「不世出の歌手の不器用な生き方」ジュディ 虹の彼方に 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
不世出の歌手の不器用な生き方
ラストシーンに息を呑むほどの感動がある。それだけでこの映画を観てよかったと思わせる何かがあった。レニー・ゼルウィガーは天性の歌の巧さに加え、猛特訓のおかげで晩年のジュディー・ガーランドの掠れた声よりも遥かに艶のある歌声を披露していた。
子供の頃から活躍して盛りのうちに夭折した歌姫というと、どうしても美空ひばりを連想してしまう。美空ひばりが生涯を通じて裕福に過ごしたのに比べ、本作品の主人公ジュディ・ガーランドはアメリカのドライで非情なショービジネスの世界で不遇な一生を送った。
ひばりもジュディも最初は大人によってプロデュースされたスターだ。厳しい束縛と強要の生活は精神性を攻撃し、大人になっても決して治癒することのない深い傷を齎したに違いない。
普通の人は泣きながら歌を歌うことは出来ない。しかし鍛えられた歌手は泣きながらでも歌える。美空ひばりが「悲しい酒」を歌うたびに泣いていたのは有名な話である。ジュディ・ガーランドもまた、子供の頃から鍛えられたその喉で、泣いていても酒を飲んでいても、どんな状態でも歌える本物の歌手だ。
自作であれ他人の作詞であれ、言葉である以上、歌はメッセージ性を持っている。メッセージは歌っている本人に最もよく伝わるもので、人それぞれに、歌うとどうしても涙ぐんでしまう歌があるものだ。そしてその歌は元はといえば、ひとりの歌手が世に広めた歌なのだ。
多くの歌手にとって歌は生きる糧であり手段であり、人生そのものである。最初は人からプロデュースされていても、歌い続けていくうちにその歌手なりの歌を探し当てていく。公に歌うことが世の中にどれほどの影響を与えるかを自覚している歌手は幸せだ。歌はその歌手をストイックに、敬虔にしてくれる。
歌に正解はない。自分の歌が正しいのか、世の中に受け入れられるのか、歌手は常に不安に駆られる。ある者は酒に溺れ、ある者はクスリに手を出す。それでも彼らの天性の美声は人を感動させずにいない。
金を取って人前で歌うのは、並大抵の神経ではできないことに違いない。華やかだが不安で不幸な歌手の人生は、人間の欲望と弱さを曝け出すようだ。ジュディー・ガーランドの歌手としての人生をオスカー女優レニー・ゼルウィガーは存分に演じきった。決して幸福とは言えなかったジュディの人生だが、不世出の歌手の不器用な生き方に、そこはかとない感動を覚えた。いい作品だと思う。
ところで中森明菜は元気かな。