氷上の王、ジョン・カリーのレビュー・感想・評価
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☆☆☆★★★ 先駆者は社会との関わりに翻弄され、苦悩との戦いに陥る...
☆☆☆★★★
先駆者は社会との関わりに翻弄され、苦悩との戦いに陥る。
スケートを芸術に高め、ICE KINGと称された彼の生き様が、貴重な映像と彼自身の手紙から明らかにされる。
現在のスケート界の潮流を作り上げた功績は讃えられて然るべきモノ。その身体の線の美しさは必見。
同時に、当時のムーブメントから。如何に同性愛に対する偏見が強かったのか…も、当時を知らない人でも理解出来る。
2019年6月1日 東劇
⁂ オリンピックに於ける採点の不正等、過去には幾らでも有った時代。
審判団の東西比率等は、今でこそ【無いもの】とはされていても。人間には《好き嫌い》とゆう厄介なモノや、政治力は未だに介入してきますからね〜。
ただ…規定演技で金メダルが決まる時代はもうこりごりだと、殆どの人は思うのではないでしょうか。
天才の苦悩と孤独
ボヘミアン・ラプソディーにも似た、
天才の苦悩と孤独が上手く映し出されています。
そして、ジョン・カリーさんの演技は美しかったです。
生演奏、芸術に拘ったジョン・カリーさんはまさにアーティストです。また観たいです。
ジョンさんおつかれ。
冒頭で、牧神の午後への前奏曲をBGMにして滑っている人、綺麗な映像やけど誰?とおもっていたら、ジョニーウィアーでした。どうりできれいな映像。
今やフィギュアスケート・男子シングルはクワドラプルがデフォルトだし、アクセルを含めたトリプルを全て飛べない男子は、国際試合にほとんどいないわけですが。
76年インスブルックオリンピックの頃は、トリプルトゥループですごーい!だったんですね。
ドン・キホーテのプログラムを全部映画では流していないので、あれですが、トリプルトゥループとダブルフリップとダブルアクセルの三種類しかジャンプは飛んでいませんでした。
この40年強でどれほど技術が向上したのかということですね。
スポーツ界はまだまだLGBTQフレンドリーとは言えません。
ここ20年ほどフィギュアスケートを見ていますが、現役中にカミングアウトしている選手ってほとんどいません。カムアウトしてオリンピックに出場した選手は、アダムリッポンとエリックラドフォードくらいでしょうか。
ジョニーウィアーのように引退後や休養中にカミングアウトした(元)選手は幾人かいます。
別にカムアウトの有無でしてたらかっこいいとか、してないからいくじなしとかジャッジしたいわけでは全くないんです。ただ、本当は隠していることのほうが面倒で不自然なことなんだろうと思うのに、なのに隠さないといけない雰囲気、隠している方が安全という状況があって、当事者はしなくてもよい苦労を抱えて競技をしているっていうのが現実なわけです。恐らく2019年の今でも。そこに憤りを感じます。
ましてやジョンカリーさんは、70年代に自ら公表したわけではなくて暴露されてしまったのでしょう?
きつかっただろうなと思いますよ…
バレエに魅せられてバレエをやりたかったけど父に許されず、かろうじてスケートはスポーツだからと認められてフィギュアスケートを始めます。その頃は音楽に合わせてとか、バレエ的な表現はあまりなかったそうで、今となってはびっくりします。
ジョンカリーさんは 本当にバレエが好きだったんだなと思いました。初めて買ったレコードは3枚ともバレエ音楽だし、ドン・キホーテに海賊、牧神の午後への前奏曲…バレエの有名曲をガンガン使っていました。
牧神…は、バレエをテレビで見たことがあってそのエロティシズムに度肝を抜かれたのですが、その時の雰囲気を感じる生々しい牧神とニンフでした。
くしくも先日ヌレエフの映画も見ていて、彼もエイズで死ぬんですけど、この時代のゲイたちは悲運としか言いようがないです。
今となってはエイズはもう不治の病気じゃない。HIVポジティブだったとしても平均寿命まで生きることは可能になっています。
もう少し後で生まれたらとか思いますけど、彼らはあの時代に生きたからレジェンドなんですもんね。過去のことにたらればなんていうだけ虚しいんですが、心に浮かんでしまいます。
恋愛に依存してしまう感じは、わたしはよくわかりません。
惚れっぽくもないし、一人も平気だし。
酒癖が悪いとか、殴るとかの人に、それでも一緒にいたいってなる心理に、順序立てて説明されれば想像はつくけれども、自分がその立場になる事を想像するのは少し難しかったです。
ジョンカリーの功績が、現在わたしを夢中にさせるフィギュアスケートという競技に織り込まれているってことを感じられてよかったです。
いいドキュメンタリー映画
カリーの脳内にはおそらく音楽に融け込む身体表現がはっきりとあり、その動きやポーズを完璧に氷上で見せることに才能と生涯を捧げたのだと感じました。単独でもペアでも、大人の鑑賞に堪える、まさに芸術的フィギュアを極めた演目が披露されていました。もうそれを知れただけで十分だし、彼が表に出すつもりのなかったことには触れたくないような気もしました。
しかし、『ムーンスケート』と『美しく青きドナウ』は、彼の内面の状態やさまざまな葛藤・苦しみを映画でたどることでより深く感受できた気がしました。特に『ドナウ』は、それまでの80分で自分なりに描いたカリーが心の中にいることで、衣装・振付・演技に他の作品とは違った美しさを感じ、カリーへの思いがこみ上げてくる気がしました。最後の作品は才能よりも人生が作った傑作なのではという考えが浮かびました。様々に思い・考えを巡らす余地のある、いいドキュメンタリー映画でした。パンフレットも最初から最後まで読みごたえがありました。
氷上のバレエ
最近こんな感じの映画増えましたね。フレディ・マーキュリーやエリック・クラプトンなど酒に溺れたり、同性愛者でAIDSになったり似たようなものが多い気がしますが、これもに似た感じ。フィギュアスケート好きなんで小さい頃(佐野みのるさん、渡辺絵美さんなどが活躍した頃)から観ていますが、私が見た男子シングルの選手で氷上のバレエに見えるのは、ジョン・カリー、ヴィクトール・ペトレンコとアレクセイ・ウルマノフ位しか思い出せません。まあ、もう少しオリンピック以外のアマチュア時代の演技観たかった、演技を観るのが目的ならちょっと残念な気持ちになるかも?
ドキュメンタリーとして素晴らしい
豊富な映像、写真、本人の手紙、関係者の証言を丹念に積み重ねて伝説のスケーターの輝かしい足跡とその裏の壮絶な葛藤、苦悩が描かれるが、何と言っても貴重なパフォーマンス映像が素晴らしい。「男が華やかに踊るなんてみっともない」と言われた時代にこんなに美しくエレガントな演技をするスケーターがいたとは。競技者時代は当時ジャッジの何人が東か西かで勝敗が決まるといわれた不公平な採点、スケートにかかる費用や練習場所の苦労、プロ転向後はフィギュアの芸術性を追求したカンパニーの赤字、リンクを取り囲む無粋な広告などカリーが直面したフィギュアの諸問題は現代にも通じていて興味深く、これを見ずしてフィギュアは語れない。
舞台芸術ファンにもぜひ見てほしい
「男が優雅に滑ることが許されない」時代に、これほどバレエのポジションやムーブメントとスケーティング技術を見事に融合させた五輪金メダリストのいたことにまず驚く。
プロ転向後は「総合芸術としてのフィギュアスケート」を追求するために自らのカンパニーを立ち上げ、錚々たる振付家と創りあげた数々の作品が、今見ても何ら古びることなく観る者をひきこむことにさらに驚く。
中でもバレエのニジンスキー振付であまりにも有名な『牧神の午後』をノーマン・マアンが振付けた作品は、全体的にぼんやりした映像がまるで夢の中のよう、ほぼ裸にも見える衣裳の男女が追いつ追われつ、ついては離れ、美しいポーズで身体を重ね絡ませて滑っていくさまが衝撃的にエロティックでいながら静謐で純粋無垢なエネルギーに満ちていて、芸術以外の何ものでもない。
フィギュアファンはもちろん、フィギュアはテレビの試合しか見たことのない舞台芸術ファンにもぜひ見てほしい。この映画の字幕監修・学術協力を担当した町田樹氏が言うように、フィギュアスケートは舞踊の1ジャンルになりえるときっと納得してもらえると思う。
受け継がれるべき美
HIV感染を知った上での芸術への向き合い方はそこはかとなくフレディ・マーキュリーを想起させ、自分らしくあろうともがきながら生きぬいたその姿は人生や死について考えるきっかけをくれた。
ジョン・カリーが直面した人間関係やセクシュアリティの苦悩、芸術上の葛藤が描かれシリアスな内容ではありながら、最後には救いの光が見え、涙は止まらなかったが不思議と安らぎも感じられた。
死期を悟ったアーティストが最後の舞台のテーマと決めたものとは。
アスリートやアーティストの生き様に興味のある方、バレエ・演劇等パフォーミングアーツに興味のある全ての方にぜひ見て頂きたい作品。
カリーの声を演じたフレディ・フォックスのナレーションも大変素晴らしかった。
過去の演技映像だけでこのクオリティ
フィギュアスケートがゴールデンタイムに放送される日本でジョン・カリーを知る人はいったいどのくらいいるのだろうか。
オリンピックチャンピオンであり現在のフィギュアスケートの礎になった偉人にもかかわらずその知名度は低い。タイトルで観ようと思う作品ではないかもしれない。しかし見終わった時に間違いなくその演技と人柄に魅了される。映画としても流れがよくまた観たいと思いました。
美しさと得体のしれなさ
映画「氷上の王 ジョン・カリー」はフィギュアスケートの革命という観点から見たい人と、性的マイノリティーと社会という関心で興味を持つ人とがあると思う。しかし、私にはこの映画は親との不和や差別や偏見で心を損なわれた経験をもつ人がどう生きたのか、という記録でもあると感じられた。
現存するカリーのパフォーマンスの映像と映画のために再録されたという音楽との調和は鳥肌が立つほど美しかった。この美しさを生み出したのは強く高潔なだけの人物でなく、刹那的な享楽も求めてしまう人物であったというストーリー、それ自体は平凡なものだ。しかしそのパフォーマンスのもつエロス、同時にある清らかさと静謐さ見れば、それらまたカリーの中に混在した一面であったことは明らかであり、人間とはなんと複雑で得体がしれぬもので、同時に美しいものを内に秘めているのかと、安堵と悲しみの入り混じったような気持ちになる。
現役のプロスケーターであるジョニー・ウィアーが映画の冒頭と最後に登場する。彼も性的マイノリティーのフィギュアスケーターだ。ジョニーはありのままでいられる僕をカリーが作った、と語る。なぜか。
表向きにカリーの功績はフィギュアの芸術性を革命的に高めたことだ。しかしカリーは意図しなかったことであろうと思うが、彼が自分の信じる美を表現することを恐れなかったことで、彼に自分を重ねることのできる境遇や感性をもった人々が、彼のように自らをありのままに表現し生きることができるのだと希望をもてた。また、社会がそれを受け入れる素地を作った。
カリーの性的指向や生き方を理解できないと思う人もあっただろうし、今もあるだろう。しかし、それを受け入れることはできなくても、彼のパフォーマンスを美しいと思うことができる。それは、偏見を消すことはできないまでも、理解不能だと思う人の中に自分と同じ喜びと悲しみがあることを、芸術を通じ、リアリテイを持って知らせることだ。それもジョン・カリーがあとの世代に継いだ大きな功績だったのだと思う。
カリーが自分に死期が迫っていることを知ってから作った作品が、明るく人生を肯定するテーマであったことは幸いだ。あれはとても心にせまる美しさだった。暗い闇を経験してもそれでも最後に人間賛歌を送り出した。あれはカリーによる、芸術はなんのために存在するのかというテーマの最終回答だったのだろう。
現在の男子フィギュアスケートの礎を築いた天才ダンサーの魂を赤裸々に描き出した秀逸なドキュメンタリー
まず、彼がオリンピック金メダリストになった際の映像を見て驚いた。優美な舞の中、当時では難度の高いと思われる(アナウンサーの興奮口調から推察)ジャンプを随所に織り込んでいる。これ、本当に40年以上前の映像かと目を疑った。その後、彼が披露した演目の蠱惑的な舞の数々。それはソロ、男女混合、カルテットであったりと飽きさせない。特に男女がアイススケートだからこそできる体を密着させてエロティックに舞う「牧神の午後」、「バーン」(これは私の筆力では魅力が伝えられない)男性カルテットが青く美しい衣装に身を包み幻想的に舞う「美しく青きドナウ」の3つの舞は特に凄かった。そして「ドナウ」の映像の後に流れる”この4人は数年のうちにエイズで世を去った”というコメント。そう、このドキュメンタリーは氷上の王の性癖も赤裸々に映像化しているのである。1点残念なのは、蠱惑的な舞の幾つかが素人撮影のため、輪郭がぼんやりしていること。当時の映像がなかったのは承知の上で、技術的に何とか解像度合を上げて欲しかったなあ。けれど、あれが却って魅力を増したのかもしれないけれど。
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