「若き活動弁士の青春奮闘記」カツベン! みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
若き活動弁士の青春奮闘記
本作の見どころは、主役の成田凌の言葉を魔法のように巧みに紡ぎ出す、個性的で魅力ある滑舌の活動写真(無声映画)弁士[カツベン]振りである。ここだけでも一見の価値のある作品である。これ程、弁士が映画に活力を与えるとは想像できなかった。
チャップリンの無声映画は観たことがあったが、弁士付きの無声映画は観たことがなかったので、無声映画における弁士の役割の大きさに驚かされた。声優、ストーリー展開をするナレータくらいだと思っていたが、本作では、無声映画の作風、良否を決めてしまうキーマンだった。観客との距離が近いので、舞台劇のように観客からの容赦ない生の評価を受けることになる。
本作の舞台は、大正時代。主人公・染谷俊太郎(成田凌)。彼は、子供の頃から活動写真の弁士に憧れ、ものまねをしていた。大人になった彼は、意に反して偽弁士として、泥棒一味に加わって生活していた。なんとか一味を抜け出した彼は、ある街の映画館に雇われる。そこには、個性的な人間達が集っていた。人気のある凄腕弁士・茂木(高良健吾)がいたので、最初は雑用係だったが、ある時、弁士をやるチャンスが訪れる・・・。
序盤、終盤は緩慢なストーリー展開だが、中盤は、面白くて見応えがある。弁士同士の競い合い、確執に、恋愛模様も加わり、ハラハラドキドキする展開もあり、それらを上手にまとめて、コミカルな味付けにしている。小気味良く物語が進んでいく。
様々な弁士が登場し、腕前を披露してくれるが、流暢な喋り方は職業柄、当然と言えるが、言葉の豊富さに圧倒される。堂々とした自信に満ちた佇まいは、完全に劇場を仕切っている。無声映画を操っている感がある。特に主人公の弁士振りには魅入ってしまう。
本作で、弁士の喋りに、声を出して一喜一憂している観客の姿は映画鑑賞の原点である。現代の映画鑑賞はマナー重視であるが、もっと観客が素直に反応した方が、より映画を楽しめるのではと感じた。
みかずきさんへ。
無声映画時代の劇場は、今日の映画館と違い演芸場の延長の造りだったのではないでしょうか。舞台があり桟敷席もある、大衆芝居や歌、マジック、曲芸などの当時の娯楽全てを網羅する娯楽場の役割を兼ねていたと思います。現代のように美しく鮮明な色彩映像や素晴らしい音響効果がない、モノクロで無声の映画は、他の演目と違い、黙って見学すると睡魔に襲われる危険性があります。数少ない個人的な経験でも、鑑賞者に集中力が求められると思いました。チャップリンやキートンなどの喜劇、一巻ものでヒロイン危うしで終わる連続活劇、そしてチャンバラ映画などは、どんな人も飽きずに観られたと想像しますが、中編から長編になると難しかったと思います。内容を説明するナビゲーターを兼ねて、観客に刺激を与え楽しんで貰うように弁士の演芸が磨かれて行ったのでしょう。
私は、楽しい映画を観る時には他の人の邪魔にならない程度に意識して笑い声をあげて鑑賞します。本音では感動したら上映後は拍手を捧げたいのですが、今までしたことがありません。コンサート、演劇、ミュージカルの舞台では、素直に興奮を表現できるのが羨ましいと思う事もあります。
今年は、東京に出掛けてミュージカル「エリザベート」と「キンキー・ブーツ」を堪能しました。スタンディングオベーションで沢山拍手をしました。それを含めて、生の舞台の醍醐味ですよね。
今晩は
現況下、劇場で声を出すのは憚られますが、作品によってはマスクの下からでも鳴き声が響いてくる映画はありますね。
最近だと、「天間荘の三姉妹」と、「線は、僕を描く」でしたね。
個人的に、最も鳴き声に包まれた映画は「湯を沸かすほどの熱い愛」(これは、劇場内の啜り泣きが今でも忘れられません)と、「七番号の奇跡」ですね。最近は、皆マスクをしているので、啜り泣きは聞こえませんが、私は「線は、僕を描く」を見て、静かに泪を流しました。
心が浄化されましたよ。では。