希望の灯りのレビュー・感想・評価
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スーパーマーケットというかりそめのユートピア
スーパーマーケットという閉ざされた空間をひとつの小宇宙に見立てるというアイデアは決して物珍しいものではないが、ルーティーンの繰り返しのような職場が、主人公に取っては自分を閉じ込めるのではなく、社会というものに繋がるための扉として機能していることに新鮮さを感じた。
一方で主人公に限らず、本作に登場する個人の「家」は一種の牢獄のように描かれている。「家」は孤独を色濃く感じる場所であり、彼らにとってスーパーマーケットは人と触れ合い、仲間意識を共有することができる場なのだ。
しかしやがてそのスーパーも、世の中の大きな流れの中にポツンと浮かんだ避難所のようなものであることが示唆されるのだが、だだっ広いところにポツンとある無機質なスーパーマーケットから豊かな人間ドラマを生み出し、オアシスのような温かみを感じさせてくれた監督の視点に、大きな魅力と希望を感じています。
旧東ドイツの労働者から学ぶ〝連帯〟という希望の灯り
2018年のドイツ映画。以前iPadで見たけれど、印象が薄く今回は名画座の大画面で鑑賞した。全く別の映画に見えた。素晴らしい!の一言である。
本作は旧東ドイツという舞台が重要なポイントだ。そこを押さえると、登場人物が抱える、生きることの困難さがより切実に感じられると思う。
東西ドイツ統一は1990年。主人公の青年クリスティアンは統一後生まれ。彼が好意を寄せる年上の人妻マリアンヌはほぼ統一の頃生まれ。そしてスーパーマーケットの仲間たちは、50〜70代に見える。社会主義国で育ち、成人してから資本主義への転換を経験した人たちだ。
この社会の転換の痛みを語るのは、主人公の直属の上司ブルーノだ。無口で無愛想だが、実は面倒見がよく温かい人柄だ。彼は、統一前はトラックドライバーで、その職能に誇りを持って働いていた。しかし、統一後は西ドイツのスーパーに買収され店内のフォークリフトを運転している。
ブルーノは、社会の変化で、敗者となり、以前のスキルを捨てざるを得なかった。現在IT化などで日本でも起きていることを連想させる。リスキリングの必要を政府や経済評論家はしたり顔で解く。しかし、それまで培ったスキルを不要なもの、劣ったものとして扱われることが、人のアイデンティとプライドをどれだけ傷つけるものであるかが考慮されることはない。個人は社会システムの奴隷なのだ。
そうした中で、顔を上げて、誇りを持って生き、たまたま自分の手元にやってきた若者を独り立ちさせようと見守るブルーノと仲間たちの生き方は、胸に迫るものがあった。
社会主義体制の人を、抑圧されていた者とか、努力しても収入一緒だから努力しないとか否定的に受け止めがちだけれど、東ドイツ出身の人のインタビューなど見ても、必ずしもそうではなさそうだ。職場の人間関係は強く、また温かい連帯感の感じられるものでもあったようだ。
この映画でも、東ドイツ出身者たちの職場であるこのスーパーマーケットでも、彼らは連帯感を大切にして働いている。
蛍光灯に照らされた巨大なスーパーを、この監督は巨大な方舟か、宇宙船のように撮影する。資本主義という孤独な競争社会を漂う仲間たちが連帯して生きる場であることを伝えようとしていると感じた。
そして、その方舟にやってきた、入れ墨のある元ワルらしい若者。彼を受け入れ、好意を持ち、成長を支える。フォークリフト免許取得に成功したクリスチャンを皆が祝福する場面など、今の日本の職場にこんな場面があるだろうか…、その温かさにじんわり感動させられた。
この映画の温かさの裏には、社会主義世界の影響があるのではないだろうか。
幸福な人生を支える資産には、人間関係・お金・能力の3つがあるという考え方がある。2つを手に入れられれば安心だけど、これも現代社会では大変だ。
資本主義社会では「能力で他人に勝って、お金を得る」が主戦略であるが、そこでこぼれ落ちるのが人間関係の温かさである。
社会主義では、能力の差、お金の差を戦略的に個人が手に入れることは難しい。だからこそ、そこでは人間関係というものが重要で、仲間同士助け合うというのが労働者の倫理として身についたのではないのだろうか。
変わらない労働を淡々と誠実にこなし、仲間との支えあうことが、それまでの荒れた人生から脱出することにつながる〝希望〟となるということが描かれていると思う。
現在のドイツでも職業訓練学校を経ての就職が制度化されているようだが、おそらくクリスチャンはその訓練を受けていない。ノースキルのまま労働者として認められ、組織に定着するのはかなり困難そうだ。
その彼が、時に再び道を踏み外しそうになりながら、ブルーノや仲間に支えられて生きていく。そして売り場主任になるという彼の人生の大きな達成を成し遂げる。
原題の英訳は「In the Aisles」(通路にて)が示すように、スーパーマーケットの通路を人々行き交い、関係を作っていく。邦題の「希望の灯り」が示すのは、スーパーマーケットの白熱灯が映し出す白白とした冷たい資本主義空間でも、新たな共同体を作れる希望があると受け止めて良いのではないだろうか。
僕自身は今年まで情報産業で働いてきた。そこでの先輩が、会社に内緒でクリーニング工場で働いた経験を教えてくれた。クリーニングは当然下手で失敗ばかりだったが、周囲のパートの人たちが迷惑顔をせず、仕事を教え、失敗をフォローしてくれたという。(僕らの会社ではあまり感じられなかった)温かさや連帯を感じて嬉しかったそうだ。「仕事は多いし、みんな余裕がない。だから意地悪しているようなヒマなんかないんだ」と言うのが彼の分析だった。
日本では、単身世帯が最大となって血縁という絆は薄くなった。企業組織も効率と成果で管理され、また上司と部下の関係もどんどん薄くなってきている。しかし、そもそも会社というのは、一人ではできないことをみんなで成し遂げる連帯と絆のある場所であったはずだ。
そうした意味で、孤立が社会課題となる今の日本で生きるためのヒントが得られる映画でもあると感じた作品だった。
何度も見て理解を深めたくなる映画
何が言いたのかよくわからなかった
食品管理の倉庫で働く無口な新入りが職場の年上の女性に想いを寄せるが彼女には夫がいた。不倫泥沼の話しでもなく凄い展開が来るわけでもなく、物静かに淡々とストーリーが進んでいくのでボケーっと観て頭をすっからかんにするには丁度良かった。でもちょっとよく分からない映画だった
東ドイツに限らない、普遍的なテーマ
本作は、1989年東西ドイツ統一後の、旧共産主義東ドイツ側の人たちの日常と苦悩を描く。
長らく続いた冷戦の終結、という特定の背景はある一方、所謂「大衆」の代表のような、現場労働に従事する素朴な人たちの日常、という観点では、普遍的なテーマであるとも見えた。
印象的だったのは、スーパーマーケットの従業員たちが、仕事場を「家」「家族」のように捉えて働いている点だ。
職場の雰囲気は温かく、仲間の連帯感が強く、競争や対立よりも協力で仕事を進める。
これは、労働に希望を見いだしていた共産主義の良さの名残りだろう。
日本が近年急速に失ったものでもあるし、残念ながら、世界はあまりにも共産主義の悪口を言い過ぎたとも思う。
資本主義の効率化と競争についていけない人もいるし、そればかりが価値でもないのだ。
クリスティアンは、半グレ仲間から足を洗って真面目なスーパーマーケットの仕事に就き、同僚の年上女性マリオンに好意を寄せ、希望を見出す。
しかし、マリオンが既婚と知り、さらに彼女から冷たく当たられた日の夜は、いたたまれず半グレに逆戻り。
この不安定さがすごく人間らしいと感じた。
そして、半グレでも反社会でも、ある時小さな恋愛や人とのつながりから、まともな生活へと心を入れ替えられる可能性がある。
それが「希望の灯り」なのではないか。
最後は泣けてしまった。
派手なシーンは無いが、主演の好演をはじめ素晴らしい緊張感で撮影されている。
心が洗われる一作。
フォークリフト愛に溢れた映画
全編通じてフォークリフトが重要なキーアイテムになっていた。
でも従業員にとって、フォークリフトはパレットやカッターナイフと同じく単に仕事に必須のアイテムの一つのだけな筈で、何故フォークリフトだけが特別なアイテムになっているのか分からなかった。倉庫番にとっては憧れの花形アイテムなんだろうか。
後、互いに惹かれて来ていたとはいえ、呼鈴鳴らして無反応の家に無施錠の窓から侵入して、人の家を勝手にうろついてパズルをしたり女性のシャワーを覗いたりするのは気持ち悪いと思った。
元空き巣泥棒から全然更生出来てない感じで、せっかくお見舞い目的で来訪したのに覗き魔になってて、やはり入れ墨だらけの元犯罪者なんだなとしか感じなかった。
海と呼ばれる狭い生け簀の中で、自由に泳ぐ事も、満足に呼吸する事も出来ずにひしめき合っている魚が、この世の無常を象徴しているような気がした。
毎日顔をつき合わして、一つの家族のように働いていても、実際にはお互いを何も知らない事に孤独を感じた。
考えさせられる様な良いシーンも多かっただけに、前述の不法侵入シーンの必要性を感じず、そこが残念だった。
なんとも難解。 ムードはよく伝わったけど、内容は脈絡もなく意味不明...
少しの光
巨大スーパーでの品出しやフォークリフト作業、そこで交わされる従業員たちの会話や交流。きっとこの外や家庭よりもここは仲間と社会とつながる場になっているんだろうなと思った。主人公がバス運転手に「良い1日だった」と答えるシーンはとてもいいですね。彼にとってはこの日常がそう思える日々なんだなと。
ベルリンの壁崩壊から30年近く経っても、西側と東側ではインフラや賃金にも結構格差があるみたいですね。それは人の心にも禍根を残していると。
あと、ブルーノはマリオンの夫だったんではないかと思っている。やけにマリオンの旦那のこと詳しいし(暴力的だとか実は自分のことずっと話してたんでは)最後は主人公に託そうとしてたし。まぁ真相は分かりませんが。
オフ・ビート
無口な映像から受ける感情。
旧東ドイツの空気感は知らないが、
ちょっと暗くて寒くて堅い感じ。
そして無口なイメージ。
主人公は脛に傷を持つ青年クリスチャン。
表情は柔らかいが社交性があるわけではない。
スーパーマーケットの同僚たちは、
そんなクリスチャンを好青年として感じている。
国柄なのか土地柄なのかは知らないが、
あまり身の回りの深い所を話してこないし
詮索したりもしない。そういう人たち。
それが居心地の良さにもつながってくる。
無口な人ってのは、よく観察する。
それゆえ、表面的な会話よりずっと
その人の内面をよく知られる。感じられる。
しかも古参の従業員たちはみな
旧東ドイツ時代からの同僚で気心を知っている。
だからこそ、ブルーノが抱えていた闇を感じられなくて
深い悲しみに包まれてしまう。
映像表現からも、その人種性のようなものは
強く感じられる。
ドリーやパンは多用されず、
基本的にフィックスカット。(カメラは固定)
アングルは平面的で奥行きは出さない。
人物のカットは真正面から真後ろへの直線的な切り返し。
セリフ前後の間は、一般的な映画よりも長め。
この「間」が実に内容に合っている。
北野映画を思い起こさせる映像表現に近い。
だからこそ、観客は余計な映像情報を入れずに
登場人物の内面を読み解けられる。
無骨だが実に感情豊かな、
スーパーマーケット=家族のような温かい場所。
じんわり胸に染みわたる、とても柔らかい、いい映画でした。
これが日本のスーパーマーケット映画だったらどうだろう。
パートのおばちゃんの井戸端会議から始まる根も葉もない噂話。
表面的な仲の良さを装って、同僚を陥れる人間模様。
異性にほんの少し好意を持っただけで不倫話にまで膨らませる想像力。
そんな映画は見たくないなぁ。
なんとも評価のしづらい
仕事場を延々と舞台にしてるのがちょっといい。そして、薄暗いけどあの倉庫みたいな店内が美しくみえる。なんか倉庫でバイトした記憶が蘇って親近感もおぼえた。人間関係や雰囲気も悪くない。
ただ、個人的にどうしてもダメだったのが主人公のキャラ。家勝手に入ってウロウロするシーンはほんとどん引き。。完全なる変質者。職場恋愛で悩みすぎるのもキモいしどういう男だよ、と笑 そういう設定なんで仕方ないが、そこでちょっと気持ちがはなれた。
良い点もありながら、個人的に合わない部分もあった、なんとも評価のしづらいということで平均かな。。
日常の中の小さな喜び
淡々と
理想の職場
刺青を微妙に隠して大型スーパーで働ける寛容さが羨ましい限り、初心者でフォークリフトを運転する不安定さは経験があればハラハラ、ドキドキしてしまう場面でもあり、深夜帯だからこそ?の周りの緩さが和める優しさを感じてしまう。
フォークリフトの練習場面で"Son Lux"の「Easy」が流れるが「モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由」の主題曲でもあり、映画のジャンルが違うだけで曲の雰囲気も変わってしまう不思議な感覚。
無口な主人公に訳ありな過去がありそうなのは上半身の刺青や昔の友人で何となく匂わせ、マリオンやブルーノに関しては描かない難しい事情が?
クリスティアンの存在感がギリギリに危うさを誤魔化しているような、挙動不審に思える表情を含めた不安定さ。
日常
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