「『私の選択が私を造った』」メアリーの総て いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『私の選択が私を造った』
フランケンシュタインや吸血鬼、今作には関係無いが狼男等、いわゆる西洋型モンスターが活躍する怪奇譚が産まれる素地と歴史背景、その時生きていた人達の心情等をギュッと濃縮し、整理整頓された作品である。なので、ある程度ご都合主義的展開や、シーンの過剰で都合の良い登場方法等がドラマティックに色をつけているのは今風なのかもしれない。女性が制作の多くに携っているという情報もあるので、そういう意味では同じ同性に親しみやすいシークエンスで構築されているのだろう。その辺りの虚構とリアルのバランスは、なかなか観客の好みに拠る点が大きいので難しい問題だ。
ストーリーそのものは、“物語”を創造する人達の人生を描くという、NHKの朝ドラ的なプロットだと思う。実際、著書“フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス”はEテレの“100分で名著”に題材として放映され、そこで初めて18歳の天才少女が世界中で有名になった稀代の怪獣を創造したことを知ることになった程、キャラクターと制作者の結びつきが希薄であった。
だからこそ、この意外性な事実を改めてドラマとして作り上げたことは当然といえば当然狙うものであり、格好の“ネタ”であろう。
殆どの今の現状の世論の混沌さを落とし込まれている題材を、どう“料理”していくかという中で、今作品は一定の評価を得た内容だと感じる。
とにかく、キャラの濃い登場人物の多さは、もうそれだけで平々凡々と人生をやり過ごす自分達“凡人”とは違う世界観なのだから、これで何も産み出さない方がおかしいと思わせる程の仕組まれた様な人生である。一体どれほどの偶然がまるでダイヤル式金庫の様に上手く合致したらこんな画が描かれるのだろうかと驚愕すら覚える。
そしてこれも又仕組まれた様な“吸血鬼”を描いた作者との親交も又ドラマに拍車を掛ける余りにも出来すぎな設定である。
人生そのものがまるで映画のような題材を、コンパクトに仕上げると今作になる。決してそれは悪くはない。今作も又一つの“正解”なのだから。