メアリーの総てのレビュー・感想・評価
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タイトルなし
19世紀
イギリス人女性作家メアリー・シェリー
16歳で詩人パーシーと出会い
『#フランケンシュタイン 或いは現代のプロメテウス / #Frankenstein: or The Modern Prometheus 』
を書き上げ出版するまでの数年間
初々しさ残るエル・ファニングがメアリーを
演じています
.
フランケンシュタイン
このお話を書いたのが女性だったことを
知りませんでした
女性作家では認められないからと匿名で出版
のち第2版にはメアリーの名を記載
.
.
フランケンシュタインの産みの親
メアリー・シェリーの他に
父 #WillamGodwin
母 #MaryWollstonecraft
詩人パーシー #PercyByssheShelley
詩人バイロン卿 #GeorgeGordonByron
#ディオダディ荘の怪談談義 のシーン
『吸血鬼 / The Vampire 』
医師のジョンポリドリなど
興味深い実在の人々がでてきます
フランケンシュタイン
フランケンシュタインの生みの親であるメアリー・シェリー(エル・ファニング)の青春時代を描き、小説が受け入れられるまでを描く。
父は思想家で小説家、詩人で妻子のあるパーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と恋に落ちる。
電気で死体をよみがえらせる、なんて興行に興味を持ったらしい。
ジョン・ポリドリの悲劇
多分ポリドリの物語もいつかは映画化される予感がする。エンディングにおけるテロップによれば25歳でうつ病となり自殺した医師ポリドリ。バイロン卿による著作とされてしまった「ヴァンパイア」はメアリー・シェリー著による「フランケンシュタイン」と並んでヨーロッパにおけるモンスター小説。二人の才能がバイロン卿の屋敷で開花する奇跡も見逃せない。
メアリーの成功は彼女の人生そのもののように描かれた本作。父と義母が経営する書店の手伝いをサボって実母の墓でひっそりと過ごす孤独な幼少期。やがてスコットランドでバクスター家の世話になるが、そこでは大自然の美しさと詩人パーシー・シェリーとの出会いを経験して、劇場にて電気を与えてカエルが動く見世物に興味を抱く。やがてパーシーが既婚者で子供もいることが判明してショックを受けるが、自由恋愛を吹聴する彼についていく決心を固めるのだった。
フランケンシュタインがどうやって誕生したのか、メアリーの壮絶な半生(とはいっても10代の2年間程度)が孤独と絶望を生み与えた。幼子の死、自由すぎる恋愛観、バイロン卿の悪魔的な性格を経験し、ジュネーブのバイロン邸で出会った医師ポリドリによる科学的知識を加えて彼女の蘇生願望が育まれていった。こうして彼女の半生すべてがフランケン誕生に関わっていて、観客の知的好奇心も満たしてくれるのです。直接的な引き金となったのはポリドリが「退屈しのぎに1人ずつ怪奇談を披露しよう」と提案したことでしたが、メアリーの心の中にあった書きたい欲望はクレアの絶望も伴って開花してゆく・・・
女性の地位が確立していない19世紀の出来事。「読者がいなければ思想はただの言葉だ」なんて台詞もありました。また、メアリーの実母による著作も興味惹かれるのですが、自由主義を標榜する両親のメッセージも感じられる。事実、彼女が書いたフランケンをどこの出版社も取り上げてくれず、唯一出版を取り付けた会社も「匿名であること、パーシー・シェリーの序文」が条件を押し付けてきた。世間はパーシーの著作であると信じたが、それでもメアリーの父は彼女が書いたものだと確信し、出版パーティを開く。この父の存在がなければどうなっていたのか。
女性の地位向上と自由主義。おどろおどろしい作風にはこんな秘話があった!といったテーマにただ感動。孤独と絶望が怪物を産みだしたことは必然であったことに驚愕。スコットランド(ロケはアイルランド)の自然、雷鳴、鬱陶しい雨、そしてエル・ファニングの美しさが物語を盛り上げていました。結局は救われる内容でしたが、一方のジョン・ポリドリ(ベン・ハーディ)は・・・悲運としか言いようがない。
苦しみから傑作は生まれる
フランケンシュタインの作家が女性だったなんて、映画を観るまで知りませんでした。
いやフランケンシュタインの作者のことなんて、考えてもみなかった。
妻子ある男と駆け落ちし、しかしそのため、恋人は親から勘当されお金もなく、借金をしては取り立てから逃げてと、ときめく恋どころではなくなる。
あの頃の時代は今と違い女が自立して生きていくとうのは難しい時代だったと思う。
メアリーにはこれでもか、これでもかと困難がふりかかります。
観ていて何故にこんなに彼女はひどい目に合うのかと苦しくなりました。
しかし彼女はこの苦しみをばねにペンを持ち、紙の上で想像を広げた。
そこが彼女の誰にも邪魔されない唯一自由な場所だったのかもしれない。
私は彼女の作品は読んだことがないが、読んだ人はみな傑作だと評価している。
しかし 悲しみや憎しみなどを多くを経験してからこその作品だと思うと
やりきれない思いである
フランケンシュタインが女性が書いた作品だとは知らなかった。 ので、...
ポリドリ、、
小説「フランケンシュタイン」の生みの親であるメアリー・ゴドウィンが、その執筆に取りかかる前後の話で、パーシーとの出会い、駆け落ち、義妹クレアとの三人暮らし、夜逃げ、娘の死、放蕩な男爵宅への居候など、さまざまな経験が彼女を襲いますが、時間としては、ほんの一、二年というのが、驚きです。
階級制度や性差別の厳しかった時代に、アイデンティティを失わずに生きた女性だからこそ、不朽の名作を生み出せたのだな、と感心しました。エル・ファニングの、可憐な容姿でありながら芯の強さを感じさせる演技も、とても良かったです。
しかし、今作の登場人物で一番、気持ちが惹かれたのは、バイロンの主治医であるポリドリでした。
なんて、救われない男だったのか、、
「フランケンシュタイン」が創出された哀しき背景を見事な装飾で描き出す
甘美なまでの不幸
結局ダメンズ?
エル・ファニング
名前だけは誰もが知っている『フランケンシュタイン』。
だが、その小説について詳しく知っている人は、どれだけいるだろう。
この映画は、小説『フランケンシュタイン』の著者、メアリー・シェリーの、後に夫となる詩人パーシー・シェリーとの出会い(正確にはその少し前)から、度重なる苦難の末作品を書き上げ、出版するまでを描いた実話。
気になってあとで調べてみると、時系列を含め史実とは若干異なるようだ。
ろくでもない男と恋に落ち、駆け落ちまでした16歳のメアリーだが、幸せは長くは続かなかった。
深い悲しみと絶望の中で書き上げた『フランケンシュタイン』を出版社に持ち込むが、そのあまりにも奇抜な内容に、出版社はどこも取り合ってくれない。
そればかりか、18かそこらの小娘に、こんな本が書けるわけがないとばかりに、本人が書いたことさえも信じてもらえない。
そんな中、匿名を条件にようやく出版に漕ぎ着け、後世に名を残す女流作家が誕生した。
ざっとこんなお話。
映像も音楽もとても丁寧で素晴らしいが、なんと言ってもメアリー役のエル・ファニングが最高だ。
撮影時の年齢が、ここで描かれてるメアリーとほぼ同じだとは言え、まだ少女の面影が残る冒頭の場面から、辛さを乗り越え大人の女に変貌していく様がお見事。
彼女無しではこの作品は成り立たなかったと言っても、決して過言ではないだろう。
まだ若いのに、この演技力。
今後が楽しみな女優さんが、また1人増えた。
それにしても、意外なほど上映する劇場が少ないんだが、ちゃんと宣伝したら、観たいと思う人は多いと思うんだけどな。
勿体ないな。
この作品を上映してくれたルミエール秋田に感謝。
哀しくも美しい
主演女優のエル・ファニングに注目!
怪物フランケンシュタインの物語を創作したイギリス女性作家メアリー・シェリーの七転び八起きのような半生を描いた作品。そもそも女性作家による創作とは知らなかったので勉強になりました。男を見る目の無さは玉にキズですが、開明的な亡母の血筋を引いた聡明さと、当時のスター詩人バイロン卿にも物怖じしない彼女の胆力があの名作を生んだのでしょうか。ところで主役メアリー・シェリー役を演じたエル・ファニングは妙な魅力を湛えた女優だと思います。一昨年公開された「パーティで女の子に話しかけるには」は、個人的には苦手な作品だったのですが、その中で宇宙人役を演じた彼女は何か現実から少し遊離したような役どころで興味を惹きました。本作での彼女も、何か夢見る少女のような役柄でしたので、これと少し重なるところがあったように感じました。
良い作品だけどストーリー展開が遅い…❗
『私の選択が私を造った』
フランケンシュタインや吸血鬼、今作には関係無いが狼男等、いわゆる西洋型モンスターが活躍する怪奇譚が産まれる素地と歴史背景、その時生きていた人達の心情等をギュッと濃縮し、整理整頓された作品である。なので、ある程度ご都合主義的展開や、シーンの過剰で都合の良い登場方法等がドラマティックに色をつけているのは今風なのかもしれない。女性が制作の多くに携っているという情報もあるので、そういう意味では同じ同性に親しみやすいシークエンスで構築されているのだろう。その辺りの虚構とリアルのバランスは、なかなか観客の好みに拠る点が大きいので難しい問題だ。
ストーリーそのものは、“物語”を創造する人達の人生を描くという、NHKの朝ドラ的なプロットだと思う。実際、著書“フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス”はEテレの“100分で名著”に題材として放映され、そこで初めて18歳の天才少女が世界中で有名になった稀代の怪獣を創造したことを知ることになった程、キャラクターと制作者の結びつきが希薄であった。
だからこそ、この意外性な事実を改めてドラマとして作り上げたことは当然といえば当然狙うものであり、格好の“ネタ”であろう。
殆どの今の現状の世論の混沌さを落とし込まれている題材を、どう“料理”していくかという中で、今作品は一定の評価を得た内容だと感じる。
とにかく、キャラの濃い登場人物の多さは、もうそれだけで平々凡々と人生をやり過ごす自分達“凡人”とは違う世界観なのだから、これで何も産み出さない方がおかしいと思わせる程の仕組まれた様な人生である。一体どれほどの偶然がまるでダイヤル式金庫の様に上手く合致したらこんな画が描かれるのだろうかと驚愕すら覚える。
そしてこれも又仕組まれた様な“吸血鬼”を描いた作者との親交も又ドラマに拍車を掛ける余りにも出来すぎな設定である。
人生そのものがまるで映画のような題材を、コンパクトに仕上げると今作になる。決してそれは悪くはない。今作も又一つの“正解”なのだから。
フランケンシュタインを改めて読んでみたい。
孤独と絶望が生んだ怪物と闘った少女
監督さん、サウジの女性なんですね。あらゆる点で納得。女性が権利を主張出来ない、生き辛いイスラムの女性の心の叫び、って側面もあったんですね。綺麗で詩的な台詞が良かったのと、救いのあるラストでホッとした。
怪物として生まれる者は居ない。孤独と絶望が怪物を創り出す。メアリーは最後に救われ、作中のフランケンシュタインは絶望のうちに北海に消える。最後のナレーションの意図は、メアリー・シェリーになった彼女の心の中の怪物が消えた事の象徴。深いとは思うが、何を指しての事なのかが、ちょっぴり難解です。
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1/21 追記
ウーマンリブ。今は聞かなくなった言葉ですが映画の主題を考える時、この言葉が一番しっくり来るかなぁ。
バイロン卿は重要な役割を担っていました。メアリーとの別れのやり取りの場面。バイロン卿はメアリーの両目を隠し、自らも目隠し。そして目隠しした手を動かしながら、こういいます。
Always see
字幕は「視野を広く」でしたが、ここはそのまま「常に目を開いて」だと思う。我々は時に盲となる。何かに目隠しをされる。君の目を塞ぐものは何かな? と言う辛辣な指摘であり、それと闘えと言う意味もあったか。
バイロンは酒欲に、メアリーはパーシーへの愛が目隠しに相当しているのだと思う。バイロン卿は女性の能力に疑義を持っています。女は愛憎から逃れられない、と考えていたのでしょう。
メアリーは自らの愛と憎悪が生み出した、孤独と絶望のモンスターを物語にする事で、全てを超越する。いや、現実がどうだったかは知らないが。
バイロン卿の「天井桟敷の吟遊詩人」感が、イカしてた。俺は、あんな人生イヤだし、友達としてもお断りだが、あのいかれ具合は好き。
赤ちゃんと怪物は合わせ鏡
「フランケンシュタインの怪物」を書いたのは僅か18歳の女性だった。
本作は1人の作家、そして作品が生まれるプロセスを丹念に追う。
いわゆる「作家もの」のフォーマットから大きく外れることはない。若き恋と情熱、その後の苦難と不幸。その果てに傑作は描かれた。主人公メアリー・シェリーを演じるのはエル・ファニング。この、作品誕生までの波乱を彼女が演じるのは見応えたっぷり。まさに、いまが旬の女優だろう。
不幸の闇がモンスターを生んだ。しかし、そのモンスターは、実は赤ん坊のまま命を落としたメアリーの子供だ。
早逝したために愛することが出来なかった我が子の代わりに、メアリーは、決して愛されることがないモンスターを生んだのだ。そう、我が子とモンスターは合わせ鏡のように、反転している存在だ。だから我が子は死んで死体となり、モンスターは「死体から生まれた」のだ。
19世紀イギリスの街並み、文豪の館、そして登場人物の服装などは観ていて楽しい。何より、文芸趣味の人にはランプの灯りと羽根ペンがたまらないはずである。
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