「定点カメラの意味ばかり探してしまった」ともしび maruさんの映画レビュー(感想・評価)
定点カメラの意味ばかり探してしまった
ほとんどのカットがカメラ固定で、その中で女優が動くので、観客が「映画を観る」のではなく、何かを「観させられている」気になった。
ストーリーは、なんとなくですが、夫が恥ずべき罪を犯した。“妻”としてその事件のショックから立ち直ろうと努力して、家から距離がある場所で働いたり、セミナーみたいな処に通い、夫の刑務所にも通う。ジム通いで体のケアも“女”として気をつけて、“祖母”として孫のことも愛しているようだが、息子からは孫の前で門前払いを食らうほど。よっぽど夫が犯した罪は恥ずべき行為だったのだと、推察できる。
そしてある日、タンスの後ろに夫の罪の証拠を見つける。ここで、アンナ(シャーロット・ラン プリング)は、初めて夫が罪人ということを「完全に理解する」。
映画は、そのままアンナの日常を描きながら終る。
全体を見て感じたのは、おそらく、アンナの罪は「無関心」なのかもしれない。
電車内でのアンナの振る舞いも、飼い犬になつかれていないのも、夫の悪趣味や愚行に気付かなかったのも、、世間的に「妻/祖母/女」として役割を演じることはできても他人には無関心。「アンナ」という自分にすら無関心。
クジラを見にいったシーンも、【クジラを見たけど何も感じなかった】ようにも見えた。すべての生活を淡々と過ごせるのも、おそらく「無関心」だから成せる業なのかもしれない。
何時の頃からか自分を見失っていた…いや、何もかもに「無関心」になっていた。
「何もない心(無関心)」にともしび(あかり)はともるのか。
なんとも切ない物語。どこでそうなったかは描かれていないが、人間なら誰しもに当てはまるテーマをなんとも淡々とそれこそ、定点カメラの意味が「無関心」のようにも思える。
シャーロット・ラン プリングじゃなきゃ出来なかった映画。難しいっ。でもこれはすごい。