「恋と母性」ペンギン・ハイウェイ miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
恋と母性
まず、”世界の果て”を表現しようとする試み自体が素敵だと感じました。文字で表現するのも難しいけど、それを2時間で映像化するのも相当難しいですよね。。。
ストーリーとしては、全てが世界の果てであり、全てが世界の起点でもあるのかな。そういう理解の仕方をしました。
(あれだけおっぱいを連呼しているのにギリギリ、、、、ギリギリ気持ち悪くない)アオヤマ君のお姉さんに対する純粋な気持ちがうまく描けていると感じました。あの真っすぐな目。方眼紙にアイディアを敷き詰めている姿は生真面目で理知的な様子がうかがえます。溢れ出るイメージのアウトプット方法について、最初は「今どきはスマホじゃないのかな?」と思いましたが、あれだけ頭の回転の速い子だと紙媒体の方が直観を逃がさずに捉える事が出来るのかなぁ、と思い直しました。
やたらめったらおっぱいに執着する作品でしたが、お姉さんがペンギンを生成した瞬間(ペンギンが地面にバウンドしたときの跳ね方や音、愛くるしさもあり)からは母性を強く感じるようになりました。お姉さんのアオヤマ君に対する視線も母性に溢れているように見えました。エンディングの宇多田ヒカルさんの楽曲にも何となく母性を感じます。
謎解き部分はテンポが速くついていけなかったのですが、一つの町のあちこちで起きる不思議な現象と現象を多角的な視点で観察・考察し、相関関係を導きだした瞬間は爽快感がありました。単純に気持ちよかったです。
でも結局理解できない事がありました。わたしが単についていけなかっただけなのか(原作には明確に描かれているのかな?)。どうしてお姉さんがキーパーソンでないといけなかったのだろう?と。
ひょっとして本当のキーパーソンはアオヤマ君だったのではないかなと考えました。最初から最後まで見ていて、どうもお姉さんが実在しなかった、ということに違和感を抱くのです。アオヤマ君以外の皆もお姉さんを認識していたし、お姉さんは途中までアイデンティティを保っていました。ペンギンを産んだあたりから段々と自分の存在に自信をなくしていきます。わたしにはそれは、最初から実在していなかったというよりも、実在していたものが実在しないものへと変化しているように映りました。
すべての場所が世界の果てであり、起点でもあるのだとすれば、あの場所であったことに明確な理由はなく、あちら側の生命体(ペンギン)と最初に目を合わせた生命体がたまたまアオヤマ君であり、アオヤマ君の想い人がお姉さんだった。だから自動的にお姉さんが媒体として選ばれた。あちら側の世界ではそういうルール。(最初のシーンでペンギンの左右の目にアオヤマ君とお姉さんが映っていた事からこじつけてみました。)。
そういう意味で、お姉さんは生贄というか、全人類の身代わりというか、犠牲というか、そういう存在であったのかもしれないなと思いました。
原作も作者インタビュー等も敢えて読んでいないので思いっきり的外れな解釈かもしれないと思うと怯えます。ごめんなさい。
ちなみに、お姉さんの声(蒼井優さん)に対しての違和感はありませんでした。