ともしびのレビュー・感想・評価
全33件中、21~33件目を表示
たぶん、こんなストーリーのはず・・・
フランス語圏の地方都市。
長年連れ添った夫(アンドレ・ウィルム)とふたりで暮らしているアンナ(シャーロット・ランプリング)。
穏やかな日常のようにみえるが、どこか不穏な雰囲気。
グループワークショップに通うアンナは、ワークショップで顔を真っ赤にし、なにやら奇声をあげる・・・
といったところから始まる物語で、顔を真っ赤にして奇声を上げるのは演劇かなにかの自己表現の一環であるらしい。
カメラは、アンナの顔を正面から捉え、真っ赤から普段色に戻るまでを長廻しで捉える。
このファーストショットから、全編長廻しでアンナの行動を捉えていくが、彼女の背景はほとんど説明されない。
グループワークに通っているぐらいだからなんらかのストレスがあるのだろうが、説明はない。
そして、終始、苦虫をかみ潰したようなアンナ・・・
ということで、ま、なんだかよくわからない老齢の女性の不機嫌な様子を長廻しでみせられて、意識は瞬断。
覚醒するが、そのうち再び瞬断・・・の繰り返し。
なので、重要なシーンを観逃し、聞き逃しの可能性大。
一緒に観た妻から聞いたことも含めて、物語の骨子と背景をまとめると、こんな感じ。
アンナと夫は長年仲睦まじく暮らしていたが、ある事件が発覚する。
それは、夫による未成年男児への性的虐待。
アンナは信じられなかったが、離れて暮らす息子が警察に通報したため、夫は警察へ出頭、アンナはそれに付き添う。
未決犯として夫は収監されるが、アンナは夫が事件を起こしたかどうかには核心が持てない。
息子一家との断絶は深まり、孫の誕生日に訪れるが、追い返されてしまう。
そんなある日、天井からの漏水修繕のため、箪笥を動かしたところ、箪笥の裏側から事件を裏付けるおぞましい写真を見つけてしまう。
夫の無実を信じていたわけではないが、アンナは生きる希望が持てなくなってしまう。
折しも、海岸にクジラが打ち上げられ、死んだクジラは腐敗していく。
ワークショップでの成果発表で、アンナは声が出なくなってしまう・・・
というもの。
早い段階で意識が瞬断したので、夫がなぜ収監されているのか、その理由がわからなかった。
映画では、
アンナの部屋の外で、被害者男児の母親が大声で詰るシーンがあり、その台詞からわかる(らしい。妻から聞いたが、まるで記憶になかった・・・)。
肝心のところがわかっていなかったゆえに、映画が面白くなかったのかと思ったが、どうもそうではなく、やはり、圧倒的に物語の背景描写が少なすぎ。
物語を紐解くタイプの映画ではなく、ある不穏な状況下の女性の心裡心情を観る映画だと思うが、背景がわからないとその心裡心情も理解しづらい。
その上、シャーロット・ランプリングの演技は抑制が効きすぎて、あまりに感情の振れ幅が小さすぎ。
わからないこちらが悪い、と言われるかもしれないが。
ということで、『まぼろし』『さざなみ』と比べると、あまり評価はできません。
演出の凝縮。剥き出しの人間
びっくりするくらい面白かった。夢中で観た。
シャーロット・ランプリングの演技が素晴らしい。眉一つ、表情筋一ミリ動かすだけで、あれだけのものが表現できる。
それ以外で驚かされたのは、画面構成を始めとする演出の凝りようだ。
映り込む鏡、窓、通路。意味深なアングルとフォーカス。画面上に配置された色。
場面場面に丁寧に意味がこめられ、鏤められたモチーフが互いに呼応する様は、詩的でもある。それらの美しさにため息することは大きな喜びだった。
挙げれば切りがないが、「ストライプ」、「雪」、「秒針の音」、「階段」、「少年」、「花」等等の記号が代わる代わる現れては、場面と場面を、場面と物語を、繋いでいる。
特に印象的なのは、アンナが精神的危機に追い込まれる場面に、必ず「イエロー」が配置されることだろう(ゴミ捨て場のダクト、バースデイパーティの風船、鯨の管理スタッフの上着…。鯨に至っては、道中の渺漠とした海岸景色のそこここに散る色、ほぼ全てが黄色だ。)。
演出として好きだったのは、自宅で友人と演劇の練習をしているときに、収監中の夫から電話がかかってくるシーン。
台詞の読み合わせで、アンナは「…私は出て行きます。指輪をお返しします…」云々と言っている。夫と離別する妻の役柄。電話が鳴るとそれを中断して出るが、その時の画面中央にずっと映っているのは、アンナの左腕だ。薬指には当然指輪が見えている。聞こえる声は夫の世話を焼く妻の台詞なのである。綺麗に対比している。
テーマについては、明示されないので観客の方で取りに行く必要がある。人によって万別に感じられるだろう。このように余白を持たせたり、行間で語ったりする作品は好きだ。
劇中でアンナが演じているのはイプセンの『人形の家』(多分)。これは家庭に入った女が、妻や母としての自分を離脱した「本当の自分」を実現するために、夫も子供も捨てて出て行く話だ。
我々は生きていく上で、何らかの役割、或いはレッテル・呼び名を持つ。人間は社会的な生物で、他者との関わりの中で生きるものだからだ。我々は与えられた役割を時に演じもし、そのため自分を殺しもするが、時間の経過と共にそれは我々の自我と同化し、アイデンティティにもなる。
この映画は、その役割という側面を悉く剥ぎ取られた人間の姿、そこに残るものを描こうとしたものに思える。
アンナは絶望するが、絶望だけではない、一種の清冽さが観賞後の心に残る。自由は山巓の空気に似ている、どちらも弱い者には堪えることができない。というが、そのような厳しさの中に彼女は放り出されたようだ。
ラストシーン、アンナは地下鉄に乗り込み、珍しいことに立ったままでいる。ドアが閉まると彼女を隠すが、電車が走り出せば、窓にその姿が見える。
自分を失ったとしても、そこから動き始めれば、また自分を作り直し始めることができる、という比喩に思える。
映画は省略の美学
興行的に考えてみても、間違いなく日本では作れない映画だ。会話もなく、音楽もなく、何の説明もないおばちゃんの日常を淡々と追うだけ。おまけに精気もなく、眼つきは険しく、肉体はしわがれているシャーロット・ランプリングという被写体をさらし続ける。着替えのシーンをこれでもかと見せてくるが、むしろ目をそむけたくなるんだよな。あなたも老いればこうなるんですよ、若い頃にあれだけ美しかったこの人でさえも、と訴えているよう。そうだ、あの背中は、打ち上げられたクジラに見えてきたんだった。アンナの日常は、老いの境地に惑う、ゆれるともしびなのか。
ともすれば、「さざなみ」の後日談とでも解釈できそうな気もする。退屈でたまらない人は絶対にいるだろうが、我が身を重ねて嗚咽する人も必ずいるだろうな、この映画。
映画を観終わった後、
極力説明を排除した物語なのは、きっと、多くの人に多かれ少なかれ、特に年齢のいった人には似たような経験や境遇があると考えたからではないだろうか。
セリフも少なく、音楽もない。
街に活気も感じられず、地下鉄には怒りが溢れ、 灰色の空は重苦しさを募らせる、
そして、余計だと思われるものを削ぎ落として、削ぎ落として、アンナの表情や佇まいを静かに追いかける。
映画を観ている間中、アンナの心の動きに注意を払い、解答らしきものはないか、探して、想像して、追いかけてしまう。
こうして映画はエンディングを迎えるが…、そして…、映画を観終わった余韻の後に、自分や、自分の周りの人々、そして自分の未来を想像して、胸が苦しくなるのを感じる。
僕は、アンナは、自分の余計な荷物を整理しながらも、強く再び生きて行くのではないかと期待している。
アンナの強い表情に、孤独に向かう強さを感じる。
最後の場面で、打ちあげられたクジラの死骸を思い出し、もしかしたら、アンナは死に向かうのではないかとハッとさせられたが、そうではなかったから。
☆☆☆★★ 簡単に。 淡々と進んで行く映像。映画は一切の説明を拒否...
☆☆☆★★
簡単に。
淡々と進んで行く映像。映画は一切の説明を拒否する。全ては主演シャーロット・ランプリングのしわがれた顔と肉体にて語られる。
あまりの説明の無さに「一体これは何だろう?」と思っていたところ、「ひょっとして…」と思い当たる映画の事を思い出した。
ルイ・マルの『鬼火』
彼女は自らの命の《ともしび》を消そうとしているのでは?…と。
彼女は、その想いを抱く度に鏡を見。その怖さを実感し、その都度に恐れおののいていたのかも知れない。
終盤にて、海岸で打ち上げられた鯨の姿を見ては、その醜悪さに思わず泣いてしまう。
映画のラストで、彼女は一旦は決意するものの。どうしても決断する事は出来なかった。
だがいつの日か、彼女は決断するだろう。
それを予感させるのが、無音のエンディングなのだと思える。
2019年2月7日 シネスイッチ銀座1
2019年ベストムービー!
原題は『Hannah』、女性主人公の名前。邦題は今ひとつよく分からないタイトル。予告編も良くなかった(笑)
ストーリーはややミステリー仕立ての人間物語。"なにがあったのか?"は語られず、映画はそのまま終わる…主演のシャーロット・ランプリングの演技でただただ"みせる"…こんな映画、日本では撮れないでしょうね(笑)
今年最も見応えのある映画だった。
歳帯び、慎ましい生活を送る老夫婦だったが、夫の収監により生活に変化...
歳帯び、慎ましい生活を送る老夫婦だったが、夫の収監により生活に変化が訪れ_。
台詞や状況説明を最小限に抑え、観客に思索を促す刺激的な映画。
老いや孤独による恐怖心を忍ばせる一方、演劇塾で悲鳴に似た自身の声を発露。
72歳が体当たりで魅せる人生の重みと美しさに心打つ。
息が詰まった。ましてや瞬きもできなかった
小細工なしの映画。
あるがままの映像。無駄のない台詞。
それでも伝わって来るものがある。
削ぎ落としていけばこうなる。
その見本だろう。
ドギマギしてスクリーンから目が離せない。
聞き逃せない台詞。
だから映像に音楽はない。
誰でも歳を重ねればこうなるのだ。
人ごとではない。
だから、
覚悟を固めて今をキッチリ生きるのだ。
退屈だった。
旦那さんがなにかの罪で逮捕されてからのおばあちゃんの孤独な生活を淡々と描いた映画。
.
セリフがほぼなくて、1時間半ずっとおばあちゃんの日常を追うだけ。もうほんとただ退屈なのよ。
.
だからこの映画の最中には独自のストーリーを自分で妄想して楽しむべき。私の説は実はこのおばあちゃんがホントは殺人犯で、その罪を旦那さんに押し付けたとんでもない婆さん説(笑).
.
映画中でおばあちゃんの周りには何かと子供がたくさんいるのよ。同じマンション、通ってるプール、掃除のバイトさきの家にも。だから婆ちゃん実はとんでもないショタコンだったんじゃないかっていう私の妄想です(笑).
.
でもこの映画やたら鏡とかガラスに映るシーンが多くて、そういうのってその人物が嘘をついてるっていうメタファーらしく、絶対主人公嘘ついてるって思ってたんだけどなぁ(笑).
ひとり
旦那が収監された老齢の婦人の日常。
何があったのかと真実は最後までみればわかるけれど、夫を信じていたのか疑っていたのか…。
BGMはなく、セリフも殆どなく、淡々とした日常を切り取り繋いだだけであり、彼女に変化があったのか、そうでないのか、日常を保とうとしているのか、どう感じどう考えているのか想像することしか出来ない。
息子はちょっと異常に感じた。
全33件中、21~33件目を表示