「まわる人生のステージ」生きてるだけで、愛。 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
まわる人生のステージ
下田逸郎の「踊り子」という歌に、
♪まわる人生のステージで踊るあなたの手ふるえてきれいね♪
という一節がある。この映画を観て、その歌を思い出した。大ヒットした村下孝蔵の「踊り子」と同じタイトルだったから、忘れないでいる。
本作品はなかなか理解しがたい作品だが、下田逸郎の歌詞をヒントにするとスッと納得できる気がする。主人公の寧子は、ドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公さながら、自意識が高すぎて人と相容れない。中島敦の「山月記」の主人公も同じように自意識が高かった。本作品は、そういう主人公が社会と折り合いをつけようとする姿を衒いなく描く。「まわる人生のステージで踊る」のである。そして一緒に住む菅田将暉の津奈木は「あなたの手ふるえてきれいね」と思うのだ。
寧子を演じた趣里はいい演技をしたと思う。その台詞は非常に文学的で、それゆえに非日常的で極限的な表現になる。一般生活を営む感覚では理解できないだろう。そのために一般社会との付き合いが非常に困難になる。その辺りを理解することが本作品を読み解く鍵になる。
同じように自意識が高くて他人と衝突してばかりいた詩人の中原中也は「憔悴」という詩の中で次のように書いている。
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと
要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、
僕はあなたがたの心も尤もと感じ
一生懸命郷に従つてもみたのだが
今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに
寧子には一般社会の人々が考えるような幸せは訪れないだろうし、それを幸せと感じることもないだろう。しかし利益や外聞ばかりを気にして生きている人たちの幸せが本当の幸せと言えるのか。引っ張ったゴムのように無理をして社会に合わせようとした寧子は、そのうちにまた自分に帰っていく。それしか彼女の生き方はないのだ。それを否定しないところにこの映画の素晴らしさがある。