「リアリティのある反戦映画」空母いぶき 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
リアリティのある反戦映画
佐藤浩市が演じた垂水慶一郎ほど真摯な総理大臣は見たことがない。彼は憲法を遵守し、国を戦争の惨禍に陥らせないことこそ政治家の使命であることを解っている。憲法を蔑ろにするどこぞの小国の暗愚の宰相とは大違いなのだ。
世界から戦争がなくならないのは、人間が共同体のパラダイムに蹂躙されて主体性を放棄してしまっているからである。そして人間が共同体に依存するのは、孤立を恐れ、孤独に耐えきれないからだ。弱い人が仲間とつるみたがるのと一緒で、そこに自分の居場所があるし、強くなった気にもなれる。戦争の基本構造は暴走族同士の争いと同じなのである。
軍備を所持することは、その国のレベルが暴走族レベルであることを宣言しているのと同じことだ。武器も兵器も経年劣化するから、毎年巨額の軍事費がかかる。原資は国民の税金である。その分国民の生活が確実に貧しくなる訳で、軍備などないに越したことはない。多分このあたりまでは、世界中の多くの人が解っていることだと思う。
問題はふたつ。
ひとつは他国に対する不信感である。自分の国は良識のある国だから戦争を起こしてはいけないことを知っているが、ならず者国家は平気で戦争を仕掛けてくる。それに対する備えは必要なのだという現実論。当然ながら各国間の経済格差も関係する。
もうひとつは、既に存在する軍需産業の生き残り策である。武器は高額の消耗品だから、一旦導入されれば以降は毎年のように注文が来る。売り込みはとても熱心だ。中にはトランプのように国のトップがセールスをする国さえある。ならず者国家やテロリストも、使う武器はアメリカ製かロシア製、あるいは中国製なのだ。
本作に登場する東亜連邦というならず者国家も、ロシア製の戦闘機を使う。その他の兵器もみんな先進国から輸入したものに違いない。新興国に武器の自国製造などできないからだ。なんのことはない、敵も味方も等しく軍需産業のお客さんなのである。世界の軍需産業が紛争を起こしていると言っても過言ではない。ならず者国家に武器を卸す国がなければ、どの国も自衛のための兵器を所持する必要がない。
軍備を否定すると、強盗が自宅に侵入して妻子が殺されても黙って見ているのかと、変な反論をする人がいる。強盗が侵入したらもちろん反撃する。その時は手近にある固い物、瓶とかボールペンとかが武器になるだろうし、日本ではそれで十分だ。使えもしないトンファ・バトンやヌンチャクなどを用意しても意味がない。場合によっては奪われて相手に使われるかもしれない。アメリカみたいに強盗が必ず拳銃を持っていると考えられる国では強盗対策に拳銃を準備する人もいるだろうが、それは核のエスカレーションと同じ図式である。日本の田舎には、今でも自宅に鍵をかける習慣のない集落がある。世の中が物騒でなければそれで大丈夫なのだ。軍需産業と警備会社が世の中を物騒にしている。マッチポンプである。
航空母艦は戦闘機を搭載して戦線に近づく船だから、専守防衛の理念に反している。所持していること自体が違憲の兵器である。官僚は苦しい言い訳の言葉を捻り出すが、自衛隊の過剰装備はすべて憲法違反であり、在日米軍は日本の独立侵害である。日本の立場は憲法と現状とでねじれが生じており、現場の司令官はミサイルや魚雷が来ている瞬間にも、難しい判断を要求される。
戦闘訓練も何も受けていない記者ふたりの存在は非日常の舞台を日常に引き戻し、作品にリアリティを与えている。コンビニは情報を受け取る前と後の人々の日常を端的に表現し、東京のニュース社の様子はジャーナリズムのリアルな現場を映していた。海戦以外のシーンは海戦の現場と日本国内の日常生活を対比し、ここにも憲法と現実のひずみが感じられる。
役者陣はいずれも熱演、好演だったが、中でも佐々木蔵之介が演じた副長は、憲法を意識しつつも任務と友情のはざまに悩み、なんとか最善策を見出そうとする誠実な人柄が言葉の端々に滲み出ていた。戦闘の最中にあって防衛出動が発令されているにもかかわらず、なおかつ専守防衛に徹しようとする自衛官たちの姿勢は感動的だ。そしてもうひとり、首相を演じた佐藤浩市。戦争を始めたい外務大臣に対して「軽々しく戦(いくさ)などという言葉を口にするな」と諌める姿は迫力があり、凄みがあった。素晴らしい名演である。
憲法と自衛隊の存在は相反する部分があって、そのひずみを内包する作品だから、賛否両論があって当然だが、リアリティのある戦闘シーンといい、ミサイルの迎撃方法やその場で決めていく戦術といい、緊迫感に満ちたいい作品であることは間違いない。退屈なシーンは1秒もなく、隊員のそれぞれの個性まで描き出し、作中の複数の人物に感情移入できるプロットが素晴らしい。娯楽作としても優れていて、問題作でもある。
当方としては、この映画は反戦映画であると受け取った。多くの反戦映画は戦線の残酷さと銃後の悲惨さを描くが、本作品は高度な軍需兵器の性能くらべとそれを操る者のテクニック争いみたいなシーンを描き、軍需産業と戦闘による兵器消費の密接な関係を炙り出すことで、現代の戦争のありようを上手に暴いてみせた。この時代にこの映画が作られたことは、意義のあることだと思う。