「空を飛ぶことはくしゃみをすることではない」ダンボ 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
空を飛ぶことはくしゃみをすることではない
アニメ版の『ダンボ』って、他者と違う特徴を持った者への差別や蔑みを批判し、自分を信じる力によってそれらを乗り越え、本来不可能であるはずの「空を飛ぶ」ということは「己を信じる力」によって不可能を可能に変えるその象徴だったような気がする。『ダンボ』には『グレイテスト・ショーマン』が本来描こうとして描き切れなかったことがあると思っていたのだけれど、この実写版には残念ながらそれは存在しなかった。ダンボにとって「空を飛ぶ」ということは、くしゃみをすることとは意味が違うはずなのだが・・・。
それならそれでいい。また別の面白さがあればいい。ただ私にはこの映画は極めて退屈で凡庸なものでしかなかった。まず話としての筋が通っておらず、とても散漫なのだ。
行き別れてしまった母ゾウのジャンボとの再会の物語なのか、サーカス団の復興の物語なのか、コリン・ファレル演じる男の再起の物語なのか、もしくは心が離れてしまった家族の再生の物語なのか。
とりあえず思いつくだけでもこれだけの要素を盛り込みながら、すべてが中途半端な描写しかなされておらず、クライマックスで漫然と感動を演出していても、まったく釈然としなかった。
母ゾウと生き別れたダンボと、母を亡くし孤独を感じている娘との境遇が重なるのは一目瞭然ながら、それを他の登場人物が一向に理解しない愚かしさ。そして作り手さえもそこをまったく効果的に機能させない愚鈍さ。そしてマイケル・キートンが登場するあたりからはダンボも子どもたちも置き去りで、すっかり3人のおじさんたちの話に変貌してしまう。なんともはや。
「ジャングル・ブック」の実写を観た時にも思ったことなのだけれど、動物の擬人化をどこまでやるか問題というのは、なかなか難しいところがあるなぁと改めて感じた。ダンボやジャンボに施された擬人化の所々がどうしてもやりすぎに思えて違和感を覚えてしまった。「ジャングル・ブック」と違い、動物にまで台詞を喋らせなかったのは賢明だとしても、アニメーションなら気にならないところも、限りなく実写に近いCGIになると、それが過度な擬人化に見えてしまうことが度々あった。