リンクル・イン・タイムのレビュー・感想・評価
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原作で活躍する凛々しい少女は何処に消えた
このタイトル、どこかで見た憶えがあると思ったら、子供時代に学校の図書室で読んだSF小説の原題だった。邦題は「五次元世界のぼうけん」というものだったが、訳者が後書きで「原題のリンクルとは皺を寄せるという意味で、時間に皺を寄せるとは変わったタイトルです」と書いていたのを憶えている。
内容はほとんど憶えていないが、確か凛々しい女の子が大活躍し、愛が大事なのだと教わった気がする。何十年もの時間をリンクルさせて、その映画化作品にお目にかかれるとは予想もしなかった。
何とも懐かしくてたまらない、というのが第一印象で、その意味では100点満点を贈呈したいのだが、いかんせんろくでもない感想が出てきてしまうのは、当方がろくでもない大人に成り果ててしまったからに違いない。
ストーリーの入口となるリンクルとは、今のSFでは常識となっている「ワープ」を精神の働きで行い、宇宙の端から端まで一瞬のうちに移動するという方法。SF小説に詳しい向きには、アルフレッド・べスター「虎よ、虎よ」に出てくるジョウント効果だと説明した方が分かりやすい。
その方法をいち早く発見し、宇宙の果てに飛び去って行ってしまった父を、姉弟と姉の友人が同じ方法で、宇宙の知的生命体に導かれて救出に向かうというお話である。
冒険が始まってからは、主人公が危難に直面し、そこから知恵と友情、愛情で抜け出すというファンタジーの常套的世界。悪=悪意や嫉妬、善=友情、愛情という構図で、危難を抜け出すには愛が決めてだというメッセージを、観客である子供たちに訴えていくのである。
中でも本作で特徴となっているのは、「欠点だらけでも、それを含めて自分は愛される資格がある」と少女が悟り、それが世界の悪を退けるという自己承認の重要さを説いていることだろうか。少女の欠点=クラスの子と仲良しになれないヒロインの協調性の欠如、世界の悪=学校のいじめっ子という日常との延長が、メッセージ性を高めている。
童話やファンタジーには成立上から然らしむる教訓、メッセージ色が濃厚となりがちだが、そこからずいぶん自由になっている「ハリーポッター」や「指輪物語」よりも、本作にはまだたっぷり残っている感じがする。
ま、仲間がどうした友情がどうしたと鬱陶しい日本の教訓アニメにも困ったものだが、それと同程度の煩わしさかもしれない(あまり見ないので不明w)。
以上のストーリーと全体の構図はさておき、子供の頃に憧れたヒロインの少女が不細工な黒人少女、その弟が鬱陶しそうなアジア系のガキ、サポート役の男の子がハンサムな白人少年と設定されたのは、いかなる悪戯かと訝る。まるで映画を観に来るなと言わんばかりの配役は、家族向けのディズニー映画だからこそ成り立ったものなのだろう。
観客や収益を犠牲にしても人種的中立性という政治的正しさを欲しがった制作者の事情を忖度するにつけ、「ムーンライト」以来続くハリウッド内の政治環境のおかしさを憂えずにはいられない。
配役を除けば、CG満載の画面はカネをかけているらしくキレイだし、宇宙の知的生命体や世界の悪は、低年齢向けの分かりやすい造形で、小学校低学年くらいまでは楽しめるのではなかろうか。
要は家族向けのファンタジー映画であり、いい年をした大人が観るものではないというのが結論です。
バラバラになったマイケル・ペーニャ
5次元ファンタジーは天国のような気分にさせられる。いや、待て。5次元って何だ?『インターステラー』(2014)でもよくわからなかった5次元。その前に4次元を教えてくれ!と言いたいところだったが、これはファンタジー作品。3次元に時間をプラスしただけのような気もしたが、そこまで突っ込むと、次元が低いと言われそうなのでやめておこう。
NASA科学者の父が行方不明になってから4年。問題児扱いされていたメグ・マリーは学校でもイジメに遭っていたが、賢い弟チャールズとともに不思議体験する。最初に現れたのが、メリー・ポピンズを思わせるミセス・ワッツイット(リース・ウィザースプーン)、名言ばかり口にするミセス・フー(ミンディ・カリング)、さらにでっかい女性ミセス・ウィッチ(オプラ・ウィンフリー)の3人の女性だ。彼女たちの力によって、メグ、チャールズ、そして同級生男子のカルビンが910億光年離れた銀河系の植物惑星へとワープするのだった。
映像がとにかく綺麗で、ディズニーの本領発揮といったところ。悪役はブラックホールみたいな“IT”だ。光の空間では信じることが大切なのに、この“IT”という暗闇では疑うことが必要らしい。ティム・バートン風の世界と不思議なキャラクターが登場して彼らを惑わし、やがて父親を発見しようとするメグたち。両親がナノ科学者と宇宙科学者という設定も面白いし、相反する二人の科学が愛を生む・・・といったところもいい。
もとは児童文学なので、5次元という言葉で誤魔化されてしまいますが、時間の概念がトンネルの部分だけしか表現されてなくて残念でした。それならやっぱり『インターステラー』の方が面白いと思うし、それを簡略化した子供向けととらえればいいのかもしれません。“時間のしわ”というタイトルだけは意味深です。
ジュブナイルファンタジー
科学者の父親が失踪、いじけた学校生活をおくっていたが、不思議な女性が現れ、お父さんは5次元の世界にいる、という。
あとは想像力の世界となり、予算との相談となる。
子供たちには分かりやすい教訓になっている。
ディズニー節を感じられる
『ディズニーの作る映画はこうでなくてはいけない』と感じさせてくれる、ブランディングがずっとブレていないことが売れ続けている原因なんだなと、そんな事を感じさせてくれる映画。
5次元の表現は具体的で良い。
ストーリーとしては物足りないかもしれないけれど、「こんな世界がある」という提示の仕方としては見せ方がさすがだなと思った。“知ってる人間”がいるんだなと。
江戸時代にヘリコプターが想像できなかったように、1970年にインターネットで買い物ができると鼻で笑っていたように、時代が「4次元」「5次元」を感じられないだけで、数百年すれば当たり前になる“かも”しれない。
科学主義でもスピリチュアル崇拝でもないが、一つの価値観としては“在る”ものだと思う。映画としては、ちょっと物足りない気もするけど。海外ドラマ「TOUCH」のほうが今の時代に合ってるかも。
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