって理解できる感覚に近いというかなんていうかね
ラストの反復されるあの場面のゴーストは意味理解の審級が繰り上がった主体としてあるように見える。客観化されたかつての「私」は私そのものではなく、そこから逃れる現在の「私」こそ、自己と世界に意味を与える固有の存在なのだ。なんつって。
メルロ=ポンティおじさんが言う実存の問題とかね。彼の言う実存とは、事実・状況を捉えなおし、そこに意味を生じさせること。換言すれば、超越の運動のことだ。まあここでは言語や制度化の問題について語られているのだけど…
あと、ルーニー・マーラが主題曲になっている『I Get Overwhelmed』を聴く場面もよかった。ヘッドホンで聴く過去と、床に寝転びながらイヤホンで聴く現在のカットバック。音楽は連続していながら現在パートはイヤホンから漏れ聴こえる音響設計。
このときの画面の停滞感と比較して、ひたすら美しい音楽が流れていくってのがいいんだよ。停滞した映像は「瞬間」を、流れる音楽は「時間」を表してるのかな。
ゴーストが消滅する瞬間にシーツがフッと地面に落ちていく様の微かな浮遊感・質量感にハッとするような驚きと快感がある。それこそ、メリエスの時代から連なる見世物としての映画のトリック感というか。スペクター(幽霊)とスペクタクル(見世物)、そしてスペクテイター(観客)の幸福な関係というかね。
書きたいことは山ほどあるが語り尽くせない魅力に溢れた作品であることには違いない。
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